凡人には執着だけが才能のあり方だと思うんだ

れき

人生が始まったらいいなあ

私は両親に愛され、甘やかされ、逃げても別の道を用意してくれた。わざわざ困難に立ち向かう必要なんてなかった。

その結果身に付いた逃げ癖怠け癖などで怠惰であった自分が初めて小説を書いたのは小学3年生の頃。

その時に書いたそれは小説というよりは、キンキンジャキジャキと擬音語がパレードをしている怪文書だったが、それでも初めて書いた小説は自分にとって誇らしい物だった。

小学を卒業して中学に上がった。

中学の内に何度か小説を書こうとしたことがあった。だが、いつも頭の中で物語を紡いでばかりいた。

この状態のまま書き始めても後々整合性が取れなくなるかも。もっとしっかり設定を練ってからじゃないと書けないよ。

そうやっていると、ある程度進んだところで面倒くさくなってやめてしまう。結局何も生み出さずにいた。が、それに焦りや憤りを感じることはなかった。いずれ素晴らしい作品を生み出す予定だから、この程度のことは大した事ないと。

中学を卒業して高校に進学した。

高校までずっと思っていた。いずれ丁度いいタイミングが来るのだと、才能を発揮するに相応しい劇がやってくるのだと。

その考えに対して疑念を抱くようになったのは高校に上がってからこと。

人間は誰しも自分自身を特別であると信じて疑わないらしい。少なくとも無意識はそうである。そこに自我が問いかけるのだ。今までの人生で自分が特別であった瞬間なんてあったっけ?本当に私は特別なの?、と。

自分には小説家の才能があると信じて、いずれくる開花の瞬間を待ち続けていたが。そんな瞬間は存在しないと知った。

しばらくしてツイッターでタイムラインを眺めていると、――ほんとうに結果をだす人ほど「完了主義」を徹底して、結果がでない人ほど「完璧主義」を徹底する。という話が流れてきた。

その話を自分なりに理解して整えた。

そして凡人には執着だけが才能のあり方なんだと言われた気がした。その言葉に心を動かされた。動かないとチャンスを失う気がした。

それに心動かされたのは、自身に対して疑念があったからだろう。

自分の人生の失敗全ての原因が端的に書かれていて、失敗の原因を心の奥底では理解していたから。しながらも無為に日々を送っていたから。

この先の人生でその言葉がどれだけの影響を与えるのか分からないけど、小説を書くことに執着してし続けて、いずれは今までの日々も無駄ではなかったと言いたい。

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