第34話 窮地のミカエル ⅱ

「ん?」


 イワンが眉根を寄せて沈黙した。何を考えているのか、その表情からは何も読み取れない。


 静寂が続き、会議室の空気が冷たく沈んでいく。


 イワンは怒っているのだ。……ミカエルの心臓がドクドクと早鐘を打つように鼓動しはじめた。何か、イワンをなだめる言葉が必要だ。が、それが見つからない。あらかじめ考えておいた言い訳は、頭の中からすっかり消えていた。


 痛い、心臓が……。そんな言葉ばかりが脳内を巡った。


 先に口を開いたのは、イワンだった。


「空母を失っては、もう機動部隊とは呼べないだろう?」


 その声に感情はなかった。


 ミカエルは返事ができなかった。イワンの言葉がジョークなのか、それとも、抑制された怒りなのか見当がつかない。


「どういうことだね? ミカエル君。私が3日の猶予を与えたのがいけなかったのかね?」


 シマッタ!……ミカエルは、自分の報告の仕方がまずかったことに気づいた。が後の祭りだ。


「いえ、そういうことではありません。3日間の停戦期間中、我が軍も武器弾薬、兵員の補充を済ませ、態勢を立て直しました……」


 振るえる唇がアワアワいっていた。我ながら情けないと思った。


「我が軍も敵も、それなりに態勢を立て直した。するとモーリェを失った原因は、兵器でも兵員でもなく、戦術にあるということだ」


イワンは相変わらずねちっこい。……ミカエルはこの場から消えたいと思う。


「おっしゃる通りです。ミサイルが格納庫に飛び込んだという不運も手伝っているのではないかと……」


 額の脂汗を手の甲で拭う。


「不運……、それは神への祈りが足りないということかね?」


 イワンの瞳が光った。


「い、いいえ。我が国はフチン聖教を盛り立てております」


「ふむ、すると沈没の原因は……」


 話しが元に戻った。イワンが納得していない証拠だ。


「機動部隊司令官、及びモーリェ艦長は責任を取り、船と共に沈んでおります」


 エアルポリスに侵攻して撃退された陸軍を例にとれば、彼らも責任を果たしたことになる。ミカエルはそう考えた。


「司令官と艦長が責任を取るのは当然のことだ。しかし、モーリェは我がフチン海軍の誇りを象徴する航空母艦だ。搭載された艦載機も数百億ギルになる。彼らの命だけでは、被害を補うのには足りないな」


「では、ジノヴィー海軍大将を更迭いたします」


 ミカエルは即答した。イワンが〝ミカエル〟と口にする前に。


「そうか、ジノヴィーがいたな。……やむをえない。収容所へ。……たるんだ精神は引き締められなければならない」


 イワンの顔に納得の表情が浮かんだ。ミカエルは今が好機と立ち上がり、最敬礼する。


「ハッ、速やかに」


 そう告げると、逃げるように会議室を後にした。


 いかん、いかん。このままでは私の首も風前の灯だ。……歩きながら考えた。


 どうしたらいい?……自分の能力は自覚している。戦況を打開する名案など思い付くはずがなかった。だからこそイワンに従い、イエス以外の返事を封印、彼を褒めちぎることで大臣の地位を手に入れたのだ。ところが今は、イワンの近くにいることがリスクになっている。今更ながら、戦争が身近なものに思えた。


 やはり、ユーリイに頼るしかないか。……考えながら車に乗り込んだ。


 国防省に戻ると参謀総長を呼び寄せ、ジノヴィー海軍大将の後任人事及び機動部隊の解散と部隊の再編成を命じた。


 軍内部の問題を参謀本部に任せてひと心地すると、世間の話題が耳に留まった。兵隊の家族が夫や息子と連絡が取れないと騒いでいるとか、国際連合がユウケイ民主国からの撤兵を要求してきたとか……。


 軍に関わる話は、単なる噂ではなくミカエルの任務と密接な問題だったが耳をふさいだ。それらを知れば、イワンに報告しなければならないものもあるだろう。ひとつひとつを気に掛けていては身が持たない。


 他には、東亜大公国が石油の買い入れ価格を半額に値切ってきたとか、自家用車やスマホの輸出価格を50%も値上げしてきたとか、ギルが再び下落に転じるだろうといった経済的なものが耳に入った。それには、鼻っ柱の強い中央銀行総裁のエリーナを思い出して、ざまあみろ、と鼻で笑った。


 一番驚いたのは、ユウケイのジャンヌダルクが処刑されたという噂だった。親衛隊から秘密警察に身柄を移された後、すぐに処刑されたというのだ。


「そういえば……」


 対面したイワンが、彼女を葬ったと言ったことを思い出した。あの時は緊張のあまりに聞き逃していたのだ。


「何か?」


 秘書官が首をかしげていた。


「いや、何でもない。で、処刑されたというのは事実なのだな?」


「はい。その時の動画もあるという噂なのですが、広くは出回っていないようです」


 大統領はアテナを許したのではなかったか?……ミカエルは平和維持軍支援全国集会でのイワンの演説を思い返した。彼の嘘は珍しくないが、フチン聖教の十字架の前で嘘をつくとは、あの時は思ってもみなかった。


 思考は次の人物に至る。


 ユーリイの奴、何を考えているのだ? イワンを見限ったようなことを話しながら、まるでイワンの忠実な犬だ。……彼がユウケイのジャンヌダルクを殺したのだと確信していた。


 ミカエルは、改めてステージでさらしものにされたアテナの姿を思い出した。なかなかの美女だったのに、惜しいことをするものだ、と彼の中の男の部分が言った。


 情報の真偽をドルニトリーに確認しては、と秘書官に促されたがそうするつもりはなかった。そうした微妙な問題に関心を持っているとイワンに知られたら、自分の身が危ない。


 ミカエルの気持ちを変えたのは、翌日、政界を駆け巡ったニュースだった。財務大臣のコンスタンチンと外務大臣のアンドレが拘束されたのだ。東亜大公国との交渉に失敗し、輸出品の価格が暴落したのが理由だという。それには政治家も経済人も、明日は我が身と恐れおののいた。


 関わらないようにしていても、いたずらに傍観していたら、災いの火の粉は向こうから飛んでくるだろう。ミカエルは、粛清された幹部の中にエリーナの名前がないのを不思議に思いながら、自分の首筋をなでた後、スマホを手にした。


 相手はすぐに電話に出た。


「ユーリイ、話がある。今どこにいる?」


『あの件か? しかし遅かったな。今はチェルク共和国だ。……フチン軍の侵攻が遅れているからだろう。地方政府内に独立の気配がある。しばらく戻れそうにない』


「まさか……」


 彼の答えに言葉をのんだ。イワンの無機質な表情が脳裏を過る。……今度は、自分の番だ……。


『まさかとは心外だな……』


 ユーリイの声に、ミカエルは目を瞬かせた。


『……できることならチェルク軍を戻してほしいものだ。そうすればチェルク政府も独立を諦めるだろう』


「チェルク軍を……」


 チェルク軍は地方政府の管理下にある地方軍だが、それは建前だ。実質的にはフチン政府の予算で活動しており、イワンが私兵のように利用できる軍隊だった。普段は中央政府に批判的なチェルク地方政府を監視しており、反乱やテロの噂があるたびに方々に動員されている。海外紛争での実戦経験も豊富で、イワンに対する忠誠心も強い。


 一方、派遣先で一般市民を殺害し、金品の強奪やレイプを当たり前に行うので、フチン軍内部では評判が悪い。そんな部隊が存続しているのは、イワンが彼らを重用しているからだった。そのチェルク軍は今、ユウケイ戦争で南部戦線の一翼を担っている。


「……それは無理だ。チェルク軍を引き抜いたら、南部戦線が総崩れになる」


『チェルク共和国政府が独立を宣言したら、ユウケイ戦争に勝利する前に、フチン共和国が瓦解がかいするぞ。それでもいいのか?』


 ミカエルは素早く計算していた。現在のフチン共和国を維持するためにはチェルク共和国の安定は絶対条件だが、それで戦況が悪化すればイワンの怒りは自分に向かってくるだろう。チェルク共和国が独立を宣言したら、その責任は治安当局にある。しかし、彼らにしてもチェルクの制圧にはチェルク軍が必要だとイワンに進言するに違いない。


「究極の2択ですな。大統領に決めていただいては?」


 思いついたのは、責任を回避する案だった。ユーリイがそれをのんでくれたら万々歳だ。


 ところが、彼の返事は意外なものだった。


『この程度の決断も出来ないとは……。残念だよ、ミカエル。イワンには私から話しておこう。チェルク軍は私が引き抜く……』


「待ってくれ!」


 思わず、大きな声を上げていた。


「1個大隊だ。チェルク軍から、1個大隊をそちらに向かわせる。それで何とかしてくれないだろうか」


 短い間があった。


『いいだろう。君の決断に感謝する。どうやら、君は長生きできそうだ』


 ユーリイの返事に、ミカエルは胸をなでおろしていた。

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