10

「だから……俺はあの教師を殺して……これでやっと……救われると……」


 穂西光輝は視点の定まらない虚ろな目で、独白を続けている。

 加賀のオリジナル魔術〈断末魔の短編小説Den Flämtande Novellen〉の効果だ。

 加賀からの質問に対し、全てを明らかに答える自白魔術である。


 光輝は加賀に口を奪われたままであるにもかかわらず、饒舌に言葉を発している。

 その光景を、俺の後ろに隠れてトオルはどこか悲しげに眺めている。


「……これ、どういう仕組みなんすか? 口、無いじゃないっすか」

「声帯を通さなくたって告解はできるさ。じゃないと、喉が潰されていたり、意識がない人を尋問できないじゃないか」


 加賀はこともなさげに答えるが、どう見ても絵面が酷い。

 人権を1gも考慮していない加賀の「尋問」は、明らかに常軌を逸している。

 言葉は深層心理から生み出され、嘘を吐くことどころか、心の隅々まで明け透けにし、隠すことはできない。

 俺は、何があっても加賀を敵に回すことはすまいと心に誓った。


「……好きだったんだ……本当に彼女のことが……だから、俺は苦しくて……」


 加賀の独白は続く。

 それは、散り散りに散った感情の発露だ。

 ストーリーの起伏もなければ、整合性もない。


 しかし、決して覆い隠されることのない――彼の本心なのだ。


「好きで好きで……だから、どうしても忘れたかった……もう、耐えられなかったんだ……」


 スン、スンと、後ろからすすり泣く声が聞こえてくる。

 どうやら、トオルは光輝に同情して泣いてしまっているらしい。


「何、お前泣いてんの?」

「だって……かわいそうじゃないですか」

「……そうかぁ? そりゃ、ブレイクポイントで何かあって、好きな女を見失ったってのは同情するけど……伊坂を殺したり、周りを巻き込んで忘却魔術を発動させようとしたのは、さすがに同情の余地ねぇだろ」

「そうかも知れないですけど……この人、きっとその人のことが好きだっただけなんですよ」


 穂西光輝の刻んでいた魔法陣は、忘却の陣だ。

 通常、忘却の陣は、直前に起きた出来事の記憶を消すだけのシンプルな効果だ。

 脳に定着する前の短期記憶を、数分程度まるごと吹っ飛ばすだけの簡単な魔術。


 しかし、この魔方陣の効果はそれにとどまらなかった。


 直前ではなく、過去の、それもピンポイントで忘れたい記憶だけを消すなどという都合のいい魔術は存在しない。


 記憶は――不可逆。

 それは、すべての記憶が世界のログと紐づいているからだ。

 すなわち、物理法則の完全支配を受ける我々凡人にとって、意図的になにかを忘れることなどできないのだ。


 それがどれほど苦痛に満ちたものであっても――


 もちろん、ログを消せばその限りではないが――その場合、忘れるのではなく、はじめから存在しなかったこととなる。

 といっても、ログを消すなどというのは、並大抵のことではないのだが。


 故に、光輝の陣は「忘れたいこと」ではなく、「自分が一番大切に思っているものを思い出せなくする」ようにカスタムされていた。

 これならば、ピンポイントではないし、ログに手を入れる必要もない。

 正しくは忘却したことにはならないが――結果としては同じこととなる。


「よくできた陣だよ、ホント。何物なんだろうな、ストゥルトゥスって」


 加賀は頭をかきながら呟く。


「ストゥルトゥスなんて、この世界に住む人間にしてみれば、言わば「匿名インコグニート」みたいな意味だぜ? しかも、ご丁寧に光輝君の記憶から自分についての情報を綺麗に消してやがる。これじゃあ聞き出すことはできないかな」

「あれ? 特定の記憶を消すことはできないんじゃないんですか?」

「うん。でも、事前に消去する仕組みを用意しておけば、その限りではないね。消す前提の情報伝達方法は、僕たち管理者もよく使うよ」

「ふぅん……じゃあ、結局無駄足ですかね」

「いやぁ、魔法陣の発動を未然に防いだだけでも上出来上出来」

「もし発動してたらどうなってたんです?」

「これだけ複雑な陣になると、燃費がバカみたいに悪いからね。光輝君の魔力じゃどうしようもない。だから、おそらく陣を中心に、半径数百メートルから――下手をすると数キロの範囲で『物忘れ』が発生しただろうね」


 うげぇ……それはエグい。


「しかも、忘れるのは『その人にとって一番大切なもの』ときた。伴侶や子供のことを忘れる人間たちが大量発生だ」


 ひどすぎるだろ、それ。


「さらにご丁寧にだ。二度と元通りには戻らない。忘れるというか、完全にログが消されてなかったコトにされるようなもんだ。光輝君の苦しみには同情するけど、流石に看過できないよね」

「そりゃそうだ」

「あー、そろそろ独白も終わりそうだ。辛いだろうけど、ちゃんと見ておいたほうが良い。そら」


 光輝はうつろなまま、涙を流していた。


「忘れたかったけど……本当は忘れたくなかった。できることなら、ずっと好きなままで……」


 震える手を天に向けると、加賀、俺、トオルを見て、空を仰ぐ。

 目を瞑って、蚊の泣くような声で、最後の言葉を放った。


「君の気配がする。もしかして、ずっと、そばに居てくれたの……? 君の顔、忘れちゃって……ご、め、……」


 ふっと、光輝の体から力が抜ける。気を失ったようだ。

断末魔の短編小説Den Flämtande Novellen〉の効果が消えたのだ。


 後ろから「うぐっ」みたいなくぐもった泣き声が聞こえる。



『――システムメッセージ。事前に設定されたコールを発動します――』



 機械的なメッセージが響く。


『――コール。自壊魔術〈あなたのお陰だ、ありがとうWe Thank You Very Sweetly〉を発動します――』


 とたん、光輝の姿は形を失い、闇に溶けていく。

 指先から少しずつ透明になっていき、服の膨らみがなくなっていく。

 しばらくすると、光輝はこの世から消えてなくなり、着ていた服だけが残っていた。


「これまで『ストゥルトゥス』と同一と思わしき人物が起こした事件は3件。その全員が、時分に関する情報を話せば自壊するよう設定されていた。今回で4件目だね」

「……これで、明日からはこいつがになるんすか」

「そうらしいね。もう、親も友人も、全ての人が、光輝君の存在を忘れているだろう」

「チッ……胸糞悪い……」

「ま、僕たちだけは覚えておいてあげようよ。自分勝手でわがままで、哀れな哀れな光輝君のことを」


 すでに彼の存在は、魂レベルで抹消されてるから、僕たちの記憶以外には存在しえないけどね、と加賀は言う。

 見れば、トオルは光輝が残した服を前に、手を組んで祈りを捧げている。

 こいつ、もしかしてクリスチャンなのかな。


「別に弔い合戦ってわけじゃないけど、ストゥルトゥスのことはなんとかしないとね」

「でもストゥルトゥスって名前だけじゃ何もわかんないっすよね。年齢も性別も不明ってんじゃ……」

「どうせなら、名前や、存在そのものの情報を抹消すれば良いものを、わざわざ残してるってことは、挑発でもしてるのかね」


 加賀は立ち上がって、尻をパンパンと叩く。


「さて、帰りましょうか。今日はご苦労さま」

「……はい」


 トオルも立ち上がる。

 そして、俺の袖をつまむ。


「……もう接触しておく必要はないんだけど?」

「わかってます。わかってますけど……もうちょっとだけ……なんか、悲しい気持ちで、寂しくて」

「あ、ああ……まぁ、いいけど」


 スンスン泣いてるトオルと、トオルに縋りつかれて困り果てている俺を無視して、加賀はさっさと歩き始める。


「じゃ、また明日、華道室で」

「はい、華道室で」


 ▽


 こうして。


『忘却少年』穂西光輝による忘却魔術事件は、無事忘却されることとなった。


(了)

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