第34話 あははは……。はぁ……

 空き教室での一件から数日が経った。


 つぐみの予想外の行動、嫌がらせのきっかけ、などなど……。


 今振り返ってみても、あの日の衝撃は昨日のことのように憶えている。


 ………………。


 凛々葉りりはちゃん曰く、あの日以来、学校である変化があったらしい。


 というのも、教室やトイレなどで自分の陰口を聞かなくなったというのだ。


 もしかすると、つぐみの言葉が効いたのかもしれない。


「つぐみ……」


 俺は、今回の件を解決した少女の名前を呟いた。


 家族という存在を大切にしていたからこそ、今回のことは放っておけなかったのだろう。


 それに比べて俺は……ただ見ているだけだった。彼氏だというのに、なにも……。


 悔しい上にカッコ悪いという……。


(もう……どうしようもないな、これは……)


「はぁ……」


 口からため息をこぼしていると、


「ああぁ~お腹空いた~っ」


 朝からテンションが高い未奈はリビングに入ってきた。


「今日はなに〜? ご飯〜? パン〜?」

「……ご飯みたいだぞ」

「ほんと⁉︎ やった〜♪ ちょうどご飯の気分だったから、テンション上がる〜っ!」


 …………はぁ。その元気を少しくらい分けてほしいものだ。


「……今日は寝坊しなかったんだな」

「当たり前でしょー? お兄ちゃんと一緒にしないでよ」

「うっ。言うようになったな、妹よ……」


 そんないつものやり取りをする俺と未奈は、テーブルを挟んで手を合わせた。


「いただきます」

「いただきまーす」


 朝食のラインナップは、ごはん、味噌汁、ハムエッグ。


 いつもと変わらない安定の朝食。


 これでいいんだよ、これで。


「お兄ちゃーん。そこの醤油取ってー」

「ほらよ」

「ありがとーっ」


 テーブルを挟んで、目玉焼きに醤油をかけようとする未奈。


「気をつけないと、また汚すぞー」


 凛々葉ちゃんと初めて電話した、次の日の朝。未奈は今みたいに醤油を目玉焼きにかけようとしていたのだが。


『お、おいっ、思いっ切り飛んでるぞ!?』

『ん? そんなわけ……あ』


 結局。同じシャツがもう一着あったため、学校に遅れることはなかったのだけど。


 あのとき、未奈にしては珍しいなって思ったんだよなー。


「つ、次は、飛ばしません~~~っ!」

「そうか。ならいい」

「ふんっ! いつまで子ども扱いするんだかっ」

「お前が妹である限りずっとだなっ」

「なっ!? むうぅぅぅー……っ」


 頬を膨らませて睨んできたが、そこまで怖くはない。


「……あっ。もし彼女さんに会うことがあったら、お兄ちゃんの部屋にある、あの――」

「――なんのことだ!?」

「ああぁ~、会ってみたいな~♪」

「お前なぁ……あ、そういえば」

「? どしたの?」

「あ、あのさ、未奈」

「ん?」


 黄身を崩した目玉焼きを口に運ぼうとする未奈に、あることについて尋ねた。


「えっと……実は、凛々葉ちゃんがお前に会いたがっているんだけど。どうする?」


 ………………。


「ごめん、もう一回言って」

「だから凛々葉ちゃんが……お前に会いたがって――」

「――わ、私に……ッ!!!???」

「おぉっ、びっくりしたー。急に大きな声出すなよなー?」

「大きな声が出るに決まってるじゃんッ!! それホントなの!?」

「あ、ああぁ。昨日の夜、電話していたときにお願いされたんだ。『せんぱいっ。今度、妹さんに会わせてもらえませんか?』って」

「そ、そうなんだ……っ」


 ……急にどうしたんだ? さっきまでとは、まるで反応が違うぞ?


 すると、キョロキョロとこっちを見ながら、震えた手で味噌汁を飲んでいたのだった。




「ハァ……ッ。ハァ……ッ」


 俺は息を切らしながらやってきたのは、『くりざわ』の文字が書かれた表札ひょうさつの前。


 そう。ここは、栗ノ沢家のおうちだ。


(なんとか……間に合ったな……)


 どうして朝からここに来たのかというと、今日は途中の道まで一緒に行こうと凛々葉ちゃんと話し合って決めていたからだ。


(……って、着いたんだから早く知らせないと……っ)


 凛々葉ちゃんに『家の前に着いたよ』とメッセージを送ると、すぐに既読が付いた。


 ブゥッ、ブゥッ。


『わかりやしな! ふぬわにゆかいまふ!』


 ……ん? なんだか誤字が多くないか?


 凛々葉ちゃんにしては珍しいな……。もしかして、急いでいるとか?


 まあ、いいか。ここで待っていよう。


「ふぅ……」


 軽く息を吐いてから、スマホをポケットにしまった。


 ……ここに来たのは、凛々葉ちゃんに連れて来られたとき以来か……。


 赤い屋根の一軒家を見上げながら、ちょっぴり昔のことを思い出した。


『あっ……♡ せん……ぱい……っ♡』


「…………っ」


 あ、あれは、いろんな意味でいい経験だったな……。うん……っ。


 それから待っていると、


「どうしてあんたが付いて来るの……ッ!?」

「あなたが勝手に付いて来ているだけ」

「はいぃぃいいい……っ!? わたしが先に歩いているんですけど!?」

「朝からうるさい。叫びたいなら山に行ってきたら?」

「それならあんたが山に行きなさいよっ!!」


 玄関の扉の向こうから聴こえてくる、騒がしい声。


(な、なんだ……?)


 思わず呆然としていると、凛々葉ちゃんとつぐみが言い合いをしながら玄関から出てきた。


「あっ、せんぱ~いっ♡ おはようございま~すっ♡」


 と言って、パァッと明るい表情の凛々葉ちゃんが腕に抱き着いてきた。


「凛々葉ちゃん……っ!?」


 家の前を通り過ぎる人たちのことを気にすることもなく、凛々葉ちゃんは満面の笑みを浮かべた。


 あの子がせっかく黙っていてくれたのに……。


 これは、周りにバレるのも時間の問題だな……。


「えへへっ。せ~んぱいっ♡」

「り、凛々葉ちゃん……っ! いろんな人に見られているよ……!?」


 じーーーーーっ。


「……朝からイチャイチャするようになったんですね、先輩」

「つぐみ……!? こ、これはだな……っ」

「……おはようございます」

「!! お、おはよう……っ」

「……挨拶くらいはします」

「えっ。――…!?」


 じーーーーーっ。


「せんぱい、また呼び捨てで呼びましたよね?」


 ギクッ。


「と、ところで、なにを言い合っていたの?」


 忍法! 話題すり替えの術!!


「聞いてくださいよーっ! わたしがせんぱいに迎えに来てもらうことを知ってから、この女がずっとつきまとってくるんですっ!」

「つきまとっていない。向かう先にあなたがいただけ」

「さっきから、この一点張りなんですよ……。もう困ったものです……っ」


 凛々葉ちゃんが「はぁ……」とため息をこぼすと、つぐみの鋭い視線が向けられた。


「……毎日のように壁越しに聴かされるあなたの喘ぎ声の方が――」

「え?」

「……っ!? 急になにスラスラと、とんでもないことを言っているの……!?」

「ま、まぁ、凛々葉ちゃんも……その……年頃だから、ねぇ……?」

「せんぱい!?」

「……あっ、でも、今聞いたことは誰にも言わないからっ、絶対に!!」

「せんぱいっ、違うんです! あの女が言ったことは…――」

「事実」

「やっぱり……」

「!!? ちょっとは黙れないの……ッ!?」

「口があるから、黙りたくても黙れない。…………ふふっ」

「ぐぬぬぬ……っ。いつもは黙っている癖に……っっっ!!」

「二人とも落ち着いて……!」


 このままだと、話がどんどんややこしい方向に向かいそうだ……。


「じ、時間もないし行こう!!」

「ぐぬぬぬ……っ」

「り、凛々葉ちゃん……?」

「……ふふっ。はーいっ♡」

「……そうですね」


 バチバチッ。バチバチッ。


 視線をぶつけ合った二人と一緒に、学校への道を歩き出した。


「ちょっ、せんぱいにくっつきすぎじゃないっ!?」

「あなたの気のせい。くっつきすぎなのはあなたの方」

「当たり前でしょ? だって、わたしはせんぱいの彼女だから♡」


 これといった根拠はないけど。今日もいい日に……今日もいい日に……。




「あははは……。はぁ……」

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