第21話 飢餓の街 ⅲ

「掛かった!」


 オレクサンドルが声を上げた。アテナは彼のパソコンに目をやった。カールもそれを覗いた。


 オレクサンドルが言うのが対空ミサイルだとはわかるが、彼がどうしてそう判断できたのかはわからなかった。


「どうしてわかるの?」


「ここを見てよ」


 彼が黄色の小さな文字を指した。48・47……と数字が減っていく。決定的だったのは、画面が一瞬パッと明るくなって、直後、黒く変わったことだった。


「今、対空ミサイルにやられたところだよ」


 彼の言葉が終わるころには、画面には別のドローンから送られた映像が映った。相変わらず黒い森の映像だ。画面の黄色い数字は40まで減っていた。

「やられっぱなしね」


「速度が遅いから、ドローンが対空ミサイルから逃げられることはないよ」


 オレクサンドルはゲームでも楽しんでいるようだった。


 カールの無線機に連絡がある。短いやり取りをする彼が顔を紅潮させていた。


「ゴーレム部隊から連絡があった。ミサイル防衛システムで、敵の迎撃ミサイルを多数確認できたそうだ」


「そりゃ、そうさ」


 オレクサンドルが得意げに語り、それから首をひねった。


「フチンの連中、対空ミサイルをいくつ持っているんだろう?」


「フリゲート艦1隻で30から50発ぐらいは備えているだろう」


 カールが応じた。


「ふーん。400機じゃ足りないのかな?」


「今、洋上にいるのは2隻、あとは陸上のミサイルだが、ユウケイ空軍の航空機数の倍程度を用意していると考えたら十分なはずだ」


 そんな会話が行われている間にもモニターの数字は、35・33・30と小さくなっていく。そして22で止まった。


『ドローンの減少が止ったら、残存数を報告しろ』


 カールが命じると『22』『30』『24』『15』と、オペレーターの報告が続いた。


 フチン軍は対空ミサイルを撃ち尽くしたのだ。補給があるまで、あるいは戦闘機が出てこない限り、空が安全になったといえた。


「よし、空はフリーだ」


 カールが声を上げ、あちらこちらで歓声が上がる。


 彼は部隊に出発を命じた。パソコンのモニターを見つめていたオペレーターや運転手が、意気揚々とトラックに乗り込み、カールのトラックを先頭に隊列を作った。


 荷台で揺られるアテナは、念のために携帯型の対空ミサイルを準備し、パソコンを見ているオレクサンドルに防弾チョッキを身に着けるように命じた。


「邪魔だよ」


 そう言う彼に自動小銃を突き付ける。


「そんな目立つダウンジャケット、格好の目標になるわよ。それに戦場では、味方の弾丸にやられることもあるのよ」


 脅かすと、彼は渋々防弾チョッキを身に着けた。


 トラックの上空をユウケイ空軍の戦闘機が雲を引いて飛んでいく。


「ヒャホ―。これで敵の戦闘ヘリは出てこられないぞ」


 荷台でオレクサンドルが踊った。


 アテナは対空ミサイルを置いて、対戦車ミサイルに持ち変える。


 ――バラバラ……、爆音がしたかと思うと、友軍の戦闘ヘリが頭の上を追い越していく。もうエアルポリスは目と鼻の先だ。


「ここまでは順調そうね」


 アテナは、ほっと溜息をついた。


 ――ドーン――


 遠くから爆裂音が届く。街の周辺で戦闘が始まったのだ。車列は、その爆音の中に突っ込むように走った。


『視界良好』カールの声がする。


 激しい戦闘で穴だらけになった道路はゴーレム部隊によって確保されていた。破壊された戦車や装甲車の残骸が折り重なるように並ぶ様子は、戦車の墓場のようだった。それらや穴を右に左に回避して、トラックはエアルポリス市街地へ、無傷で侵入することができた。


「これは……」アテナは目を見張った。


 街は灰色のコンクリートの塊にすぎなかった。ほとんどの建物は砲撃を受けて壊れている。ガラスがはまっている窓がみつからなかった。店舗の看板も破壊され、街路樹もなぎ倒されて灰におおわれている。あちらこちらに市民や兵隊の遺体が転がっていた。


「地獄だな」


 オレクサンドルも街の惨状に驚いていた。が、それをカメラに収めるのを忘れてはいなかった。世界の同情を集めるにしても、フチン共和国の蛮行を責めるにしても必要な証拠だ。


 トラックはあらかじめ決められていた数カ所に分散して止った。アテナは自動小銃を手にして荷台を下り、周囲を警戒した。


 ――ダンダンダン……、ドドドドド……、市街地の四方八方で銃撃戦の音が続いている。上空には無事だったドローンが旋回しているはずだが、それを見上げる心の余裕はなかった。


 ゴーレム部隊と戦闘ヘリが惹きつけているおかげで、トラックの周囲に敵の姿はなかった。戦闘機は沖合に停泊している軍艦への攻撃にあたっていた。それで艦砲射撃もなかった。


『荷物を降ろせ!』


 カールの指示のもと、アテナは運転手たちと共に食料品の荷卸しにかかった。オレクサンドルだけは「肉体労働は僕の仕事じゃない」と言って写真を撮り続けた。


 地下壕に隠れていた市民が蟻のように這い出してくる。皆、ガリガリに痩せ、目を爛々と輝かせて……。その顔は恐怖と喜びの入り混じった不思議なものだ。


 トラックは人波に囲まれた。彼らは喜びと感謝の言葉を口にして、荷物を地下壕に運んだ。黙々と……。


 彼らの姿を目の当たりにすると、さすがのオレクサンドルも荷物おろしに加わった。


 外部から救援が届いても脱出できる者はわずかで、多くの者は再び地下壕の暮らしに戻らなければならない。それを思うとアテナは泣きたくなった。自分が居残り、代わりに誰かを乗せてやれば……。そんなことを考えながら作業にあたった。


 荷卸しが終わると、幼い子供のいる家族と病人を荷台に乗せた。


「カール、私……」


 アテナはインカムで彼を呼んだ。


『残ることは認めない』


 何も言わないうちにカールの声がした。


『これは命令だ。君にはもっと働いてもらわなければならない。これは、大統領の命令でもある』


 繰り返される〝命令〟に、アテナは従うしかなかった。


 どこからともなく避難民を満載にしたバスや自家用車が現れて、エアルポリスを出発するトラックの車列に加わった。


 残る者たちが笑顔で車列を見送っている。脱出する者は泣いていた。


「4時間で戻るからな!」


 トラックの運転手が見送る者たちに向かって叫んだ。


 戦闘機や戦闘ヘリは燃料補給のために上空にはいなかったが、ゴーレム部隊が忍耐強く郊外の林の中で戦っていて、道路の安全を確保していた。車列は銃弾の飛び交う林の中の道を走り抜けた。


 太陽が天頂に落ち着く頃には、部隊は小麦畑を貫く真っ直ぐな道を走っていた。まもなくアルテミスの街だ。そこで避難民を降ろし、給油をしてからエアルポリスに戻る計画だった。同じころ、空軍も上空に戻る手はずだ。


「すごいよ、ジャンヌ」


 揺れるトラックの中で、隣に座っていたオレクサンドルがスマホを示した。


 それはドミトリーがアップした動画だった。アテナたちがセントバーグに戻るより早く、エアルポリスへの特殊作戦の成功と、市民を餓死に追い込もうとするフチン軍への批判を発表していた。その一部にはオレクサンドルが撮影した映像が使われていて、廃墟と化したエアルポリスの街並みと、荷物を降ろすアテナの姿が映っていた。それを示し、『ジャンヌダルクが作戦を立案し、その先頭に立っている。我々は必ずや、フチン軍を倒すだろう』ドミトリーが高らかに宣言していた。


 エアルポリスにいた者たちは情報が不足していて、その時初めてアテナが、大統領を、そして自分たちを救ったジャンヌダルクだと知った。


 尊敬と羨望の眼差しがアテナに集まる。それをどんな風に受け止めればいいのか、アテナにはわからなかった。


 アルテミスで避難民を降ろした特殊作戦部隊は時間を惜しみ、今度は少しばかりの食料と飲料水を積んで出発した。再びエアルポリスの街へ……。


 その日と翌日、翌々日と、特殊作戦部隊は6度エアルポリスに突入し、ほぼ1万5千人の市民を救助した。部隊は敵の攻撃と地雷で、2台のトラックとひとりの運転手を失った。


 カールが作戦の終了を決断したのは、航空母艦を主力としたフチン海軍の機動部隊がエアルポリスの沖合に移動しているという情報を得たからだった。彼の判断をドミトリーも支持した。


 特殊作戦部隊はアルテミスで解散し、メンバーはそれぞれの仕事に戻った。アテナは、カールたちと共にセント―バグに帰還した。


「よくやってくれた。君たちは、まさに英雄だよ」


 アテナやカール、オレクサンドルらを前に、ドミトリーが賞賛した。彼を取り巻く大臣たちも顔をほころばせていた。しかし、エアルポリスの惨状を目にしてきたアテナやカールは素直に喜べなかった。


「まだ10万人以上の市民が取り残されています。彼らは雑草やペットを食べて命をつないでいるのです。早急に次の作戦を!」


 アテナは進言した。


「しかし、機動部隊が出てきたとあっては、ドローンの囮作戦は通用しないだろう。今回のような作戦が成功したとしても、全員を避難させるには延べ30日かかる計算だ」


 ドミトリーの分析に異論を述べる者はなかった。


「やはり、根本的な停戦を実現させるしかないのです」


 外務大臣のオリガが知的な瞳を彼に向けた。停戦協議はフチン軍が進行を開始してから1週間後にははじまり、4週間ほど続いていた。それで激戦地から市民が避難する人道回廊がいくつか設置されたが、現実はフチン軍による合意やぶりが頻発ひんぱつし、市民の避難はうまくいっていない。その最たるものがエアルポリスだ。


「ふむ……」


 顔を曇らせたドミトリーの視線が一瞬アテナを射た。彼はすぐにそれを逸らし、ユウケイ民主国全土を表示した巨大な地図に移した。


「実は……」オリガが口を開く。


 アテナは彼女の熱い視線を感じた。

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