第46話 十字架

 カールが指揮する輸送部隊は、収穫時期を迎える小麦畑の中の道を南へ向かっていた。南東部の部隊へとその砲弾を運んでいるところだった。


「カール、戦争が始まってもう3カ月だ。そろそろ終わらないか?」


 ハンドルを握るブロスが、あくびをかみ殺しながら言った。


 カールは、小麦畑に目をやり「イワンに聞いてくれ」と応じた。畑のあちらこちらには爆撃でできた穴が黒い口を開けているはずだが、小麦が成長して見え難くなっていた。そんな小麦畑を見ながら思うのは、処刑されたアテナのことばかりだった。できることなら自分の手でイワンに復讐したいところだが、いかんせん、イワンがいるトロイアは遠い。彼に会う方法なども、思いもつかない。


 ここのところフチン軍の攻撃が弱まり、荷物を運びながらも畑を眺めたり、あくびをしたりする余裕ができていた。


 いや、戦争に慣れたのか?……そんなことを考えた時、セントバーグに核攻撃があるというドミトリーの声をラジオで聞いた。彼は市民に避難を呼びかけていた。


 それは覚悟していたことでもあったが、実際にその危機が迫ると、気持ちは動揺した。


「か、勝ち過ぎたのか……」


 驚いたブロスが舌をかんだ。


 セントバーグには沢山の友人と知人がいる。カールは彼らが無事に避難できることを願い、同時に、自分がそこから遠い東部にいることに安堵し、そして安堵したことに後ろめたさを覚えた。


 ところが、明日にも核攻撃があるという日のことだった。荷物を最前線基地に降ろしていると無線が入った。


『停戦協定が成立した。すべての部隊は攻撃をひかえろ……』


 その声に、カールは当惑した。核戦争さえ覚悟した日常が、ぷつんと断ち切られ、宙ぶらりんになった感覚だった。


「了解。しかし、どういうことだ? 荷物はどうする?」


『詳細は不明。指令本部からの命令だ』


「間違いないのか?」


『間違いない。荷物を届けて次の指示を待て』


「了解……」


 カールは無線を切ると周囲に眼をやった。仲間が荷卸しの作業に汗を流している。その光景が霞んで見えた。


「カール! ぼんやりするな。そこにいられては邪魔だ」


 ミハイルに声をかけられるまで、夢を見ていたような気がする。


 カールは場所を移動してインカムのスイッチを入れた。


「みんな、喜べ。停戦が決まったぞ」


 仲間にはそう告げたものの、カール自身が半信半疑だった。


『本当か?』とカールと同じ疑問を持つ者もいれば、『ワオ!』とはしゃぎだす者もいた。誰かが国歌を歌いだすと、皆の声がひとつになった。


 偵察ドローンから送られてくる映像には、撤退準備に忙しいフチン軍の様子が映っていた。それまで轟いていた砲声に代わって歌声が戦場を埋め、ユウケイ軍の兵隊は酒を飲んで踊った。前線基地は祭りの場に変わった。


 ほどなく、療養中のイワンが事故死したことで停戦協議が進んだという報道が流れた。フチン政府は、ユウケイ戦争は病で判断力を失ったイワンの暴走から始まった、とイワンひとりに全ての責任を押し付けているらしい。


「何はともあれ、戦争は終わったのだ。良かったじゃないか」


 強面のミハイルが笑った。


「フチンのイワンが死んだのか?」


 カールは、自分の手で彼を殺せなかったのが悔しかった。あのイワンが、事故死という普通の死に方をしたことに納得がいかなかった。


「テレビがそう言っている。独裁者も病気や事故には勝てなかったというわけだ。良かったな、カール。俺たちは自由だ。国を守りきったのだ」


 年上の戦友にハグされ、カールは苦笑した。


 戦闘が終わっても戦争が終わったわけではなかった。戦争は、平和条約が結ばれて初めて終わったといえる。


 ユウケイ民主国とフチン共和国の平和条約交渉は比較的順調に進んでいた。交渉にあたるフチン首相のヨシフが経済的、人的損失の補償をほぼ丸のみに受け入れたからだ。しかし、軍事面では違った。彼は、核兵器の全廃要求を蹴った。フチン共和国が全廃するなら、ライス民主共和国も同じ対応をすべきだ、と条件を出したらしい。


「フチンのヨシフという奴も面の皮が厚いな」


 ミールの街でニュースを聞いたカールは、イワンの顔をヨシフに重ねた。


 戦闘が終わった後、カールの部隊はミールの遺体収容作業に回された。そこで見た光景を、カールは一生忘れることができないだろう。形を留めている建物は高台にある小さな教会だけだった。他の建物は学校も病院も住宅もすべて破壊され、あるいは焼かれていた。瓦礫の山や古い石畳だけが、そこに建物や商店街があったことを示している。郊外の畑には、簡易的な十字架が収穫直前の麦畑のような景色を作っていた。


 十字架が立てられたのは良い方だった。撤退間際のフチン軍には墓を作る余裕もなかったのだろう。大きな穴に数十人単位で、虐殺された住人が埋められていた。路上に、あるいは民家の庭先に放置された遺体もあった。神父さえ殺されたらしく、その遺体も見つかっていない。


「こりゃ、ひどいな……」街の光景を目の当たりにしたブロスの第一声だった。


 膨大な命の喪失の印は人の心を傷つける。「気持ち悪い……」クリスは両手で顔を覆った。


「俺たちの仕事は、あの墓に埋まった遺体の名前を見つけてやることだ」


 ミハイルがカールに代わって説明した。


 十字架に名前が刻まれていたり、それがわかる遺品が埋まっていたりしたなら、その名前と死因をリストに記録して新たな墓地に正しく埋葬する。名前がわからなければ、遺体の特徴を記録し、DNA鑑定用のサンプルを取って保管する。新しい十字架には管理番号を刻む。それが新たな任務だった。


 カールは廃墟を、あるいは十字架の林を見ては、アテナを思った。彼女を失ったことがとても悲しい。彼女と一緒に戦場を走ったことが懐かしい。彼女は自分が守るべきだったのに……。悪魔のような後悔が頭をもたげた。


 彼女が処刑された場面を思い出す。胸が痛み、胃の中からすっぱいものが込み上げてくる。実際、映像を視た時は胃の中の物を吐いた。


 このミールの光景を見ずに死んだのは、彼女にとって幸せだったのかもしれない。……カールは考えたくないことを考えた。


「もしかしたら大統領は、わざわざ俺たちをここに派遣したのかもしれないな」


 ミハイルに肩を摑まれる。


「おそらくそうだろう」


 そう応じ、カールは丘の上の教会に眼をやった。


 その日から、遺体を掘り出すだけの地獄のような日々が始まった。目にする遺体は高齢者と女性、子供ばかりだ。額を撃たれたものもあれば、心臓を撃ち抜かれたものもある。ひどいものは手足を撃たれうえで、最後に止めを刺されていた。腐敗が始まっている遺体も多く、掘り出す際に内臓がこぼれ落ちることも少なくない。


「こんなことなら前線で戦っていた方がマシだったな」


 滅多なことでは弱音を吐かないミハイルさえ、しばしば遺体発掘の苦しさを口にした。ましてブロスやクリスは、1時間ごとに「除隊したい」「殺してくれ」「帰りたい」と泣き言を言った。


 カールは遺体を掘り出すたびに、これはアテナの両親かもしれない、娘かもしれない、と思うようにした。そうしなければ、部下のように弱音を吐いてしまうかもしれない。


 実際、掘り出した遺体はどれもこれも射殺されたもので、アテナが話していたようなミサイル攻撃で吹き飛ばされたような遺体ではなかった。


 戦場で遺体を見慣れたカールも、おそらく遊びのように至近距離から撃たれた遺体を見ると、フチン人に対する怒りや憤りを越えて、人類や文明といった根源的なものに対する信頼が揺れた。人間は、どうしてこれほど残酷なことができるのか……。


 破壊された街の復興は時間や資金を費やせば成し遂げられるが、壊れた人々の心や信頼関係を元通りにするのには、どれだけの時間と苦痛がいるだろう?……そんなことを何度も、何度も考え、夢の中でまで考えていて、困惑と疲労を感じて目覚めることが珍しくなかった。


 ミールに着任して10日目、トウモロコシ畑から住民の遺体を掘り起こしている時だった。


「カール、あれ、見て!」


 隣で手を休めていたクリスが声をあげた。彼女が、道路を走る1台のSUV車を指差した。


「ん?」


 カールがスコップを地面に突き刺して目をやった時、車はもうもう舞い上がった砂埃すなぼこりの向こう側にあった。


「アテナよ」


「アテナは処刑されたんだぞ」


 隣で穴を掘っていたブロスが、クリスを馬鹿にするように言った。


 アテナが処刑された時の映像は一般には公開されなかったが、カールはドミトリーに頼んで見せてもらった。そうしてから見なければ良かったと後悔もした。その後悔が再び頭をもたげていた。あれから声を聞くのも辛く、ドミトリーとは連絡を取っていない。


 ふと思った。戦いが終わった今、彼女の遺体を返還するよう、ドミトリーはフチン政府に要求しただろうか? 彼なら、必ずそうしているだろう。いずれ、英雄墓地で彼女のための英雄葬が執り行われるに違いない。しかし、遺体が戻ったところでどうなる。……カールは、彼女の愛娘や両親を見つけてやることが、唯一できる弔いだと思った。


 ――ザク……、彼女を失った悲しみを忘れようと地面にスコップを打ちこんだ。


「絶対、アテナだって!」


 クリスが言い張り、ブロスが笑う。


「彼女の姉妹や親戚じゃないか? 避難先から戻ったとしても不思議じゃないだろう」


「それはないな。彼女は天涯孤独てんがいこどくだと話していた。おそらく、他人の空似というやつだ」


 カールの頭の中で、ハンドルを握るアテナの真剣な顔が蘇った。

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