第18話 女の声……?

 その日の夜。


『むぅーーーっ』


 スマホの画面の向こうでは、凛々葉りりはちゃんが頬を膨らませていた。


 プンプンっ。


 凛々葉ちゃんは怒っているところも……可愛いんだなー。怒っているのに可愛いって、なんだかズルくないか?


 てっきり、動物だけだと思っていたけど。


 ……あ。そっか、わかったぞ! 怒っていても可愛いのは、小動物のような愛くるしさにキュンとしているからだっ!


 そうだ。間違いない!


『今日のせんぱいには、びっくりしましたっ! わたしを差し置いて、他の女の子とお茶をするなんて! いい度胸ですね、せんぱい……っ?』

「えっと……それはさっきも説明した通り…――」

『あの子が、あのお店に来るように呼び出しから。ですよね』

「う、うん……」


 素直に頷くと、彼女はきっきよりも鋭さを増した声で言った。


『……せんぱい。どうして、わたしが怒っているのか、わかりますか?』

「り……凛々葉ちゃんに……黙っていたからなんじゃ……ないの?」

『それもありますが、もっと問題なのが…………せんぱいが会っていた相手が、元カノだったことですっ! ただの友達ならまだしも、相手が元カノなら話は別です。ましてや、あの女……あの子なんですから……っ!』


 凛々葉ちゃんの口からは、まるで早口言葉のように次から次へと言葉が出てきた。


 そのあまりにも滑らかな滑舌に、思わず、


「あははは……すごい……」

『笑い事じゃないんですが……?』

「ああぁ……ごめんなさい」


 つい、怒られていることを忘れてしまっていた。

 

 まぁ、凛々葉ちゃんがここまで怒るのも無理もない。


 義姉……元カノ……。


 いろいろな意味で、てんこ盛りだな……。


 すると、


『……はぁ。今回は、手綱たづなをちゃんと握ってなかったわたしの責任、ということにしておきましょう』

「た、手綱……?」

『これは……お仕置きが必要かもしれませんね……っ♥』




 ……お仕置き、か…――――――――――――――――




『フフフッ』


 自室の真ん中で聞こえてきたのは、凛々葉ちゃんの不敵な笑い声だった。


 その声を聞いた俺は、なぜか床に直で正座させられていた。


『ねぇ……せんぱい。どうして、こんなことになったのか……。わかりますか……?』

『えーっと……俺には何が何だか、さっぱり…――』


 そう言って、俺が顔を上げようとした瞬間、


 ――ビシィィィ……ッ!!!!!


 ムチが地面を叩く鋭い音が部屋中に響き渡った。


『誰が勝手に、顔を上げていいって言ったかしら?』


 ビシィィィ……ンッ!!!!!


『ひぃ……!?』

『ご主人様に黙って勝手なことをするなんて……ねッ!!!』


 ビシィィィ……ンッ!!!!!


『ひぃぃぃ……!!?』

『アハハッw ムチの音を聞いただけで興奮するなんて……先輩の……エッチ♥』

『り、凛々葉……ちゃん?』


 俺が名前を呼ぶと、彼女の笑顔が一瞬にして消えた。


『気安く名前で呼ばないでもらえるかしら?』『じゃ、じゃあなんて呼んだら……』

『そんなの……一つしかないわよね?』

『え……?』

『わたしのことは……“女王様”と呼びなさい♥ いいわね……っ?♥』


 どこか幼さの残る彼女のボンテージ姿は、背徳的な魅力があった。


『フフッ……♥』


 凛々葉ちゃんは、手に持ったムチを手のひらにトントンと当てながら、艶めかしい目で俺を見下ろす。


 唇を舌をなぞるその仕草は、彼女を一人の少女から一人の女へと昇華させていた。


『さあ……言ってみなさいっ♥』

『じょ……女王……様……っ』

『フフッ。いい子よ……っ♥』

 

 そう言って、髪をなぞるように優しく撫でてきた。

 

 あれ……? これ……全然嫌な気分にならないぞ……?


 むしろ……一瞬、いいかもって思ってしまった……。


 アメとムチとはよく言ったものだ。


『――今、イイって思いましたか?』

『へっ?』


 み、見抜かれてる……!?


『フフッ。この……変態さんっ♥』

『…………っ!?』


 彼女の囁く声に、心の奥底でなにかがゾクゾクと反応した。


 これ以上、踏み込んだらいけないと、自分でもわかっている。


 でも……


『ほんとは、満足したので許してあげようと思ったんですけど……』

『け、けど……?』

『フフフッ……♥』


 凛々葉ちゃんはどこから持ってきたのか、犬用の首輪を取り出すと、ニヤけた顔で俺の首に取り付けた。


 ちなみに、そのときどうして抗おうとしなかったのかは、自分でもわからない……。


『罰として、今日一日、せんぱいはわたしのペットになってもらいますっ♡』

『ペット……?』

『はい……っ。ご主人様の命令は、絶対ですよ……っ♥』


 甘い声で囁く彼女に、自分の全てを……。


 ……。

 

 …………。


 ………………。


 それも、悪くはない……かな……っ。


 つい刺激の強い妄想の世界に浸っていると、


『――せんぱい、聞いてますか?』

「……っ!? きっ、聞いてるよ……っッ!!」


 なにを考えているんだ、俺は……っ!


『……聞いてなかったんですよね?』


 ギクッ。


「………………はい」


 すぐに素直になるところが取り柄の一つなんです。


「えっと……なんの話だったっけ……?」

『っ……もぉ~いいです……!』


 と言ってまたプクッと頬を膨らませると、顔を逸らしてしまった。


 その横顔も可愛くて……ある意味、困ったものだ。


『……あの女、よくもわたしの大切な――』

「凛々葉……ちゃん?」

『どうしたんですか?』

「いや……なんでもない……」


 凛々葉ちゃんって、実は結構…――


『とにかくっ! これからは、わたし以外の女の子と会うときはちゃんと言ってくださいっ! ……いいですね?』

「い、イエッサー!」


 敬礼のポーズをすると、


『うむっ。よろしいーっ』


 と凛々葉ちゃんはコクコクと頷いた。


 とりあえず、今回の話はここまでかな……?


 心の中で「ホッ……」と息を吐いたが、どうやら気を緩めるタイミングではなかったらしい。


 ――ガチャリ。




「お兄ちゃーんっ、お風呂上がったよー」




「……っ!?」


 慌ててベッドから起き上がると、濡れた髪をタオルで拭いている未奈が立っていた。


「お前……っ、人の部屋に入るときはノックしろって前にも言ったよなー?」

「はいはーいっ。ところでさっ、誰と電話してんの?」

「あ」


 俺は素早くスマホを後ろ手に隠した。


『せんぱい、どうしたんですか? ところで、今の声って――』

「女の声……?」


 ギクッ!?


「ははぁ~んっ、そういうことか~っ♪」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべた瞬間、未奈は大きく口を開けて言った。




「キャーっ♪ お兄ちゃんのエッチ~♪」




「…………っ!?」

「ロリコン~変態~っ♪」

「おっ、おま……」

『せんぱい? わたしの見えないところで、一体なにを……』

「!!? ちっ、違うんだ!! 妹が勝手に…――」

「えへへへっ♪」


 あのしてやったりな顔はなんだ!? まさか、このタイミングで復讐を……!?


「あっ。言い忘れてたけど、お母さんが呼んでるよ。電球の取り換えを手伝って欲しいってさー」

「で、電球? この前、換えなかったか?」

「ふゅっ、ふゅ~ふゅ~……」


 このワザとらしい口笛……親子揃ってよく似ている。


 ……怪しい。


『ねぇ、せんぱい』

「う、うん?」

『よかったら、妹さんとお話をさせてもらってもいいですかっ?』

「え?」


 未奈の方を見ると、


「私も、お兄ちゃんの『彼女』さんとお話したーいっ!」


 ……どうして、“彼女”の部分だけ強調して言ったのかはわからないが、凛々葉ちゃんが言うならしょうがない。


 俺は渋々、スマホを未奈に渡した。


「くれぐれも、変なこと言うなよな?」

「えへへっ、わかってるって♪」


 そう言って、未奈は、


「いってらっしゃ~い」


 と言って手を振ってきた。


 その目からは、『早く行って来い』と言わんばかりの圧を感じる。


「…………」


 一抹の不安を抱え、俺は部屋を出たのだった。




「頑張ってねぇ~~~」


 部屋を出て行く未希人を見送ってから、未奈はスマホの画面に目を向けた。


『せんぱい……お兄様と、とても仲良しなんですね』

「そんなことはないですよ。口論になって口を聞かないとか、よくありますから」

『へぇー。あのせんぱいが……』

「まあ、子ども同士の可愛いケンカみたいな感じです。…………あ」

『? どうしたんですか?』

「えっと……は……はじめましてー……」


 と、ちょっと緊張気味な未奈に対して、凛々葉は落ち着いた声で言った。


『はじめまして。未奈ちゃん、だよね? お兄さんからいろいろとお話を聞いています』

「えっ、私の話? も、もし、よかったから、どんな内容なのか教えて…――」

『それは……ふふっ。内緒ですっ♪』


 そう言って、口に指を当てた。


「…………っ!!」


 ……やっぱり、可愛い……っ。


 画面越しでこれだから、直接会ったら卒倒してしまうのではないだろうか。


 ほんとっ、お兄ちゃんは隅に置けないなぁ……。


『あっ、そういえば自己紹介がまだでしたね。せんぱい……お兄様とお付き合いをさせてもらっている、くりざわ凛々葉りりはです』

「えっと、いっ、妹の未奈です……っ!! よっ、よろしくお願い……って、こういうときってどう言ったら……」

『ふふっ』

「? 私、今、、なにか変なこと言いました?」

『いえっ。ただ、お兄様とよく似ているなと思ったら、つい……』

「わ、私とお兄ちゃんがですか?」

『はいっ。必死に言おうとしているところが特に……』

「ええぇ……。正直、あんまり嬉しくないですけど……」


 ――違いに気づくということは、お兄ちゃんをよく見ている証拠だ。


(…………っ) 


 ……私には、どうしても気になることがある。


 今が、それを聞くチャンスだっ!


「あ、あの……やっぱりいいですっ!」

『? 気になることがあるなら、遠慮せず言ってくださいっ』


 な、なんて、真っ直ぐな目なのだろう……。


「……えっと、兄とは、いつからそういった関係に……?」

『今月の初め頃ですね。放課後、校舎裏に呼ばれて……そこで……』

「告白された……と?」

『……はいっ』

「ッ!!?」


 画面越しから伝わってくる、幸せ満点オーラ。


 返事をしたときの表情が、彼女の心情を表していた。


 やっぱり、この人……可愛いっっっ。


 ……けど、女の私にはわかる。


 彼女さんには、もう一つの顔があるということを……。


 だが、同じことを考えていたのは一人だけではなかった。


(せんぱいの妹さんか……)


 本人は否定していたけど。話をしているときのせんぱいによく似ている。


 ……まるで、真似をしているかのように。


『ふふふふっ』

「えへへへっ」


 二人の顔は笑っている。だが、


(この子……)

(この人……)


 二人の心の内は違った。




((なんとなく、わたし/私と似た匂いがする……))




 どうやら二人が直接会うのは、もう少し先の方がいいのかもしれない。




 一方その頃、未希人はというと、


「電球? この前、換えたばかりよ?」

「え? 未奈……やったなぁあああーーーーーッ!!!!!」


 未希人の叫び声がリビングに響き渡ったのだった。

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