第38Q 地獄から這い上がるために
いつからだろう。
試合に出られなくなったのは。
少なくとも小学生のときのミニバスでは、スタメンで出してもらえていたのは覚えている。
そうなると矢張り、あの中学時代からだろうか。あの3年間で、俺のバスケに対する環境は良くも悪くも劇的に変わってしまった。
――あの子、上手いよな。しかもスピードは地区予選でも見たことないよ。もしかしたら将来プロになったりしてな!
――あの子がいるからうちの子が試合に出られないのよ。
――何であいつがスタメンなわけ?
色々言われた事もあった。けれど、それを耐えられたのはバスケがあったからだ。
そしてあの憧れのブザービートのスリーポイントシュートを見てしまったからだ。テレビ越しとはいえ、今でもあの光景はうろ覚えだけど脳裏に思い出せる。
『決めた! 決めました! 最後の最後で決め切ったー! 2点差をひっくり返した! ブリッツ東京には頼れるこの男がいる!』
実況の人が興奮した声でそう言う中、映像はコートで揉みくちゃにされている黒地のユニフォームを着ている一選手にズームされている。
俺もいつかああいう選手になりたい。その一心で、ずっと練習に取り組んできた。
中学に入ってからもそれは変わらなかった。辛い練習も、向けられる醜い感情にも耐えられた。
――上手い方だけど、この先やっていくには身長もう少し欲しいよな。ってか、何かプレーが前に比べるとパッとしないな。
――あらやだ、夜野君。うちの息子元気にしてる? 試合出てるところは見に来てるんだけど、普段の練習とかちゃんとやってるのかしら?
――アイツ、今ではベンチで座ってみてるだけとか、かわいそじゃね?
――夜野ってさ、ミニバスのときより下手になってるよな。
そうして気が付けば中学2年生。ミニバスのときの同級生はスタメンで出ている奴もいるというのに、俺は未だに試合に出られるのは点差が大きく離れているときだけ。
それでも俺は練習のある日はギリギリまで中学の体育館に残って、シュート練習した。すると必ず体育館に残るのは俺より小柄な先輩である安達先輩と俺の2人。それが何回も重なって、関係性があまり喋ったことのない先輩から自主練中に会話するような先輩へと変わった。
ある日、いつも通りに自主練をしているときにある事を聞いたことがあった。
「先輩って試合に出たいとか思わないんですか?」
我ながら失礼な事を言ったとは理解している。けれども常に真剣に練習に取り組む先輩はずっと前を向いているように見えて、眩しかったのだ。
「おまっ……そりゃ選手としてそう思うのは当たり前だろ。――俺だって沢山試合に出たいさ。けどさ……」
俺の言葉に驚きながらも、安達先輩の本音が聞こえた。
でも、と安達先輩の顔は悪戯に成功した子供のように楽しそうな顔で言葉を続ける。
「チビだからって試合に出られないって何か悔しいだろ? だから俺決めてるんだ。『どうだアンタがチビだと思って試合に出さなかった俺がプロになったぞ、見たかこの野郎』っていつか赤っ恥をかかせてやるんだー」
「……それ俺も参加していいですか?」
「いいよー、何なら同盟組もうぜ」
「同盟?」
「『チビだからって舐めんなよ』同盟」
「ブハッ!」
思わず笑ってしまった。
ガサゴソと安達先輩は自身のスポーツバックから、商品のビニール袋に入っているリストバンドを取り出した。
「よしならば君には同盟の証だ、試合のときにはちゃんと付けるんだぞ」
「はい?」
「ばっか、言わせんなよ。いつか同盟相手に渡そうとな……」
「いやそこは誰も聞いてないし、それに新品の袋から取り出してません……?」
「バレた?」
あのとき、顔を合わせて爆笑したなと懐かしむ。
あれから互いに、いつか試合に出られるだろう。そう思い続けて腐らずに練習していたけれども現実は甘くなかった。先輩は公式試合に出ることなく卒業し、俺は俺で顧問の鈴木先生との関係がより悪化したことで一層試合に出る機会は減った。
それでも試合に出たい。
自主練はより一層取り組んだ。シュート練、基礎練、ランニング。どれも全て己が納得のいくまでオーバーワークになるほどまで取り組んだ。
そうやって思い詰めた代償だろうか。
ある日の試合。
ベンチスタートだった俺は、久しぶりの出場機会に活き込んで試合に臨んだ。しかし誰もディフェンスのいないノーマーク。その状態のレイアップを後ろからブロックで止められることになる。それが後にトラウマと化するとは知らずに……。
「やっば、アレ止めるとか最強じゃん」
「てか腕長ぇし、背高ぇしヤバくね? あれでバスケ初めて1年とか理不尽だろ」
「でもあのシュートは決めれたろー」
あれから長身の選手を前にレイアップシュートを外すようになってしまった。それがイップスだと自覚したのは中学のバスケ部を引退してからの桝田さんとの特訓中だった。チームの皆には言っていないが、イップスの件で通院は続けている。練習も表では初心者の前岡の練習という名目で、俺のイップスの克服練を組んでもらえている。
恵まれている。恵まれすぎている。
あの地獄のような中学時代に比べて見ればそう思ってしまうのも仕方がない。
目をゆっくりと開ける。暗闇からそこに広がるのは縦横無尽に走り回る選手がいるコートに視界が変わる。
オフィシャルの人に交代を告げてから、それほど時間が経っていない事を確認する。
交代は、ファールかボールが出るなどしてメインタイマーが止まらない限り出来ないためまだ出番は先のようだ。オフィシャルの隣にあるパイプ椅子の背もたれに寄りかかる。
「ふぅ……」
自身の体調もほんの少しの緊張で、心臓がバクバクと音を立てている。手の震えも無し。今の身体の状況的に、そこまで酷くはないと結論付けた。
会場の熱狂しつつもじめっとした湿気のある空気が頬を撫で、より去年の中学最後の試合を彷彿させる。だがあのときと状況は違う。
「念願の試合だな」
「……はい」
「気負わずに行けよ、正直言ってプロでも学生でも完璧にできる奴なんていないんだ。俺が求めるのはただ1つ。――お前の力を俺に、俺達に見せてくれ」
「はい!」
桐谷先生にかけられた言葉と共に、背中を何度か軽く叩かれる。振り返れば桐谷先生は安心しろと言いたげにニヤリと笑い、ベンチを見れば何人かの先輩や同級生から「頼んだぞ」という声に頷く。
「そういやお前、リストバンドやってたか?」
「これですか?」
普段の練習では付けない青のリストバンドを指差され、笑顔が零れた。
「
ビィイイイイイッ!
丁度、ブザーが鳴った。
俺にとっての試合が始まる。あの中学最後の試合から約11か月振りに、公式試合でバスケットボールコートに立つ。
ふと脳裏にある人の言葉が思い浮かんだ。
『――悪かった。だから全力でコート掻き回してこい』
ハーフタイムが終わろうとする1分前、桝田さんから言われた言葉。あの中学の試合から今までの期間、一緒に過ごしてきて分かったことがある。あの人は結構不器用だ。おそらく、これは昨日の発言に対しての謝罪なんだろう。真相を確かめるすべはないが。まぁ違うんだったら、俺が勘違い野郎になるだけだからいっか。
その桝田さんに視線をやれば、むず痒そうに自身の首を何度も触っていた。
「
斜め前にいる審判が言いながら、俺にコートへ入るように促す。
俺は交代する側の朝比奈を指差すと、不貞腐れたような顔で朝比奈が後ろで縛っていた髪を解きながら近づいて来る。
「仕方なくだけど、変わってあげるよ」
「すげぇ上から目線じゃん」
「うん、だから。……お前は自分の役目を果たしな」
「……わーってる」
何か言いたげな顔で朝比奈が通り過ぎた。
「ッシャス!」
不安な気持ちを胸に押し込めるように腹から声を出し、そっと手首に付けている青のリストバンドを撫でた。触り心地はゴワゴワとして、ほとんど新品と変わらない。
そりゃそうだ、数える程しか使ったことがないんだから。
――安達先輩、俺諦めてねぇっスから。
「頑張りますよ、俺」
無意識に出た言葉と同時に、俺は深々とコートに礼をしてからコートに足を踏み入れた。
Seconds-2400秒にかけるものたち- 桜莉れお @R_Ouri08
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