同情 01

 「はぁ・・・・・・・・分かりました」


 そう言って先生からプリントの入ったファイルを受け取る。


 「さようなら」でも「じゃあな」でもなくこんなにも俗っぽい会話で週末の学校が終わる。


 まぁ、今更何か言ったところで何も変わらないことは分かってるんだけどね。


 私の置かれている立場も、彼との関係も嘆いたところで変わらないんだから、「仕方ないなぁ」と自分の中で納得するしかないんだ。


 別に死ぬほど困ってるわけでもないし。


 彼も気を使って私との遭遇を避けてるみたいだし。




 季節は冬。


 ただただ寒いとしか言えない。


 語彙力も発想力もないから寒さから何かを連想することはできないけれど、私の足取りが重いのは寒さのせいではなく、単純にこれから行うことがあまりにも気怠いからだ。


 「どうして私なんだろう」はあまりに無理があるんだろう。


 先生にとってはついでのお願いなんだろうけれど、私にとってはそういう問題ではない。


 ついでで済むような労力ではないのだ。


 距離が遠いとかそんな簡単な事じゃない。


 むしろ物理的距離はかなり近いと言える。


 残念なことに。昔はそれを喜んでもいたんだけど。


 ・・・・・・・・この話は一旦置いておこうかな。


 つまり、何が言いたいのかと言えば私たちはお互いに気まずいという事。


 そして1度拒絶された私の今の行いは、彼にとって本望ではない。


 結局彼もプリントを受け取ってるんだからまぁ、今は黙認って感じなんだろうけど。


 それでもあの時の約束がなくなったわけじゃないことは忘れてはいけない。


 だから本当は私じゃなくて他の人が行くことが何よりも正解で、私じゃない、彼のことを何も知らない人が行くことが彼にとって苦痛ではないんだろう。


 だけどそれは我儘だし、叶わない望みだし。


 こうやって時々自分の中で愚痴ることでしか反発できない。


 漏らしてはいけない、吐き出してはいけない。


 「仕方ないなぁ」って思いながら今日も今日とて配達を続けることが、何よりも平和なんだから。


 


 何も変わらないいつも通りの道。


 閑静な住宅街に行き交う買い物帰りの主婦たち。


 どこからか香るカレーの匂い。


 子供たちの笑い声。


 うん。普通だ。


 これが日常だ。


 今日は私もカレーが食べたい気分だなぁ、なんて考えるくらいに安心する。


 中学校から歩くこと15分。


 いつもの景色に安堵するのと同時に、この町に似合わない彼の家が近くなったことを認識してため息が出る。


 温もりのある家屋が並ぶ中、明らかに雰囲気の異なる一軒家がぽつんと建っている。


 静かな家。


 死んだ家。


 陰ではそんな風に呼ばれている彼の家。


 街談巷説。道聴塗説。


 何かと話題になる彼の家はこの町で有名だった。


 彼の両親の突然の死。


 身内だけが知ればいいことを、どこから嗅ぎつけたのかこの町の住民は皆知っている。


 何かと話題になる彼の家には音がない故に、ひそひそと囁かれる周りの音は不愉快でしかないのだろう。


 彼は両親が死んだ後、外に出ることがなくなった。


 中学生になってからは私からのプリントを受け取ってるみたいだからポストまでは出てるんだろうけど。


 それでも彼の目撃情報は少ないから、おそらくみんなが出払っている昼間にささっとポストに向かっているはず。


 そんな姿を思い浮かべると少し笑える。


 いや、それは強がりだなぁ。


 全く笑えないよね。


 可哀そうとか言っちゃいけないんだろうけど、私の今の行動力も少しは彼への『同情』心があるというのが本音である。


 『惨憺』な出来事の一部始終を隣で見ていたものとしての責任だってあるし。


 私は大きく息を吸い、そして吐く。


 白い息が温かい。


 鼓動が早くなり、体が硬くなる。


 鞄からプリントの入ったファイルを取り出して、枚数を数える。


 一瞬感じた古本のざらついた表紙の感触は今日も無視。


 「大丈夫。大丈夫。大丈夫」


 心の中で3回唱える。


 声に出てたかもしれない。


 まぁ、いっか。

 

 別に誰もいないし。


 この曲がり角を曲がれば彼の家が見える。


 そして・・・・私の家も。


 「よしっ!」


 意を決した私は曲がり角を勢いよく曲が・・・・・・・・「きゃっ!」


 まるで岩のような何かにぶつかる。


 だけど曲がり角に私のより大きな岩があるはずもなく、私はすぐさま「すいませんっ!」と謝っていた。


 コンクリートに尻もちをついた。


 支えようとした手は荒いコンクリートのせいで擦りむいた。


 痛かったけれど、謝罪の言葉が無意識に出てきたのは弱さなんだろうか。


 とりあえず謝れば争いはなくなるだろうと思うことは平和ボケしているだろうか。


 私のような弱者のできることってそれくらいじゃないかな。


 はぁ、ほんと私ってドジだ。


 「大丈夫かい?」


 差し伸べられた手が視界に映る。


 「はい。ありがとうございます」


 私は顔を上げた。


 かっこいい人だなぁ。


 第一印象はそんな感じ。


 ベタと言っても過言ではない出会い方。


 食パンを咥えてないのと時間帯が真逆なのを差し置いて考えればこれは『運命』的な出会いであった。


 ここから始まるラブストーリは私を軸に回る。


 そんな風に、痛みとは裏腹に浮足立ってしまうくらいにベタだった。


 ツンデレキャラに路線変更?いやいや、そんなの今さら無理だよぉ。


 こんなことをほんの数秒で妄想しちゃう私は、私が思っているよりロマンチックなことに飢えていて、それでいて改めて少女漫画脳だなぁと思う。


 だけど、そんなシンデレラストーリーはすぐさま打ち破られてしまう。


 後ろでまとめられた髪。


 整えられた柳眉にきりっとした瞳。


 薄い唇はどこか艶やかで魅力的だった。


 「あっ、北白梅高校の制服」


 「ふむ。君は俗に言う学歴厨というやつかい?」


 薄く微笑むの制服には見覚えがあった。


 というか中学3年生になれば誰だって知ってるんじゃないかな。


 紺色のセーラー服。


 襟には3本の白いライン。

 

 鈴蘭のように白いリボン。


 だけれど彼女の左腕には雑に縫い付けられた校章があった。


 それに見覚えはなかったけれど間違いなく北白梅高校の制服だった。


 あんまり似合っていない。


 それは私の幻想が打ち破られた腹いせなんかじゃなくて、純粋にそう思ってしまった。


 彼女が美人だってことは紛れもない事実なんだけど。


 うーん。やっぱり制服がダサいからなのかなぁ。


 なんでも似合いそうな人なんだけれどなぁ。


 「おーい。大丈夫かい?・・・・もしかして頭打ったのかい?それなら病院へ行こう」


 「優しくしないでください!惚れちゃいますぅ!」


 「・・・・・・・・大丈夫そうだな」


 彼女は私に苦笑いを浮かべる。


 くっ。これで彼女が男なら私は・・・・私はぁぁぁぁぁ。


 生憎、私に百合的属性はない。


 同性愛を否定するつもりはないが、私自身それではない故に彼女への幻想を断ち切ることにしよう。


 はぁ、ついてないなぁ。


 「君の方が先に謝ったという事は、私との衝突に君は何かしらの負い目を感じているという事なのだろうか?」


 「は、はぁ・・・・・・・・」


 彼女は相好を崩すことなく至極真面目な表情で訳の分からないことを述べた。


 私は言葉を濁したが、正直何言ってんだろうと思ってしまった。


 「いやはや、少々分かりにくかったみたいだな」


 「は、はぁ・・・・・・・・」


 さっきからはぁはぁ言っているのは決して彼女に対して欲情しているわけではないことをご理解いただきたい。


 私は痴女ではなく知女ちじょなのだ。


 なお、知女というのは才女の下位互換で、私の辞書にのみ記されている言葉である。


 ・・・・・・・・私の辞書ってあんまり言わない方がいいのかな?


 閑話休題。


 「先ほどの衝突を私としてはお互い様という処理をしたんだ。どちらも注意を欠いていた。どちらかが注意を欠落していたのならそれはその一方が悪になるが、今回の場合はイーブンなのだから、それはつまりどちらも悪くないじゃないかという結論に至った。だけど君は先に謝った。だから私は君に何か失態があったのかどうか聞いたというわけさ」


 「は、はぁ・・・・・・・・」


 「君はさっきからそんな生返事ばっかりだね。もしかして私に欲情したのかい?安心したまえ。私は処女だ」


 「勘違いしちゃうんでやめてください!」


 「・・・・・・・・冗談のつもりだったんだけどな」


 それにしても、最後まで聞いてなお彼女が何を伝えたいのかが理解できない。


 イーブン?誰も悪くない?お互い様?失態?


 どんな出来事にも強者がいて弱者がいる。


 誰も悪くないなんて都合のいい物語はこの世にない。


 お互い様だなんて解釈は強者の発言だ。


 私のような弱者にできることといえば、どちらが悪いかとか、お前が悪いとかそんな御託を並べることじゃなくて、私が悪かったと相手に不快な気持ちを残すことなく清々しく泥をかぶることただそれだけ。


 誰が悪いなんて考える余裕はない。


 口が無意識に「ごめんなさい」って動くんだから。


 仕方ないよ。仕方ないんだよ


 だって私は弱者で、儚くて、内気で、物静かなおとなしい人間なんだから。


 「それで、君は私に対して何か負い目があるのかい?」


 「ご、ごめんなさいっ!」


 そう言い残し私は脱兎のごとく駆けだした。


 50メートル走に自信はないけれど逃げ足だけは自信があった。


 これからはライオンに追いかけられながら50メートル走の記録を測らせてもらえないか打診してみようと思う。


 ・・・・・・・・なんて冗談だけど。


 「はぁはぁはぁ」

 

 あまり長い距離ではないものの運動不足の私には堪える。


 これくらいで足が止まるようではライオンにおいしく頂かれちゃうな。


 脂ののった私はさながら天然の二郎系?


 それなら本望だなぁなんて思う。


 先ほど足が止まったと言ったが、実際は足を止めたというのが正しい気がする。


 後ろを振り返っても特に追いかけられているわけではなかった。


 よかったぁ。


 それにしてもこんなところで何をしていたんだろう。


 安心しきった私の脳内で今更ながらそんな疑問が浮かぶ。


 おいしいクレープも、人気のたこ焼き屋さんも、賑やかなゲームセンターもないこんな住宅街に用があるとは思えないし。


 この辺りに住んでいる人でもないだろう。


 全く見覚えがなかった。

 

 まぁ、いいか。


 それならそれで。


 これから出会う可能性が限りなく少ないと考えるなら。


 さてと・・・・・・・・配達しますか。


 私は彼の家のポストを開ける。


 錆び付いているせいか嫌な音を奏でた。


 そこには溜まりに溜まった新聞紙がいつも通り乱雑に・・・・・・・・「なにこれ」


 『神宮寺様』


 私はポストにファイルを入れ、走り出した。


 奇妙な感覚が私を襲う。


 無意識に顎に力が入る。


 口から血の味がした。


 私の中から出た血液がもう1度私の中に取り込まれる。


 私は何かを嚥下しようとしているのかもしれない。


 だけどこれは・・・・・・・・抑えきれる気がしない。


 仕方ない?仕方ない?これは仕方ないの?


 むかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつく。


 あぁ、だめだ。


 これは仕方なくない。


 その時、私は明確な怒りを彼に向けた。

 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 

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