関東大会地区予選

第13Q 嵐の前の静けさ


 4月20日水曜日。放課後。

 関東大会地区予選(水戸A)まで。


 ――残り、1日。

 


 明日には、関東大会水戸A地区予選と迫る中。それもあってか、練習始まる頃から。いやなんなら部室に足を踏み入れてから空気が重いように感じた。思い返せば、数分前の部室の出来事。普段なら誰かしら話す空間である部室も、上級生誰一人会話することなく着替えをしては体育館に向かっていた。


 今現在も、コート整備をする俺たち1年は(朝比奈は入学以降あまり誰とも会話している姿は見かけないが)話すとしてもコソコソ話するぐらいには声のボリュームを落としている姿もちらほら見かける。そんな中、俺は手にはモップを持ちながら体育館の脇に立っていた。


「ねぇ……」


 そんななか、小声で声をかけられるのと同時に肩を優しく叩かれる。振り向けば前岡。その手にはモップ。そんな彼はモップを持っていないもう片方の手で俺の肩を軽く掴み、少し俺の方に重心をかけて顔を寄せてくる。


「何でこんなにギスギスしてんの……」

「知らん」


 こてん、と首を傾げる前岡に対して雑に返す。納得していないのか口をとんがらせて、への字に唇を歪めている。知らんものは知らんのだ、俺だって知りたい。たかが1週間前後一緒に部活をやって、内事情を全て知るだなんて無理な話だ。


 というか相変わらずあざといというか……。そう思いながら前岡の方に目を向けるも当の本人は「うぐぅ」と何に対してかは分からないが唸っている。先ほど見せたような、素を出しているときのみ無意識に繰り出される色々な仕草は、男の俺が見ても明らかに女性受けしそうなものだ。多分本性を知れば、同級生どころか学校にファンクラブができるではないだろうか。知らんけど。


 実際のところ同性の顔なんて見る機会というより、まじまじと見ようと思うことはないが事実。しかしまあブロンドに近いサラサラな銀髪、少し青味がかった瞳に加えて高身長。だが普段のあの言動や行動によって、例え『イケメン』だとしても『残念な』という言葉が前に付くと思うと目の前の彼を不憫に思ってしまうのは仕方ないようにも……。


「えっ何」

「いや別に。口調変えれば、あの先輩にモテそうとか決して思ってない」


 俺自身が内心思っていたことが顔に出ていたのか少し不機嫌そうに眉を寄せる前岡。それでも心の内に秘めることなく正直に口にする俺の言葉に琴線が触れたのか、場の雰囲気に押されてか大声を出さずに小さいながら「何で今そんなこと言うの……!」と俺の肩を何度も前後に揺さぶられる。突然襲った衝撃は頭がぐわんぐわんと、水の上に絵具の垂らして模様を作るマーブリングのように思考が歪む気さえした。


「わーった、わーった! 俺が悪うござんした!」

「いや別に謝ってほしいわけじゃないんだけど」


 この会話の間もずっと小声でやり取りしている。前岡自身、誰もこちらを見ている気配がないからか、普段の謎テンションで繰り出される謎台詞も鳴りを潜めている。それどころかキリッと眉を上げているはずの顔もどこか本人の気持ちに合わせて、八の字のように下がっている。よく見ると姿勢も、モップに重心を寄せているとはいえ、へっぴり腰気味だ。いつもの強者に近い陽のオーラが台無しである。


「何かあったん前岡」

「べっ別に」

 

 聞いてみたら、そっぽを向く前岡に思わず「おいおい」と脇腹に肘を何度か軽く入れる。もしや例の恋関係か? なんて考えていると。



「――1年生」



 近寄って来るは、凛とした声。

 声の主はこの体育館にいる人間でも、分かりやすい。男性特有の低音ではなく高いのだから。

 

 そんな目の前に立っている彼女はマネージャーである2年生の、本名は小澤日和おざわひより。タレ目気味のパッチリとした瞳。キメ細かい白い肌。そして高く結い上げられたポニーテール。歩く度に綺麗に揺れる黒髪。どれも名前負けしない容姿である。


「ひぃっ」と金切声に近い悲鳴が真後ろから聞こえる。というか、おい前岡。俺との身長差いくつだと思ってる、約15cmだぞ。俺の後ろにいても隠れきれるわけないし、重心いつまでもこっちにかけてくんな。肩痛い。内心そう思っていても、跳ね除けるほど俺は人間を辞めているわけでもないし薄情でもない。諦めて俺は、不本意ながら期間限定前岡専用壁役に徹することにした。だが、そんな決意(?)も虚しく崩れるわけだが。


「前岡君って――」


 顎を触りながら、その瞳は前岡に向けられている。そして小鳥のさえずりのような声音。静かな体育館の内でその声は結構響き渡る。ごくり、と唾を飲み込む音。当然、その音の主は前岡である。



「――結構可愛いんだね」


 

 ふふふっと楽しそうな笑い声、名前に似合う陽だまりのように朗らかな笑みを浮かべる。少し離れた場所にいる俺は、どこか彼女の後ろにはキラキラとしたエフェクトが付いているように見え、自分自身の目を何度も擦るが消えることはない。

 

 ひゅっ、と息を呑むような音が背後にいる前岡から聞こえた。本人にとっては、キャパオーバーかつとんでもねえ爆弾であるのは確かだ。爆弾投下後、己の肩がミシリミシリという音が聞こえるのと、鉛のように重くなっている事実は気のせいだと信じたい。あと首元に毛先が当たって痒い。


 混沌とした状況にした張本人である小澤さんは気づいているのか気づいていないのか、はたまた気づかないふりをしているのかは分からない。その後、「じゃ、私タイマーの準備とかするから。モップよろしくね」と備品が置いてある倉庫へ向かった。


「良かったな前岡、思ったより小澤さんから好印象じゃねぇかって――」


 多分本性バレたとはいえ、あの反応を見る限り結構良さげじゃないかと振り返ると、本来ならそこにいるはずの前岡がいない。疑問に思い、視線を床に向けると、寝転び背を丸めて横になっている。


「何やってんのお前」


 両手で顔を覆い、何かをボソボソと呟いている。よいしょっと、とふと出た言葉と共にしゃがみ、近づけて耳を澄ませる。


「――もうお嫁にいけない」

「何言ってんだお前??」


 想像以上のことを言っていた。あとお前は男だろ、と。


 しかし指をこちらに指しながら、それに反応する集団がいた。

 

「おいあの1年、さっき小澤と話してたぞ」

「ダニィ!? あの1年坊主。小澤からファンサ貰ったって!?」

「ああああいつは普段高嶺の花枠なんだぞ……! 同級生の俺たちだって中々話しかける機会なんぞ部活関係のプリント貰うぐらいというのに」

「きいーーーーーっ! わたくしとてもムカつきますわお姉様!!」

「せめてお兄様とお呼びなさい!!」


 あまり話したことがない上級生である2年生軍団である5人。どこから取り出したのかハンカチを口に咥えて噛みしめている人もいるなど、個性豊かで、それぞれわちゃわちゃしている。話している内容はふざけているような内容が飛び交っているが、その中に「はい!! お兄様!!」と手を大きく挙げているのは、明らかにあの金髪は目立つ最近話すようになった2年の先輩である安藤さん。「何やってんすか」と遠い目をしそうになる。


「こうしちゃおれん、おおお俺も」

「ばっか、今言ったら内山さんオカンの雷落ちるぞ……! ただでさえアイツ今日もいないのに……!」


「おい、聞こえてっからな」


 「ひぃっ!?」と悲鳴が体育館に木霊した。腕を組みながら「いつからいたんですか」「ついさっき、お前らが馬鹿やってるとき」なんて会話が耳に入る。そんな会話している間の内山さんの表情は呆れているように見えた。


「ったく。ほら、練習始めるぞ!」


 「これ俺の仕事じゃないんだが」と内山さんはどこかを睨んでいて、言いながらもパンパンと2度手を叩き、練習開始を促す。その姿は、主将である須田さんより主将らしいのではと、感じたのは気のせいだろうか。何て考えていたら、須田さんがくしゃみをしていた。……深く考えないようにしよう。練習開始前にいつも行うルーティンである円陣をしにセンターサークルへ皆がバラバラとはいえ同じ場所に向かう。


 だが、その中で1人だけゆっくりと逆の方向へ歩く人がいた。

 

「――いない奴の事。話してんじゃねえよ」


 近くにいた俺しか聞こえていないだろうの距離。すれ違いざまにそんなことをぼそりと呟いている内山さんの言葉を聞いて振り返るも、強めにドリブルを何度かついたあとに、手に持つボールをボールカートにシュートのように投げた内山さんの後ろ姿しか見えない。どこか、に対して怒っているようにも感じた。


「どうせ、もう



 ――来ないんだから」

 

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