第11.5Q 職員室にて

第11.5Q 職員室にて

 ある期間中のとある日、こんなことが起きていた。


 ――職員室。桐谷は授業と授業の合間というのもあり、自身の受け持つ教科である化学の今日午後から授業がある担当クラスの準備をしていた。4月中旬かつ1年生といえどクラス毎に進み具合がちょっとでも違うためその調整をしている最中でもあったが、とある声で中断することになる。

 

「失礼します」という声の次には、「桐谷先生はいらっしゃいますか」である。

 

 職員室入り口付近にいる桐谷自身よりちょっとだけ若い(とはいえ30代後半と言われるとそれは若いといっていいのか判断がしにくい)先生が「桐谷先生―」と声を上げる。その声に気づいた桐谷は、自身の山積みにされた書類や本の上からひょっこりと顔を出す。


 それに気づいた男子生徒は桐谷のいる机の方へ近づいてくる。しかし、ずっと床に視線を移しながら他の先生たちが通り過ぎれば毎度お辞儀をしながら向かう姿はどこか自信なさげだ。

 

 目的地に着くと「どうした?」と少し優しめに声をかける桐谷に対し、「えっと……」とその言葉は続くことなく、また顔は床に向けられる。何分経っただろう、ふとした瞬間に顔を上げて意を決したのか口を開いた。


「先生、やっぱり俺。――バスケ部続けられなさそうです」

 

 なのですみません――、と深々と頭を下げる生徒。目の前の男子生徒の喉から発せられた声も震えながら言葉が紡がれる。


 ――ああ、またか。


 なんて言いたくはないが、今年も出てしまったななんて感想が出てくる。今週中、この言葉を聞いたのは何人目だろう。片手? 両手で数えるぐらいだっけか。何て。

 いけない、と思いながら桐谷は生徒に対してそんな顔をしてはいけないと相手の目を見る。


 顔を上げているものの、視線は床から外さないあたり目の前の彼の態度が申し訳ないと表現しているのが分かる。それでも、彼は練習中ひたむきに頑張る姿は良かったと思っている。だからこそ、惜しいとも思ってしまう。まあこうなってしまった原因は幾つか考えられる。

 

 その1つとして、受験期から入学の長い間に身体などが鈍ることだ。そして茨城県の受験は、私立が1月下旬。県立等公立は3月上旬。それから1週間弱空けてから結果発表となる。最短でも3月上旬にならないと、身体が空かない。そこで燃え尽き症候群のようになってしまう子が出てきてしまうのだ。


「もう、バスケは続けないのか?」

 

 ふと、気になったことを口にした。


「……分からないです。俺、今までバスケしかやってこなかったので」

「そっか」

「まあまだ体験入部期間だし、他の部活もこの機会に見るのもありかもよ」


 だなんて、桐谷は笑いながら男子生徒に伝える。


「そんでまあ、気が向いたらバスケ部うちおいでね」


 上手く笑えてただろうか。「……はい」とお辞儀をした後に鼻を啜りながら、足早に職員室を後にする生徒。その後ろ姿は小さく見えてしまい、心苦しく感じてしまう。


 するとコンコンと靴の裏とフローリングがぶつかる音。そして影がゆっくりと近づいて来る。桐谷はゆっくりと斜め上に見上げると、蛍光灯で銀髪のように白髪が光り、丸いレンズが特徴のラウンド型メガネをクイッと上げる見慣れた人が立っていた。そんな彼は額だけでなく顔全体に深い皺が刻まれており、厳格なオーラが猶更身体から滲み出ている。それがより一層、人を寄せつけない雰囲気を醸し出していた。


「――桐谷先生、今年もですか?」

「ははは、今年もですね……」


 ――ほら見ろ、来た。


 そんな言葉が出そうになり、少しだけ顔が強ばる。だがそんな様子に気づかない教頭先生に対して桐谷は、顔はそのままでも、心の中でホッと息を吐くように少しだけ肩の力が緩まる。

 

「全く。貴方が去年赴任してきたときから思っていましたが、貴方は色々と自由にやりすぎます。例え、赴任してから部活の成績が良くなったのは事実ですが、私は生徒指導ではないといえど、それでも生活態度が悪い生徒はバスケ部にもいるんですから頼みますよ」


 語尾が強めに言われる。だが「ああそれと」と、教頭先生劇場は続く。

 

「それに2年の安藤って生徒も、髪色も金髪のままじゃないですか。全く高校生らしく黒髪にしなさいと貴方も言っていただかないと――」

「分かりました、言っておきますね」


 強めに遮りつつも、とりあえず怒鳴られない程度にのらりくらりと躱しながら桐谷は思わず苦笑いで返す。そして、ここで何を言っても続くことは分かっているので曖昧な返答。納得のいかない顔で、腕を組みながら話す教頭先生はそんな中、桐谷に対して一方的に言葉を発していたが腕時計を見た後すぐに足早に去っていった。


 相変わらず忙しそうだなんて思いながら、そんな様子を見ていた隣の1年のクラスを受け持つ女性の先生である上原(担当は数学)には、「教頭先生ですよ、全く。……あっ教頭先生はいつもああなんで、桐谷先生あまり気になさらないでくださいね?」言いながらほんのりとコーラルピンク色に染まる唇が綺麗にやさしい形に笑いをつくられる。桐谷はそれを見て思わず苦笑いが、助長される。


 桐谷は去年この県立水咲高等学校に赴任してきた。そして目の前の彼女もそんな桐谷より2年長いが、あまり赴任年数は変わらない。とはいっても、彼女に以前聞いたところ26歳であるのに対し、桐谷は見た目は50代前半と言われるものの実年齢は47歳である。歳にしろ教師歴にしろ俺の方が長いはずなのに少し立場が無いな、と桐谷は自身の頬を指で少し掻く。

 

 だが、桐谷にとって教頭先生が口にしたその言葉の裏には、相変わらずよくやりますねとに対しての皮肉であることを言っているのは分かっていた。


「それにしても、今年も多かったですね。まあ去年の20人よりは少ないですけれど」

「まあ、そうですね」

「まだ良かった方なんじゃないですか? 一応今年は何人でしたっけ」

「今さっきの彼で6人ですかね……」


 「まあそれでも、多い方な気がしますけど」なんて桐谷は少し白髪が増え始めた髪をガシガシと強めに掻く。机の上には、教科書だけではなく部活に関係あるバスケの本なども置かれている中で、端に寄せられている何枚かの入部届が入っているファイルが異色に映る。数日前まで、それなりの厚さであったがここ数日経ってからはそのファイルも薄くなった。


「それだけ練習とか苦しいんですかね、バスケ部」

「さあどうなんでしょう。私もちょっと判断ができていないといいますか……」

「あっ、いえ! 別に悩ませたいわけじゃなくて……!」


 少し落ち込む桐谷を見て、わたわたと慌てる上原の姿。それを見た桐谷は、くすりと笑いながら「分かっていますから大丈夫ですよ」と声をかける。ここに夜野がいれば、「うっわ遺伝子」と言っていたぐらいには桝田一颯の表情にそっくりであった。


 すると、「ちょっと昔の話なんですけれど」と上原が続ける。


「私が赴任してすぐの頃は結構バスケ部に入る子いたんです。けど、1回だけ当時の顧問の先生に言われて練習を見に体育館行ったんですよ。ただ結構雰囲気が緩いといいますか、生徒たちが負けた後に必ず言っていたのが『まあ仕方ないよね』だったんです。私、学生時代はずっとバレー部だったんですが、今の子って勝ち負けにこだわらないんでしょうか」


 視線を斜め上に向け、うーんと考える姿に桐谷は思わず、ふふふと少し大きな声で笑ってしまい上原に対して「すみません」と言う。だがその謝罪も、少し笑いが含まれており、上原はどこに可笑しいところがあったのだろうと余計疑問に思っていると、桐谷が少し落ち着いたのか深呼吸に近い息を吐いた。一拍後、ニヤリと口角を上げながら桐谷は口を開く。

 

「少なくとも。


 ――今の部員は負けず嫌いだらけですよ」

 

 そんな会話がされている中で少し離れた席を、「あれ?」と言いながら上原の指が指す。桐谷がそちらに視線を移すと。

 

「おい。安藤」

「ゲェっ! 佐我セン!」

「佐我先生と呼べ、と言っているだろ」


 その先には安藤が、がたいのいい筋肉質な男性の先生だが生徒指導でもある佐我さがに捕まっている最中であった。佐我は、体育の先生に加えて野球部の顧問でもある。そんな野球部が、ここ数年甲子園に行けそうで行けない成績と世間では評価されている。とはいえ県ベスト4からベスト8と結果を出しているのと長年生徒指導をしているぐらい細かいところまで気にする性格が教頭先生はお気に入りらしい。あと、少し色々と時代遅れ(上原調べ)と聞いたときは遠い目をしそうになった桐谷である。


 そんな佐我は、腕を組みながら安藤の肩に手をやり、ぐいっと引き寄せながら口を開く。眉間に皺を寄せながら発する言葉は、より威圧感が増す。「こんな風に生徒接するから、嫌われていたり苦手にされていたりするんですよね」と上原はコソコソと桐谷に耳打ちする。そんな中、桐谷はにっこりと顔に張り付けながら。


 ――その情報流石に要らねえ。


 思わず、自が出そうになる。そんななか、トントンと、腕を組みながら自身の肘らへんを人差し指で一定のリズムを刻む佐我。

 

「お前、いつになったら髪黒くするんだ」

「はいはい、分かりましたよ……」

「ったく、なんだその言い方は。そもそもまず学生として髪はな――」


「まあ少し神経質な方だからね、佐我先生は」

「正直髪型、髪色とかそんな気にしなくてもって感じはありますが……」

「俺たちの時代はダメ、って校則とかであったけど最近はどこの学校も生徒の個性を大事にってなってますから。佐我先生の気持ちは分からんでもないですが」

「桐谷先生もそっち派ですか?」

「さあ? 少なくとも俺はなるべく好きなようにやらせたいですね」


 

 明らかに安藤の顔を見れば『めんどくせぇな』と出ているが、佐我は視線を安藤に向けることなくため息を吐いたのちに「まあいい、次の生徒指導のときには直せよ」と椅子にかかっている上着を羽織り、立ち去る。


 ちょっと近くにいたので座っていた椅子から立ち上がり近寄る。


「まあ程々にしなさいね。出来れば地毛の方が良いだろうってのは多分君も分かってるだろうけど」

「まっちゃん……」


「ありがどお"」と明らかに濁点が付いたような声で桐谷に抱き着く安藤。


 でかい息子だな、なんて感想が脳裏に浮かぶ。(桝田)一颯あいつも昔はこうだったな。


 なんて少し懐かしさを感じる桐谷であった。だが、ずっと先程から思っていることを口にした。


「せめて職員室内では先生付けなさいね、安藤」

「あ"い"」

「ほら、鼻かみなさいよ」


 ティッシュいる? という桐谷にまたもや「あ"い"」と言いながらポケットティッシュを受け取る姿に、職員室にいた他の先生は皆して「デカい子供と親か」なんて考えたとか。


「ぶえーくしょーーーいっ! あのおっさん何か噂でもしてんのか?」


 そして、何処かで大きいくしゃみをして鼻をごしごしと擦る誰かもいたとか。

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