胃は夷を持って制す


貴族の朝は早い。といっても農民よりはまだ時間に猶予があるが。

それでも日の出と共に起床し、まずは配下の者との軽いミーティング。その後は朝食となる。


それはこのクラクフ公国の貴族のトップであるヘンリク2世も同じであった。各大臣との会議を終えた彼はため息をつく。それは胃もたれの激しい、この40歳の老体を全く労わる気配のない豪勢な朝食の数々にではない。この時代の人は農奴であろうが貴族であろうが、仕事を日中に終わらせるため、朝食は多めに取るのが一般的だ。

といっても農奴の多くは日中までに自分たちの畑を耕しても、夜まで領主の荘園で働かいといけないのだが――そして確かに彼の胃もたれは年々増して悪化の一途たどっているが、ヘンリク2世のため息の原因はそれではなかった。

先代のころからの統一事業。

その父の死による再分裂――正確には西にあるシレジア西部と東南部のサンドミェシュ領の独立。その負債により彼の頭髪と胃には大きな負担がのしかかっていた。シレジア東部のチャンストホバとカトヴィツェは彼の代になって奪還できたものの、今だ、両東西の独立領には小公国が乱立している。それを統一できていないのは彼自身が領有するクラクフ公国自体が各貴族の権限が大きいの理由だ。

クラクフ公国というは実質公都クラクフと周辺の五つの都市だけなのだ。

公国内の貴族は各自自由に徴税し、法令を定め、軍を保持している。5年前のチャンストホバ奪還では、公爵である彼の力が増すのを警戒してか、来たのは直臣の騎士を除いて、彼らの次男三男坊と傭兵だけ。殆どの貴族が兵をよこさなかった。まぁそのおかげで得た領地は丸々直轄領となったのだが。これでは何年たっても統一できる気配がない。

そして極め付けは1週間前に入った、スラブ諸連合軍の壊滅の報。

タタール人がスラブ諸国をすべて支配下に置いた暁には、万全を期してこのクラクフになだれ込んでくるだろう。そしてこの国にそれを撃退する力はない。


彼の口からまたため息が出てしまう。

神よ、どうか杞憂でありますように。そして私の胃と頭髪に祝福を。

ヘンリク2世はそう胸に十字架をきったあと、妻と息子たちに肉を切り分け、自分の皿に乗った肉にナイフを刺しこみ、重たい胃をさらに重くしていく。

そんな時だった。なにやら廊下が忙しい。彼の視線がホールと廊下をつなぐ扉に向かった瞬間――いきなり開け放たれた扉の先には家令のオスカルが肩で息を切りながら立っていた。そして数秒のあら呼吸のあと、オスカルは額に汗を流しながら口を開いた。


「公都より北に30キロにタタールの軍勢およそ30000!!ここに向けて南下しつつあります!!」


その耳に届いた言葉の意味を理解すると同時に、またため息がでた。

そしてキリキリとヘンリク2世の胃締め付けられる。

せめて朝食ぐらいゆっくりと食わせてほしいものだ。

いまだ現実味の湧かないその凶報に、彼は内心愚痴を漏らした。


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