第5話 (その6)

 薄く開けた隙間から、向こう側を覗き込んでみる。灯りがともっていることから、兄が帰ってきているのだということが分かった。

 初めて足を踏み入れる兄の研究室は、雑然とした印象だった。二階の書庫も結構な蔵書量なのに、ここにも壁面の作りつけの棚にずらりと古びた書物が並んでいる。薄暗くてはっきりとは見えなかったが、背表紙に踊る文字の中には私の読めない異国の文字、そもそも見たこともない文字が並んでいるのが見えた。そのほか、何かの薬品らしきものが入っているような小瓶や壺といった容器がずらりと並んでいる棚もあった。作業台の上にはどう扱うのか皆目見当も付かないような複雑な実験器具もいくつか並んでいて、空いたスペースには開きっぱなしの古びた書物や、兄自身が何かを書き付けた用紙のたぐいが乱雑に広げられている。

 そんな書き付けの一つに、難しい顔をしながらじっと視線を落としている兄の姿が、そこにはあった。

 そして同じ部屋に、メアリーアンもいた。彼女は研究室の一角の、一段高くなっている台の上に、目を閉じたまま直立不動の姿勢で、ぴくりとも動かずに立ちつくしていた。兄はしばし机の上をじっとみていたが、やがて室内に立ち入ってきた私の存在に気付き、顔を上げた。

「……ここに入ってきてはいけないという約束を、ついに破ってしまったんだな」

 やれやれ、とため息混じりの声で彼は言った。

「ごめんなさい」

「それほどに、イゼルキュロスのことが心配だったのかね」

「兄様、メアリーアンを……イゼルキュロスをどこかにやるのは止めにして。この子をどこにもやらないで」

「それは無理だよ。最初から分かり切っている事だろう。私は人の依頼でこの子を造っているのだから、いずれ手放さぬわけにはいかない。……それに君はきっと勘違いをしている。確かに私は人から依頼を受けてこういったものを造ってはいるが、どれもこれも私の大事な作品だ。慰みものになどおとしめたりするものか」

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