第6話 間接的唾液交換

 昨日に引きつづき雪路と下校していると、自販機を見つけた彼女が、


「喉渇いたな」


 と言って硬貨を投入し、流れるような動作でエナジードリンクの『ワイルドエナジー』、通称ワイエナのボタンを押した。


 雪路はプルトップを開け、腰に手を当てぐびりと一口飲む。


「かぁ~! うめー」

「……」

「なんだよその呆れたような目」

「呆れてるんだよ。もうちょっとお嬢様らしくできないのか」

「水分補給するのにお嬢様もヤンキーないだろ」

「いろいろツッコミどころはあるけど……」


 俺は雪路をびしっと指さした。


「そもそもお嬢様はノータイムでエナドリを選ばん!」

「じゃあなにを飲むってんだ」

「緑茶か無糖紅茶。半歩譲ってミネラルウォーター」

「理想の押しつけがエグいな……」


 雪路は俺を蔑むような目で見た。


「お嬢様だって炭酸を飲みたいときもあるだろ」

「炭酸は飲んでいい。ただしプレーンの炭酸水が望ましい」

「湊人」


 雪路は俺の肩に手を置いた。


「VTuberもトイレに行くんだぞ?」

「知ってるわ! そもそもお前がお嬢様とかけ離れてるから悪いんだろ」

「いちいちうるせえな。――ま、分かったよ。べつに茶は嫌いじゃねえし」


 高校生になってもなぜか俺の言うことは聞くようだ。じゃあついでに――。


「言葉遣いもどうなんだ、それ。つい地が出て友達やおじいさんに奇異に見られないか?」

「………………いや?」


 なんだその間は。やっぱりボロが出てるんじゃないか。


「もっとふだんから気をつけたほうがいい」

「今はふつうにしゃべれてるだろ、しばくぞ」

「よくその短いセンテンスで矛盾できるな」

「……『しばく』はふつうの言葉だよな?」

「少なくともお嬢様は使わない」

「マジかよ……」

「『マジ』もな」

「……」

「なんか言えよ」

「……」


 雪路は必死な表情で口をぱくぱくさせるが言葉はまったく出てこない。やがて肩を落としてうなだれた。


 ――あきらめた……。


「いや、丁寧にしゃべればいいんだぞ?」

「無理」

「ゆっくりでいいから」

「できない」

「やってみなきゃ分からないだろ。ほら」

「日本語、難しい」


 ――片言……。


 意思の疎通すら困難になってしまった。


「まあ徐々に慣れていけばいい」

「……」

「あ、もう自由にしゃべっていいぞ」

「ぶはあっ! 早く言えよ、マジ死ぬかと思った」

「なんで息まで止めてるんだよ……」


 これは時間がかかりそうだ。しばらくは寡黙キャラで行くしかない。


「ふだん俺といるときは自由にしゃべればいい。息が詰まるだろしな。シミュレーションのときは気をつけてほしいけど」

「おう。……な、なんだかんだ言ってやっぱお前、けっこういい奴だよな。へへっ」


 と、ちょっと照れくさそうに笑った。


「お前ほどじゃないけどな」

「……え、湊人、あたしのことそんなふうに思ってたのか?」


 もじもじする雪路。俺は頷く。


「強面のおっさんがさ、猫好きだと『あ、実はすごくいいひとなのかも』って思うだろ?」

「ああ」

「そういう感じ」

「しばきまわすぞ」


 などと駄弁りながら例の遊歩道を並んで歩く。


 ふと会話が途切れ、沈黙の時間が流れる。ちらと横を見ると、雪路はワイエナの缶をじっと

凝視していた。


 その口元が怪しげに歪む。


 ――なにか思いついた顔……。


「な、なあ、湊人」


 さっそく仕掛けてきた。俺は心のなかで身構える。


「……なんだ?」


 雪路は缶を差しだした。


「飲むか?」

「え? い、いや」

「遠慮するなって」

「だ、だって飲んだら……」

「飲んだら?」

「か――」


 ――間接キスになってしまうだろ……!


 雪路がにやっと笑う。


「ああん? もしかして湊人、――間接キス、気にしてんのか?」

「は、はあ? 違うし」

「じゃあ飲めるよな? ん?」

「それは……」

「ほらやっぱり」

「違うんだって! ちゃんと理由がある」

「へえ、なんだよ」


 うまいこと断ろうと頭をひねる。


「か、金がないし」

「おごりに決まってんだろ」

「お腹いっぱいだし」

「味見だけでいい」

「カフェインに弱いし」

「ちょっとなら問題ねえよ」

「宗教上の理由でエナドリは」

「うだうだうだうだウゼえ! いいから間接キスしろコラア!!!」

「趣旨おかしくなってるだろ!?」

「おかしいことねえ! はなから女に慣れるのが目的だろうが!」


 それはそうなのだが――。


「お前も嫌だろ」

「べべべべつに? あたしはなんともねえわよ?」

「どこの方言だ」

「湊人が気にしすぎなんだよ」

「でもさあ……」

「仮にかぼちゃ姫がお前の前に現れたとして」

「もう『かぼちゃ姫』で固定なの?」

「そいつにもそんなふうに断るのか? 『あ、わたしのこと嫌いなんだ』って思われるぞ?」

「くっ」


 本当に最近の雪路はよく正論を吐く。俺をやり込めるときだけ語彙力が上がってないか、こいつ。


「ほら、ぐいっと」


 と、俺に缶を押しつける。


 渋々受けとり、飲み口を見る。


 ――ここに雪路のくちびるが……。


 ばくばくと心臓が踊る。


 視線を感じて目だけ横に向ける。雪路が目をむき、荒い呼吸でこちらを凝視していた。


「見すぎだろ!?」

「み、見届けてやろうとしてんだ!」

「目をつむっててくれよ」

「乙女かお前は! 視線に慣れろ。それも練習だ」


 たしかに、間接キスなど気にもせず「ありがとう、いただくよ」なんて爽やかに受け入れる男のほうがモテる気がする。


 俺は大きく息を吐いた。


 べつにただの回し飲みだ。飲み口に気心の知れた人物の唾液が少量付着しているに過ぎない。彼女は風邪などもひいていないようだしなにも問題はない。あるとすればそれは俺の感情の問題だけだ。


 ――俺はロボット。感情のない、エナドリを飲むためだけの存在……。


 自己暗示を施して感情に蓋をし、俺は目をつむってエナドリをあおった。


 ――……よし、大丈夫、平常心だ。


「ごちそうさま」


 目を開き、雪路に缶を返す。


「お、おお」


 彼女は俺と目を合わせず、ひったくるように缶を受けとった。顔が真っ赤になっている。


 ――自分で仕掛けといて照れてる……。


 悪戯心が芽生える。


「よし、俺の勝ちだな」

「は? なんだよ勝ちって」

「だってお前照れてるだろ」

「っ! 照れてねえ!」

「へえ、じゃあ飲めるか?」


 俺の挑発に、雪路は腹立たしげに片眉を上げた。


「飲めるに決まってんだろ、見てろ!」


 震える両手で缶をつかみ、くちびるに飲み口に近づけていく。


 しかしなかなか距離が縮まらない。ついにあと五センチといったところでいっこうに進む気配がなくなってしまった。


 雪路は我に返ったようにはっと息を飲んだ。


「っつかあたしがやる必要ないだろコラァ!」


 ――思ったより早く気づいたな……。


 まあこれくらいで勘弁してやろう。


「冗談だ。嫌だったら捨てて――」

「でも勝負に負けたまま尻まくって逃げたんじゃ女が廃るんだよ!」


 雪路は缶に口をつけ、シャウトするロックシンガーのように身体を反らせた。


 ――うわあ、ソウルフル……。


 ぐびぐびと白い喉が動く。


「ぶはっ」


 一気を飲み干し、手の甲で口を拭く。


「どうだオラ!」

「一気に飲んだら身体に悪いぞ」

「勝負についてコメントしろやあああ!!」


 雪路はシャウトした。


「いい飲みっぷりだった。完敗だ」

「へっ、はなから認めりゃいいんだ」

「ちなみに今の、『完敗』と『乾杯』を掛けたんだけど分かった?」

「なんか急に寒くなってきたな」


 雪路はぶるりと身体を震わせた。


「一気飲みするからだ」

「てめえの冗談が寒いからだよ! 気づけ!」


 まあ実際は完敗というより感謝だ。恥ずかしい思いをしてまで練習相手になってくれることへの。だが、それを言うのはなぜか間接キスより照れくさく感じた。


「……なんだよ?」


 雪路が怪訝な顔で俺を見る。


「いや」


 切りたくても切れない腐れ縁。それが雪路との関係だった。しかし今は――。


 ――悪友、でもいいかな。


「雪路、ちょっとコンビニに寄ってもいいか?」

「べつにいいけど。飯か?」

「スパイシー唐揚げ棒、好きだよな? おごってやるよ」

「お、おお? そりゃ嬉しいけど、どういう――。いや、どうでもいいな! 早く行こうぜ」


 と、小走りで駆けていく。


 ――お嬢様が唐揚げ棒ではしゃぐなよ。


 俺はふっと笑い、彼女のあとを追った。

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