第33話 窮地のミカエル ⅰ

 ミカエル国防大臣は、イワンに命じられていた。人道回廊の安全を3日間だけ保証しろと。それがイワンなりの慈悲であり世界への、彼なりの人道主義をアピールする方法と受け止めていた。


 戦場の軍隊、特に破壊するほど評価の高まるフチン軍を制御するのは、国防大臣にとっても楽なことではない。ミカエルは、全ての戦域で攻撃を中止するよう、各軍の司令官を無線に呼び出して自ら命じた。それが、イワン大統領の厳命だ、と付け加えることも忘れなかった。万が一、軍が避難民を攻撃するようなことがあったなら、イワンが何を言い出すかわからない。場合によっては、自分も地位をはく奪されかねない。最悪の場合、収容所送りだ。


 短い停戦はフチン軍にもメリットがあった。北部戦線で孤立していた部隊を撤退し、東部戦線の増援に向かわせることが可能になった。他にも、食料や燃料の補給を大々的に行えたし、遺体を収容することも、疲れた兵士に休養を取らせることもできた。


 イワンはもうひとつ命じていた。停戦明けから2週間で、ドミトリーに降伏させろ、と。


§


 停戦期間が開けると、フチン軍は陸に空に、これまで通りの容赦のない攻撃を開始した。


 北部戦線からの撤収によって、他の戦域での補給の効率が良くなり、東部戦線では前進が期待された。ところが、戦況が好転することはなかった。ユウケイ軍もまた新たな兵器を導入していたからだ。


 その翌日、ミカエルは、海軍大将ジノヴィーから受け取った報告文書に目をむいた。ユウケイの南岸を遊弋ゆうよくしていた機動部隊の航空母艦モーリェが、対艦ミサイルの攻撃を受けて沈没したというものだった。


「対艦ミサイルは撃ち落とせるのではなかったのか? 警戒を怠っていたのか?」


 座り心地の良い椅子に腰を沈めていたミカエルは、机の向こう側に直立するジノヴィーを上目遣いに見た。


「3日間、交代で上陸休暇を与えました。その直後のことでしたので……」


「停戦時の不意打ちだったと?」


 ミカエルは改めて報告書に眼を落とした。攻撃を受けたのは停戦明けの翌日の昼間となっている。


「いえ……、休暇明けの……。どうやら低空で飛ぶ新型のミサイルのようでして……。囮のチャフもあり、それに対応している間にレーダー網を突破されたのです」


 ジノヴィーが額の脂汗をぬぐった。


 君まで休暇ボケかね、と出かけた言葉を、ミカエルはグッとのみこんだ。大きく息を吸うと記憶が整理され、確認すべき疑問がわいた。


「チャフ?……エアルポリスの時のように、玩具のドローンの囮に引っかかったのではないだろうな?」


「エアルポリス……、どういったことですか?」


 ジノヴィーが首をかしげた。


「聞いていないのか……」


 ミカエルは自軍の連携の悪さに舌を鳴らした。「知らないのなら、いい」と切り捨て、目の前の将軍が知っているはずのことに話を戻した。


「……それで、あのモーリェがたった2発で沈んだというのか?」


 昨年の夏、観艦式で見た航空母艦モーリェの巨大な勇姿を思い出した。報告書には誘爆が起きたと書いてあるが、納得できることではなかった。


「運悪く1発が航空機用のエレベーターから格納庫に飛び込んだのです。そこで誘爆が起きました。それが致命傷です」


「とはいえ、たった37分で沈んだというのか……。800名以上の兵隊を道連れにして……」


 こんな話を聞いたら、イワンがどれほど怒るだろう。想像しただけで身が縮む。


「ですから、誘爆が……」


 ジノヴィーの言葉は、ミカエルの脳に届いていなかった。彼の頭はイワンのことを考えることだけでオーバーヒートしそうだった。……この報告をせずに済ますことはできないだろうかとか、いつ、どこで、どのように伝えたら怒りの矛先から逃れられるだろうとか……。そんなことが脳内をぐるぐる駆け巡っていた。


 ミカエルの不運は続いた。その夜、無人と化したエアルポリスに設けたばかりの前線基地が、長距離りゅう弾砲の集中砲火を浴びて司令官もろとも消滅したのだ。生き残った兵隊たちは武器を捨て、20キロも後方の街へ逃げ込んだ。


 ミカエルは数日前を懐かしんだ。現状に比べたら、戦いのない3日間は天国にいるようだった、と。――軍人に必要なのは戦争ではない。戦争があるかもしれないという緊張感だけだ。戦争になったら、貧乏くじを引くのは軍人だ――、脳裏をユーリイの声がよぎった。


 翌朝、覚悟を決めたミカエルはヨシフに電話を掛けた。イワンの居所を確認し、被害を報告するためだ。


『大統領は静養中です……』


 受話器から澄ました声がした。多くの閣僚がヨシフを、自分の娘をイワンに差し出し、いつも彼の側にいて他人の失敗を耳打ちする〝虎のを借る狐〟だと考えている。が、どれだけ気にいらない相手だとしても、彼を通さなければイワンの顔さえ見られないのが今の政府だった。


「どこか、悪いのですか?」


 いっそのこと、病気でころりと逝ってくれたらどれだけ楽だろう、とミカエルは思った。


『大統領の健康について、私の口からは申し上げられません。……急用であれば、私からお伝えしましょうか?』


 ありえない、と思った。イワンは重要事項を他人の口から聞くのを嫌う。ましてヨシフは虎の威を借る狐。彼に任せたら、どんな形で話が伝わるかわかったものでない。


「電話で話せるようなことではないのだ」


『大統領の所在も、電話でお伝えするわけには……。大統領にうかがいをたて、折り返し連絡いたします』


 そうして電話がプツリと切れた。


「キツネめ」


 受話器に向かってなじった。


 ミカエルはヨシフからの連絡を待った。しかし、30分経っても返信がない。


「あいつめ……」


 しびれを切らし、ユーリイに電話を入れた。彼ならイワンと直接連絡が取れるだろうと考えてのことだ。


『ミカエル、連絡を待っていたよ。気持ちは決まったのだろうな?』


 受話器から聞こえた声は、低いながらも弾んでいるように感じた。


 彼が平和維持軍支援全国集会の時のことを話しているのはわかった。それに対する答えは、まだ出ていない。


「すまない。別の用件だ……」


 受話器の向こうからため息が聞こえた気がした。


 ミカエルは、報告したいことがあってイワンの所在を探している、と伝えた。


『私も引退した身なので、いちいち彼の所在は確認していないのだ。まあ、他ならぬ君の頼みだ。捜してみよう。5分、待ってくれ』


 そう言うと彼が電話を切った。そしてきっかり5分後、ミカエルの電話が鳴った。


『彼は今、トロイアの病院にいる。すぐに会うのは無理だろう』


「病院? どこが悪いのだ?」


『定期健診ということだが、どうだろうな。イワンも60代だ。具合の悪い場所があるのが普通だろう。一般市民のように、彼を神やスーパーマンのように考えるな。彼も普通の人間だ。だからといって彼の死をじっと待つような馬鹿なことも考えるな』


 彼がそう言って電話を切った。


 ユーリイの威厳にのまれたミカエルは、ろくな礼も言えずに受話器を置いた。彼にはとてもかなわない、と心はもろ手を挙げている。


 それにしてもどこが悪いのだろう、とイワンの健康状態を考えた。そして、自分の身の振り方を……。もし、今イワンが病に倒れたら、ユウケイ戦争の遂行とその責任を誰が担うというのだろう? まして敗戦の可能性があるなら、イワンが生きているうちにケジメをつけるべきだろう。責任はすべて彼にある。……保身をたくらむ声が脳裏を過った。


 ヨシフから連絡があったのは午後になってからだった。イワンが時間を作るというので大統領府を訪ねた。


「エアルポリスは落ちたのだろうな?」


 それが会議室に姿を見せたイワンの第一声だった。見たところ健康に異常があるとは思えなかった。


「ハッ……」


 ミカエルは、20メートル先の席に向かうイワンの背中に向かって頭を下げた。彼が椅子に腰を下ろしてから、改めて口を開いた。


「……市民と共にゴーレム部隊も撤退し、エアルポリスは無人となりました」


「結構。ユウケイのジャンヌダルクもあの世に葬った。もはや、我々の前に敵はいない。ミカエル君、そうだろう?」


 イワンの満足そうな姿に、ミカエルの背中を冷たい汗が流れた。最大の敵、ドミトリーの名前をイワンがどうして口にしないのか、理解できない。


「恐れながら……」


「何だ? 言い難そうだな」


「そのエアルポリスですが、一旦、前線基地を設置したものの、敵の集中砲火を浴びて撤収いたしました」


「撤収……」イワンが首をひねる。「……フチン陸軍が後退するなど、聞き捨てならない。すぐに司令官をげ替えろ」


「司令官は、その砲撃で戦死しております」


「そうか。ならば仕方があるまい。無能だったのだ」


 イワンが淡々と応じるので胸をなでおろし、ミカエルは次の報告に移った。


「海軍ですが……」


 報告書を掲げると、ヨシフがやって来てそれを受け取った。彼がイワンの前にそれを置いたのを見計らって説明を始める。


「ユウケイ軍が放った対艦ミサイルによって、機動部隊の旗艦である航空母艦モーリェが沈没しました。ミサイルのひとつが航空機格納庫内で爆発。戦闘機の燃料や弾薬が誘爆したとのことです。対艦ミサイルは西部同盟から提供されたもので、この3日間のうちに沿岸部に配備されたものと思われます」


 報告を終え、イワンの反応に注目する。

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