第48話 七月二十三日、午後十時五十二分。+一周。

『やめませんか。学校に行くなんてこと。』

 白亜の巨塔たる我が校の校舎のてっぺんが見えるか見えないかの距離まで来た頃合い。

 岸辺さんは、なんの前触れもなく僕に対してそんな提案をしてきた。

「……え、なんで。いまさらやん、、、」

『ほら、昼夜となにも食べていないじゃないですか。』

「……別にええよ。実はあんまし腹とか減ってないし」

『元を正せば私の身体です。食事はちゃんと取ってください。』

 ……まぁ、そう言われると弱いんですけどね。にしても、なんだ、藪から棒に。どうしていまさら食い下がる真似なんてするのか。仮にこっから帰路についたって寄り道するのと大差ないだろうし、それに、……それに、僕たちにはどうせ確約される明日なんてもんはないんだ。なら食うも食わないも、同じだろ。

 ……とはいえ、別にそれほど学校が気になるわけでもない。

 ……ただの気まぐれだ。だったら別に寄らなくてもいいか。

「……ま、無理して行くもんでもないし。……なら、うん、帰ろっか」

 ちょうど、ここの石塀の角を曲がれば校舎が見えてくるのだが、、、

 ……ここまで来たのだ。チラッと一瞥するぐらいなら許されるだろう。

――――――校舎が見えた。それは特長がないことが特徴的な、何にも飾りっ気のない校舎であった。

――――――校門前、当然だが正門前には鍵で施錠されているのだろう、ガッチリと閉じられている。

――――――そう遠くもないため視認できたが、やはりガラスの破片は校庭中に散らばっていたままであった。これも二日前の、七月二十一日の『窓破事件』の名残であろう。校舎の窓は全て破られており、窓枠にはぎっしりと剥き出しの段ボールが嵌められている。

 こんなこともなければ、ここも普通な学校風景のはずだったのだが。

「……うわぁ。にしても、豪快に破られてる。ひっどいなぁ」

 そう、普通の、平日を謳歌する変わり映えのない公立高校の姿があるのだが……、、、

 ……普通の、…………普通の、?

「……あれ、これ、普通やねんな?」

 暗闇に目を凝らし、今一度、我らが西大津高等学校を凝視する。

 やはり無惨な窓枠の有様に目を引かれるが、それだけだ。それ以外、普通を絵に描いたような風景である。

 ……しかし、なんだ。なんだ、この違和感。

「……あれ、……あれ、ちょっと、待てよ、」

 一周目を終え、二周目の初日、僕は動揺を抑えられなかった。何故か。それは『普通』であったからだ。日常から乖離していない学校風景に、かっちりと嵌め込まれている窓ガラスに、脳みそが腐り落ちそうな認知の揺らぎを僕は感じたのだ。それと、その現象と、今のこれは深く類似している。

 今日は、七月二十三日だ。二十一日でも、二十二日でもない。二十三日だ。

 であれば、二十三日であるのなら、我が校の校舎は『普通』ではダメなのだ。

 ……だって、今日は、、、


「……なんで、普通、なんや。……文化祭は、どうしたんや?」


 気付けば、僕は校舎に向け走っていた。事実を確認せんがために、傘を投げ捨て、焦燥に身を任せた。

『――――――』『――――――』『――――――』

 片手に握ってひしゃげていた紙に筆圧が乗る。

 けれども、それを無視した。華美なグラデーションだったはずの校門をよじ登り、校庭に飛び降りる。

 ザクっと、校庭に散らばったままのガラスの破片を踏む。そのせいか体勢がよろけたが、こんなところで転げては冗談では済まない。なんとか歯を食いしばり辛抱で倒れずに済むと、勢いを殺さず校庭の中央まで無我夢中で走った。確認せねばならない。事実を。今を。現状を。

「…………はぁ、…………はぁ、…………はぁ、、、」


 結果を言えば、文化祭の痕跡など微塵もなかった。


 ぐしゃぐしゃに常識が崩れ落ちる音がする。今日、七月二十三日、文化祭は開催されなかった。だとすれば、なんだ、どういうことだ。前回とは何かが違うってのか。もしかすると、パラレルワールドにでも来てしまったのか。ふざけんなよ。まだ新しい現象に頭を抱えなきゃならんのか。

 これもまた諸現象の一つだとでも言うのか。

 いや、待て。それは早計なのではないのか。

「……前回と、今回、結果だけが異なっているのであれば、、、」

 それは、つまり、なんらかの行動の齟齬が未来を変えたのではないのか。

 だとすると、すなわち、この怪奇な現象の解決のヒントが見えたのでは。

 ……それこそ、早計かもしれない。だが、一考の価値は十分にある。

 ……やった。やったッ。

「……これ、これさ。なんとかなるんちゃうん!?これで、ちょっとは今までの現象の対策にでも――――――」

 ――――――僕は、握りしめていた紙を見た。

『行かないで。』

  『行かないで。』

      『行かないで。』

   『行かないで。』

             『やめて。』

 そこには、悲鳴があった。

 意味がわからなさ過ぎて、頭の中の思考が一瞬真っ白になる。有頂天というか、喜びの真っ只中にあったものだから、テンションの振れ幅に追いつけなかったというのもある。しかし、けれども、どう解釈したって言葉の意味がわからない。岸辺さんの意図がまるでわからない。

 ……どうして、『行かないで。』『やめて。』なのだ。

「……なんで、止めんの?……意味わからんって『うるさい。黙れ。』

『いらんことを考えるな。』

      『言う事を聞け。』

            『すぐに帰れ。』

 白紙に加筆された文字は今よりもグッと筆圧が濃く、乱雑に綴られていた。

 そこに機械チックな機械文字はなかった。だがニンゲンらしくもなかった。

「……………………っ」

 いいや、この際、そんな筆圧の話などどうでもいいのだ。そんな些細な事柄なんかよりも、僕は今、文字通り不可視の存在を相手にしていると言うことを再認識しなければならないはずだ。そんな当たり前で、思い返せばこれ以上なく身の毛のよだつ事を、僕はもう一度考えを改めなければならなかったのだ。

 ……僕は、『――――――』に問う。

「…………お前、誰や?」


――――――――――――ぐしゃり。

――――――………………ザーッ。。。

 

 雨粒が落ちやまぬ校庭に、ひどく生々しい物音が背後から耳朶を打った。

 決して雨音じゃ掻き消せやしない重々しい落下音。それは柔らかく、それでいて硬く、まるで肉肉しい。そんな落下物をずぶ濡れの眼で直視した。直視してしまった。……アスファルトの上、そこに飛散した血飛沫に纏われている肉塊があった。

 

 それは、見覚えのある青年である。いや、あった、と形容すべきであろう。

 目に見えてわかった。彼は頭蓋骨が陥没し、その眼に宿る生気はなかった。

 ……それは既に死んでいると、転落死であると、頭で考える間もなく理解した。


 真夏の雨の匂いに紛れ、鉄錆を嗅いだ。

「……………………え?」

 疑う過程はもはや必要なかった。彼は死んでいた。素人目でも、これは死んでいる、と死んでいる事実をただ呆然と確信した。これは死んでいる。校舎の上から落ちて死んでいる。文字通り抜け殻となったコレを見て、僕には一抹の疑いも残すことはなかった。

 だらりと力無く伸びている腕。

 歪な方向に曲がっている両脚。

 雨粒が混じろうとも真っ赤なままである血溜まりに倒れる身体。

 ……あぁ、これは『死』んでいるのだ、と。

「…………あ、あぁ、…………あぁああ」

 なんだ、これ。なんなんだ、これ。……おかしいだろ、こんなの。

 現実味が沸々と湧いてくる。その度に僕の身体の体温は雨に煽られて冷たくなっている。しかし、この激情は止めどない。だんだんと冷静じゃなくなっていく自分がそこにいるのがわかる。そうしてようやっと、本当の意味合いでの『死』が目の前に顕在してくるのだ。如実に。まじまじ、と。

 人が、『死』んでいる。それも、顔を知った青年の亡骸がそこにある。

 ショッピングモール前にて、我が身可愛さに見捨てた青年が、である。

 ……なんだ。あれか。すると、これ。

「…………僕が、悪いんか、」

 雨粒が痛い。まるで誰かを責め立てているようだ。

「…………岸辺さん。黙るな。いるんなら、答えろ」

 突如、吹き荒れる突風。ガラスの破片が縦横無尽に舞う。唯一の光源である電灯にキラキラと反射し、その様はまるで地上に落ちた星々のようであった。見られるはずのないものが見える感覚。それは目の前にいる透明な少女にも当てはまるような気がした。

 僕は同じく吹き荒ぶ狂風の渦中にいる君に問う。

 

「……お前が、この人を殺したんか?」

 

――――――――――――ぐさっ。

――――――…………あ、イっ、、、

 

 痛いと感じる間も無かった。首筋の頸動脈辺りに妙な感覚が突如として埋め込まれたのである。初めは生温かさと、首の髄にまで届かんばかりの不快感が襲った。反射的に『それ』に触れると、あぁ、と『それ』の正体が判別ついた。……ガラスの破片だ。それも端目にわかる程度には大きい。

 校庭にまだ残っているガラスの破片の一つが、不運にも僕の首筋を捉えてしまったのだろう。

 それはもう、深々と喉まで到達しかかっている。死にたくないだなんて思える余裕さえなかった。

 ……あぁ、死ぬのか、ここで。それくらいの有無を言わせぬ致命傷。

 ……唯一、痛みが迸る前に意識が飛んでしまったことは行幸だった。


――――――――――――

 

 文字通り最後の景色、朦朧とする意識の断片で、僕は首から出っ張るガラスの破片に反射する人影を一人ぶん見た気がする。なにぶん死にかけていたもんで明瞭としなかったことが悔やまれるが、おかしいな、なんて回らない頭ながら思った。

 そこには、首にくっきりと条痕のある女の子が立っていたのだ。

 (…………岸辺、さん?)

 ふと、そんな風なことが脳裏に過ぎる。だが、死に損ないの夢みたいなもので。

 結局、その真相に辿り着くことなんてなく、僕は意識を持っていかれた。


 


七月二十四日、午後十一時八分。

死因:ガラス片が首に刺さった事による出血死。

場所:西大津高等学校/岸辺宅より十五分程度/□□宅より十分程度

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あっつ。 容疑者Y @ORIHA3noOSTUGE

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