第28Q 県ベスト4

「内山さん、遅いっすよ!」

「悪い、外に行って涼んでたわ。つか何かあったのか?」

「いや、監督が話があるって」


 白橋さんが桐谷先生を指差す。内山さんが戻ってくるのを見計らって、桐谷先生がゴホンと一度咳払いをしてからホワイトボードの前に立つ。


「えー、それじゃ皆集まったようだし。本題に入ろうと思う」


 監督としての一言によって、その場の空気がピリッとヒリつく。きっと何か重要な事を伝えるに違い無い、そう俺は思っていた。


「あの悔しい梅が枝との試合から2週間程経ったわけだが、これからが本番だからな。そこは気を引き締めておくように」

「「はい!」」


 ここ1か月、このチームでやってきて返事のタイミングが分かってきた。馴染んできた事に少し口元を上にあげる。だが、すぐに緊張した空間が霧散することになるとは思わなかったけれども。


「じゃ君たち念願の県大会の組み合わせだ。確認しておけよー」

「いや軽っ! 普通はもうちょっと……」

「いやたかが県予選の組み合わせ発表に何を今更。これから組み合わせが変わるわけでもないし」

「いやまあそうなんですけれど……」


 荒げて言ってしまったけど、そんな軽くやっていいモノなのか? というか……。


 ――桐谷先生って結構雑?


 怪訝な顔で桐谷先生を見つめる。そんな俺の視線を気にしていないのかそれとも気づいていないのか桐谷先生は手に持っていたものを須田さんに渡した。その正体は紙っぺら1枚。左にいた3年が渡された紙を中心に集まる。


「はぁ? マジかよ、これって……」

「先生、これ嘘ですよね?」

「……フゥ」


 徐々に中央にいる2年、右側にいる1年、そしてマネージャーの小澤さんにまで紙が回り、小澤さんは桐谷先生に紙を返した。ほとんどのメンバーの顔色は、ぽかんと口を開け、唖然としている。上級生の中だと、特に須田さんと内山さんは眉間に皺を寄せ神妙な顔付きで紙1枚を見つめていたように見えた。


 だが、書かれていた内容を見て俺は他の先輩や同級生達と同じ様に驚く。


「さてお前ら見たな? 俺たち水咲の次の相手。つまり関東大会県大会の初戦の相手は、



――現在県ベスト4、いや県内2強の一角。筑波凛城つくばりんじょうだ」


 何秒、何分。結構な時間が経ったが誰も話さない。

 それを見てか桐谷先生は、「いやまぁ分かるけどな」と首を何度か摩る仕草を見せた。


「言いたいことは分かる。本来ならシードで2回戦からになるのが通常。特にインターハイやウィンターカップはな。けれど、関東大会は予選組と推薦組を合わせると計32校。可能性としてこうなるのを特に3年は分かってたことだろ?」


 推薦組というのは、前回大会の県予選でベスト8に入った高校の事を指す。そう以前聞いたことがあった。今回だと昨年度に行われた新人戦での県内ベスト8がこの推薦組に入る。


 その中でも、筑波凛城つくばりんじょう高校は私立高校というのもありスポーツの部活動が盛んである。そんな学校の男女バスケ部は必ず優勝か準優勝かに筑波凛城つくばりんじょうという文字が出てくるほどに、全国大会出場を何度も経験している県内有数の強豪校の1つとしていえるだろう。


 3人しかいないとはいえ、3年の先輩達は全員難しい顔をしている。


「ここであーだこーだ言っても仕方ないでしょ。上に行くほど強敵と当たるのが、少し早まっただけじゃん。まあでも腰抜けている奴いるけどな、隣の奴とか」

「あ?」


 ハン! と小馬鹿にするような笑い方をする朝比奈に、青筋を立てる。


「本当にお前腰が抜けたか? ハン、これだから弱気な奴は。これじゃ1年でスタメン狙えるの僕だけだな」

「はい? 弱気じゃないし、腰なんて抜けてないが? 抜け駆けさせるわけねぇからな」

「そーだそーだ!」


 朝比奈と俺との言い合い。そこに突如現れた石橋に対してビクゥッとさせた朝比奈は、ジトリと石橋を睨みながら言う。


「石橋は夜野の何なの」

「ふっ今の僕こと石橋は夜野のしもべであり、僕の玩具なのだ……」

「あっそ……めんどくせぇなこいつ」


 口には出さないが、それは俺も同意見だよ朝比奈。あとその小声は地獄耳の石橋には聞こえていると思うぞ。口には出さないけど、めんどくさいから。明日からお前も標的となるがいい。ケッ、と内心鼻で笑うがそれを見越してか朝比奈は俺にまでガンを飛ばしてきた。負けたくないのでこちらもジト目で見つめ返すとする。


 そんな不毛な争いに溜め息を突きながら、朝比奈が口を開く。


「言っておくけど、僕は別に筑波凛城つくばりんじょうは絶望的じゃねぇし、まだ勝てる方だよ。寧ろヤバいのはもう1つの方」

「もう1つって、名凰大附属めいおうだいふぞくか?」


 名凰大附属めいおうだいふぞく高等学校。筑波凛城つくばりんじょうと同じく私立の高校であり、スポーツが盛んだ。名凰大附属めいおうだいふぞくは今の日本の男女プロ選手の出身校として、県内の高校では一番結構多い。それぐらい全国からスキルを持つ強者つわもの達が集まり、成長していっている。そんな学校だ。


「そう、あそこは正直言って今の水咲と当たったら相性最悪。ほぼ確でトリプルスコア行くね絶対」

「何で分かんだよそれが、やってみなきゃわからな――」

「僕が一番わかってんだよ、名凰大附属の怖さは」


 トリプルスコア。確かに全国常連の強豪校と地方のそれなりの高校が当たればそうなる事は多々ある。けれど、だからと言って最初から結論付けるには速いんじゃないか?


 けれど、朝比奈が言わせないと言わんばかりに俺のセリフを待たずに言い返した。


「まぁ朝比奈はそういうけれどね。正直言って、今のうちの実力じゃ筑波凛城つくばりんじょうも厳しいのが現実だよ」

「正直すぎじゃん、桐谷先生ぇ……。そこはほら、頑張れば数パーセント勝てるかもとか勇気づけるところじゃないの!?」

「いやだって、お前らそれ言ったとしても実力が天と地がひっくり変わるわけないじゃん」


 何を今更と言わんばかりの態度の桐谷先生である。須田さんはそんな桐谷先生の言葉に胃を抑えながら涙を流していた。……なんで?


「そうだけども! もうちょっと配慮して! 特に俺の胃を!」

「お前の胃かい」

「ちょっお前って言ったの誰よ!? 一応俺キャプテンなんだけど!?」

「僕だが?」

「内山パイセン、サッセン!!」


 ……明らかに権力が逆すぎるよな。


 まあけれど先輩達の言い分は分かる。ただそれはあくまで、実力の差が大きくあったときだ。実力の差があるからないからと自らを認め、諦める理由は一切ない。とはいえバスケットボールだけではないが、点が多く入るスポーツにおいてジャイアントキリング、つまり番狂わせは起きにくいのが現実。


 ユニフォームを貰って最初の試合が筑波凛城つくばりんじょう。朝比奈にはああ言った手前、試合に出たいという気持ちは変わらないが果たして俺はそんな相手達に通用するのだろうか……?


 全国に出たこともない、直近の中学3年間はスタメンどころか試合経験も乏しい、そんな俺が。無意識に左肘を摩る。すると隣にいた白橋さんと藤戸さんの会話が耳に入ってきた。


「内山さん、が無かったら確実にキャプテンだったんだろうけどねー」

「いやは無理。俺ら余程の事が無い限り止めらんねぇもん」

「だーよねー。止められるのって結局須田さんか路川さんぐらいじゃない? 及第点で安藤の野郎はいそうだけど」

「まあ確かに、安藤は何とかしてくれそう。真面目だし」


 アレってなんだよ。呼んではいけないものだったりするのか?

 そんな中、好奇心旺盛な朝比奈はそんな2人の会話に割り込む。


って何です?」

「あー、内山さんって結構真面目と言うか落ち着いて見えるじゃん」

「そっすね……須田さんより」

「ハハハ、まぁそうだけどさ。ああ見えて結構試合中須田さんも頼りにはなるんだぜ? 日常生活残念だけど。それもあって主将になったようなもんだし」


 主将は誰? と聞かれれば初見の人は必ず内山さんを指名するだろう。それぐらいには頼りないというか残念なのが須田さんという存在だ。


 実際にこの間、昇降口の近くにある自販機の下に潜り込んで「うおああああ! 俺の百円玉ちゃんが魔の床に入り込んだ!」と1人で言っているのを周りの生徒がクスクスと笑っているのを見かけた俺からすれば、そんな須田さんの残念さを凌駕する内山さんのアレとは一体何なのだろうかと結構気になる。


 誰もいないはずの出入り口から、キュッキュッとバッシュの底と床を擦らせてワザと鳴らしながらバッシュを履く音が聞こえる。


「あり? もしかして今日練習終わり? 折角来たのに」


 惚けたような声。体育館というのもあって、反響してその声は聞こえた。その声の主の方向を見ると、真ん中分けな黒髪と長身の男性が立っている。


「……誰?」

「知らん」

「眼鏡してるから余計胡散臭ぇ」

「眼鏡関係ねぇだろぃ!」

「「うぉっ!?」」


 コソコソと朝比奈、前岡、高橋と1年が喋る中、突然の石橋の大声に1年の皆ビックリした。1か月とはいえ、この石橋という爆弾に比較的慣れている俺は呆れながら石橋に話しかける。ここに山田という生贄……ンンッ、頼れる存在がいればよかったのにな何て思っているけれど無いものねだりしても仕方がない。


「石橋お前何キレてんだよ」

「眼鏡にだよ!」

「なんでだよ……」

「眼鏡を馬鹿にする奴は天罰を食らう……ふっこれでお前も眼鏡だ」

「おい待てどこから出したその眼鏡、そんで俺にその眼鏡をかけるんじゃないよ! ってか伊達眼鏡かよ!」


 逆ギレを食らったかと思うと突然フフフ、と気持ち悪い笑みを浮かべ始めた石橋に弄ばれている俺の図を見てか他一年は見ないふりをしたようだ。こいつら見捨てやがって、特に朝比奈何てププッと顔を背けているとはいえ笑っているのは見えているんだからな!


 今後この石橋ばくだんの標的は同級生こいつらにしよう。特に朝比奈(私怨が混じっているけれど)、と俺は心に誓った。


「騒がしいやっちゃなー、小学校かいな。つかこんな騒々しい部活に早変わりしてもうたんか? 安藤」

「ん? まあ結構前より明るくはなったと思うよ。特にあそこの軍団は1年だし」

「ほー、そういや俺最近部活来てなかったからなぁ。今の1年だーれも俺んことわからんっちゅうわけか」

「いい加減1年生に自己紹介しなさいよ、お前。てか来てなかったじゃなくて、来なかったの間違いだろ」

「へーへ―、細かいな安藤は相変わらず」


 安藤さんが敬語ではない、となると2年生だろうか。


「折角の機会だし。、前に出て自己紹介」

「はいはい、監督の言う事に従いますよっと」


 桐谷先生がホワイトボードの前を指差しながらそう言うと、気だるげにこちらへ向かって歩いて来る。


 その途中で海堂と呼ばれた彼の視線の先には、内山さんがいた。けれども2人の間にはどこか火花が散って見えた。


 そんな彼がホワイトボードの前に立つと、「今更自己紹介とか、転校生かいな。つまらんぞこの状況」とグチグチ言うのが聞こえてか桐谷先生が一言「海堂」と有無を言わせない。そんな言い方をする桐谷先生に「へーい」と間延びした返事をする。

 

 うわ高っか。185㎝は越えてるんじゃないか? 自販機より上だぞ。そして近くで見ると猶更少し糸目気味だが俳優にでもいそうな面構え、という印象を受ける。でも何となく誰かに似ている気がしていて。けれども答えはすぐに出てこない。喉に魚の骨がつっかえているかのようにもどかしい気持ちにさせられる。


 だが現実は待ってくれない。目の前にいる男性の自己紹介が始まろうとしていた。


「2年の海堂祐かいどうゆう。水咲で7番背負ってます。ポジションはいちおPFパワーフォワード。あとはSFスモールフォワード、というか大体Cセンター以外できますわ。そんで、一応これでもエース言われてますんで。よろしゅう」


 ニコリと人が良さそうな笑みを浮かべる。けれども果たして信じていいのか、嘘を付くのに慣れている。そんな風に見えた。だがそれ以上に気になったことがある。それはおそらく、俺以外の1年全員が思っていた事だと思う。


 ――この人がエース!? こんな胡散臭いのに?


 それぐらいに何と言うか、目の前にいるこの人は近づきがたい。特に笑った瞬間なんて、一番胡散臭いように見える。


「……胡散臭いなこの人」

正直者しょうじきもんやなぁ自分!」


 遠慮というものがないのか、朝比奈が馬鹿正直に言うと、豪快に笑いながら朝比奈の背中をバシバシと叩く海堂さんという人に俺は少し胸を高鳴らせていた。


 だって、2・3年生が待っていたような選手だ。強いに決まっている。


 ――この人一体、どんなプレーをするんだろ。


 このときの俺は、今まで通りの日常を送れるなんて簡単に思っていたのだ。


 この目の前にいる、胡散臭いエースの海堂さんという存在がまるで台風の目のように状況が一変するとも知らずに。

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