第3話 他者との違いとは

「とりあえず共通語のことは置いといて、霊種について聞かせてくれないか。半精神体という君たちのような存在は、私が以前にいた世界にはいなくてね」


 龍種、獣種、鉱種、霊種、海種。この大陸のトップに立つ五種族のなかで最も他種との違いが大きい種族はと問われれば、間違いなく霊種と言えるだろう。


 なにしろ霊種には実体としての体がない。体がないということは生物にとって不可欠である『食事』の概念がない可能性もある。おそらく感覚も他の種族とは隔絶しているだろう。


「そうですね……とはいえ、私たち自身にとっては他種から見て何が変わっているのかはよくわかりません。ですのでコウイチ様の質問に答えるという形でよろしいでしょうか?」


「ああ、それがいいね。それじゃあまず……食事の概念はある?」


「エネルギーの補給という意味でならあります。霊種は他の生き物の精気をもらって生きていますので、精気を安定して得るために多様な動物の飼育もしていますね」


 精気の吸収による生命維持。悪魔や天使、精霊のような存在が行うという設定のファンタジー小説を元の世界にいたころに読んだ記憶がコウイチにはある。そのおかげか特別に驚きはなかったが、精気という概念についてはよく聞かねばならないだろう。


「その精気の吸収って、されている側は自覚できる? あと衰弱したり寿命が減ったりは?」


「言葉を話す相手から吸精したことがないので確実とは言えませんが、力が抜けるといったことはわかると思います。そして吸精する側にもキャパシティがありますから、よほど弱った相手でなければ吸精で死ぬことはありません。大抵は一晩で元に戻ります」


「なるほど。じゃあパンジ、ちょっと私から吸精してみてくれないか?」


「そ、そんな、神の使いであらされるコウイチ様から吸精などありえません!」


 口調からして頭部がペカペカと点滅しているのは焦りや驚き、あるいは怒りの表れなのかなとコウイチは冷静に観察していた。人間でいえば顔を赤くしているようなものだと思えば、顔がない割りには霊種は感情がわかりやすいのかもしれない。


「そう? それなら他の四種族が相手だったら?」


「それもありえません! 彼らは自らの文化と歴史を持つ方たち、そのような人たちから吸精をするなど同族喰らいとほぼ同義です! それこそ戦場でよほど追い詰められ消滅間際でもなければ絶対にしません!!」


 自分と同等以上の存在に対する吸精には共食いのような嫌悪感がある。吸精を食事と置き換えていることからわかってはいたが、『吸精できる相手』と『吸精してもいい相手』は違うという考えがあるらしい。


 一番懸念していたことを激しく否定してもらえたことでコウイチはホッと胸をなでおろした。他の種族を捕食対象として見ている種族がいたらもはや異文化交流どころではない。その可能性が他よりも高いと思っていた霊種がそうでないと分かったことは大きな収穫だ。


 それはそれとして、吸精されてみたかったというのも本気であった。コウイチはまだ三十手前の若さもあるし、一晩寝れば戻るくらいの消耗であるなら経験したい。いざというときにどの程度のものなのかを知っていれば対応できる幅も広がる。


「嫌な思いをさせてしまったか、すまない。これからの質問でも君たちにとってデリカシーのないことを言うかもしれないが、そうしたら遠慮なく怒ってほしい。私に気を使って我慢されると、他の種族に君たちを紹介するときに困ることになる。了承してもらえるかな?」


「はい、誠心誠意努力いたします!」


 パンジが残ってくれてよかったとコウイチは心から思う。五ヶ国の軍が撤収する前にこのまま残りたいものがいれば残って欲しいと呼び掛けたものの、残ったのはパンジだけであった。


 普通に考えてここに残るということは半ば国を捨てるようなものだし、軍属であるなら忠誠を誓うのは神ではなく国ひいては王だ。国に家族もいるだろうし誰も残らなくて当然である。


 その中でたった一人名乗り出てくれたパンジの決意はいかほどのものだろう。王であるエル・シドリムが驚愕していたのをよく覚えている。神使の側仕えに自国の者がなるということに何らかのメリットを見出したのか、それともまた別の理由か最終的にエル・シドリムは快くパンジを送り出したが。


「よし、次は感覚についてだけど。……痛みは、わかるかい?」


 肉体的損傷がないなら『痛み』もないかも知れない。他種族との交流において吸精の次に問題になるだろうことはそれだ。


 痛みが理解できない相手と理解しあうのはとても難しい。なぜなら生物にとって痛みとは死に直結する感覚であるがゆえに、何よりも鋭敏で共感しやすいからだ。


「物理的に傷つくことへの反応的感覚ですよね。実感はできませんが、家畜たちの反応を見ている限り良いものではないということはわかります」


「やっぱり痛みはないか……。そうだね、では君たち霊種は一般的にどんな感情に対して強く同情する? 喜び、怒り、悲しみ、楽しさ……私の種族だとこれが喜怒哀楽という基本的な感情とされていたんだけど」


「同情するというのなら悲しみ、でしょうか。私たち霊種は強すぎる感情によって死に至ることがありますが、その中でも最多の死因が悲しみです。あまりにも深すぎる悲しみは同情した者がつられて死ぬこともありますので、霊種は創作活動でも悲劇を扱うことはまずありません」


「それはまた……すごいな」


 予想以上に霊種にとって感情というものは重たいものらしい。しかし他者の悲しみに同情して死ぬほどの強い共感能力があるというのなら他種族ともそれなりにうまくやっていけそうな気もする。


 霊種は半精神体という一歩間違えれば『肉体に縛られている他種族は下等』という選民思想が生まれてもおかしくはないほどに逸脱した存在だ。しかし彼らは吸精についてのやりとりでも分かってはいたが、驚くほど他種族と自らを同列に扱っている。


「吸精に対する感覚と強い共感能力。よかった、この二つだけでも霊種が他の種族に対して危険である可能性はグッと下がったよ。悲劇を見ただけでも死ぬ可能性が万に一つくらいはあるということを知れたのも収穫だ」


「やはりコウイチ様は私たち霊種を恐ろしいものとして見ていたのですね……」


「恐ろしいもの、というのは正確じゃないな。私にとって一番理解が難しい相手、と思っていたよ。言葉が通じるだけで他は感情も感覚も通じない分かり合えない存在かもしれない、ってね」


 なにせコウイチの知る定義からすれば霊種は生き物ですらない。心は脳に宿るのか? という命題が前の世界にはあったが、だとしても精神だけで存在するというのは理屈として全く理解ができないのだ。


 しかしコウイチは理屈で理解できないなら理屈抜きで理解できる男である。もう目の前にいるんだから自分がその相手を定義できなかろうと存在しているものは存在しているのだと。


「まだまだ話し始めたばかりだけど、私たちは体の構造が全く違うということを除けばそこまで差はないように思える。君はとても感情が豊かだし、話していて私は楽しいよ」


「ですが、その身体構造が違うというのが一番大きな問題なのでは?」


「まあね。でもそれはそういうものだと納得するしかない。他種族を理解するというのはそういうものだ。同じ種族でも肌の色や体格なんかの些細な差で差別や迫害を受けることもあるし、絶対になくならない」


 身体的特徴による差別は必ず存在する。それは全生物に個体差がある限り不変のことで、そしてそれは生物的には必ずしもなくなっていいものでもない。


 差別とは他者との違いに鋭敏に気づく感覚に基づいている。それは群れに紛れ込んだ他所からの潜入者を見つけ出す感覚でもあり、より優先順位の高い身内を守るためのものでもある。


 全く差別意識がなければ、突然やってきた怪しさ全開のよそ者に対して親身になって接した結果その善意が丸ごと踏みにじられるという悲惨なことにもなりえるのだ。


「差別をなくそう、と簡単に言えるのは平和な世界であってこそだと私は思っている。少なくとも旅をしていたら野党に襲われ殺されることも少なくなく、悪党は返り討ちにして殺して当然という世界じゃあまだ早い」


 コウイチはこの世界に来る前にざっとした情報を神から得ている。特に治安に関する情報は詳しく聞いているが、種族間で差はあれど総合的にみると治安がいいとは言えない。少なくとも気軽に一人旅ができるようなものではなく、女性や子どもが日を跨ぐ旅程を組むなら護衛は必須だ。


 それでも各王の治世がいいのか、町や村の中で大っぴらに犯罪が横行することはまずない。手の届く範囲はまだ狭いが、それでも届く範囲のものは守れているといったところか。


「今のところはお互いを敵認定せず、選択肢の一番目に話し合いを持ってこれるくらいになれば上々だね。怯えられることがあるかもしれない、威嚇されることもあるかもしれない。それでいいんだ。今まで見て見ぬふりをし続けてきた相手をすぐに受け入れるなんて、数年そこらでできることじゃない」


 当事者のほとんどが亡くなってしまうほど昔の戦争が原因でいつまでも仲の悪い国があるほど、人の思いというものは簡単には変えられない。人間と人間ですらそうだったのだから、姿かたちがまるで違う五種族が分かり合うのにかかる時間はいかほどか。


「コウイチ様は大きな理想を持っているように見えて、しかし現実的なのですね」


「理想は現実の先にある。現実を理解せずに求めるのは理想じゃなくて妄想だよ。そして妄想はろくな結果を生まない」


 旅先で現地の人と心温まる交流をして世界に平和を広めよう、なんてのは一番初めの旅で妄想に浸ったイタイやつの考えだと思い知った。


 明日食べるものに困っている人が見ず知らずの人に、それも自分よりもずっと裕福そうな身なりをしている者に心を開くわけがない。子どもを五人作っても成人まで生きるのは一人か二人という暮らしで世界平和のことなんて考えてはいられない。


 衣食足りて礼節を知るという言葉があるとおり、満ちている者でなければ余分なことは考えられないのだ。その現実を理解していない限り、安全な場所で美味いものを食べながら考える理想は妄想にしかなりえない。


「だからお互いを知って現実を知ろう。理想の皮を被った妄想でお互いが傷つかないように。さあ、霊種の現実をもっと教えてくれ。私が霊種に妄想を抱かないようにね」


 口を弧にしたコウイチを見て、パンジはその表情の意味は理解できなかったが不思議と気持ちが落ち着いた。そしてふと気づいた。この世界の存在ではないたった一人だけのコウイチについて、誰が気にかけるのだろうと。


 知らなければならない。誠意をもって五種族の仲を取り持とうとしているコウイチについて、誰よりも早くそばにいることを決めたパンジには彼を知る義務があると。


「コウイチ様……私たちのことをもっと知ってください。そしてコウイチ様のことも、たくさん教えてください」


「私のことも? ……いや、そうだな。私のことも知ってもらわないといけないか。よし、とことん話し合おうか、パンジ」


「はい!!」


 実はパンジは霊種の中でも思い込みが強い方で、それが前線に出すには不安材料でもあったため記録官を任じられた。しかし一度やると決めたらやり遂げる責任感と実務能力もあるので信頼はされていた。


 そんなパンジのことを直属の上官から聞いたエル・シドリムは、パンジが神の使いという得体の知れない存在の相手に名乗り出たことに喜んだ。飽き性な者や無能な者では神使の怒りを買うかもしれないが、パンジの性格ならうってつけだと。


「そういえば霊種に性別ってある?」


「そもそも体がありませんので……」


「あ、やっぱり? だとすると君たちの繁殖方法、子孫を作るやり方についてだけど……」


「それはですね……」


 エル・シドリムの想像を超えたベストマッチにパンジが霊王国シドリムよりもコウイチ側に立つことを選び、それにエル・シドリムが愕然とするのはもう数ヵ月先のことだった。



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五国大陸の調停人 海ノ陽 @signal_saga

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