敗走


「今何て!?」

「ナスカは諦めろ」


 滝澤は痛む頭を押さえながらヴィルの発言に耳を疑う。浴衣姿で片膝を立てたまま、ヴィルは盃を煽った。


「あれは化け物だ。我々が勝てる相手では無い」


 ヴィルは相当に酔っていた。昏睡状態であった滝澤を回復薬で治療している間にかなりの酒を呑んだのだろう。


「恥じる必要は無い。負けたことも、諦めることも……」


 ヴィルの言葉を聞き終わる前に滝澤は立ち上がり、足を引き摺ったまま襖を開けて部屋を出ていく。


「滝澤、何処へ行く」

「小便」


 掴む物のない右手は空を握っている。滝澤の行き先は決まっていた。襖を閉める直前、滝澤は赤い頬のヴィルに告げる。


「もう着いて来なくてもいい。俺は一人でも魔王になれる」


 ぴしゃり、と襖が閉まる。


「もう着いて来なくても、か……」


 ヴィルは呟く。おそらく滝澤は待っていても戻って来ない。見放された、というよりかは逃げるようなヤツは着いてきても死ぬぞ、という意味合いに近しい。

 ヴィルは賢明であった。熱血漢である滝澤は気付いていないが、ヴィルが旅館への撤退を決めなければ滝澤もルナも仲良く蟻の餌と化していた。


「……滝澤?」

「ルナ、まだ寝ていろ。打撲の傷が治っていない」


 ヴィルは布団から起き上がったルナをもう一度寝かし付ける。実質的怪物の滝澤と違い、ルナは普通のモンスターである。


「私は……どうすれば……」


 ヴィルを頭痛が襲う。恐怖を紛らわす為の酒が、彼女に牙を向いていた。




 部屋を出た滝澤はビスマルク邸での戦いを思い出す。あの時は、ナスカが支えてくれていた。


「ナスカ、絶対助けるからな」


 滝澤は次から次へと部屋を巡り、女将を探す。しかし、先に出会ったのはルーズだった。


「滝澤、戻ってたのか。……なんか、傷が増えたな」

「あぁ、まぁ……名誉の……いや、恥ずかしい傷だ。女将さんは居るか?」


 滝澤は顔の擦り傷を手で隠す。その手もボロボロだった。見かねたルーズは滝澤の顔に顔を近付けた。


「お前、女将さんに会う前にすることがあんだろ」

「……へ?」




 またもや上半身裸にされた滝澤は庭の滝の前に立たされる。


「これは、まさか……」

「いくぞ滝澤!」

「待っ!?……」


 ルーズは千切れるほどの勢いで綱を引いた。流れを堰き止めていた岩が離れ、滝澤を襲う、滝。

 最初こそ悲鳴を上げていたが、大いなる自然の力を受け、滝澤の頭は徐々にクールダウンしていく。


「落ち着いたか?」

「もうちょっとだけ……」


 母親に起こされる学生のような台詞を吐きながら自然に身を任せ、意識を揺蕩わせる。


「よし!」


 カッと目を見開いた滝澤は滝を離れ、ルーズから布を受け取る。


「目が覚めたようだな。次にすることは?」

「部屋に戻って作戦会議!」

「うっし、行ってこい」


 バンッとルーズは滝澤の背を叩いた。


「ありがとな、ルーズ!」

「おう!」


 ルーズは意中の男にニカッと笑いかけた。




「ただいまァ!」


 勢い良く襖を開けた滝澤にルナが飛び起きた。寝ても醒めても、空気の読めない男である。

 およそ滝澤が帰ってこないものだろうと思っていたヴィルに至っては手に持っていた盃を取り落としていた。


「戻ってきたのか……!?」

「おう、頭冷やして帰ってきたぜ。さぁ作戦会議だ」


 髪を濡らした滝澤は布団の上に水滴を落とさないように座布団に腰掛けた。


「……と、その前に。ヴィル、ありがとな。俺たちを助けてくれて……おわっ!?まだ俺濡れてるぞ!?」

「滝澤ぁ!」


 ヴィルは滝澤の胸に顔を擦り付ける。そのままルナの居る布団に滝澤ごと転がり込んだ。


「ルナも混ざるー!」




 布団の上でのわちゃわちゃを経て滝澤、ルナ、ヴィルは車座になって作戦会議を行っていた。


「ルナが戦ったのはあの大きい(何がとは言ってない)メイドか」

「うん、風が全部壊された」

「何風壊すって」


 ルナがアイラに風の弾を殴り壊されたことを話すと滝澤は震え上がった。


タマを拳で!?恐ろしや……」


 別のものを連想している滝澤は置いておき、ヴィルはメモ代わりの木の板にアイラの特長を記す。


「あ、それとアレだな。モンスターを召喚してたぞ。あれが召喚魔法だよな」


 滝澤は木の板の端にアイラの出した魔法陣を描いた。円自体はそこまで綺麗では無いが、細かな模様まで忠実に再現されていた。


「滝澤、上手ー!」


 ルナが拍手する。ヴィルも感嘆の声を漏らしていた。


「これだけ細ければ女将も何か分かるかもしれない。後で尋ねてみよう」

「いえ、その必要はございません」


 襖を開けたのは女将だった。来た時以上に着物をキチンと整えている。目線も心做しか鋭い。


「お客様、隠していて申し訳ございませんでした。皆様が出会ったのはこの一帯の領主、サン・アルバート様でございます」


 女将は懐から木刀を取り出すと、滝澤に返した。


「こちら、お返しさせていただきます」


 滝澤は恐る恐る木刀を受け取る。どうやら磨かれていたようで、滝澤の付けた汚れその他諸々が一切合切消えていた。


「あ、ありがとうございます?アイツってそんな有名なヤツなんだ」

「ええ、領主になった当初と今では随分と御姿を変えられたようですが」


 女将は意味ありげに目を伏せる。


「姿が変わった?」


 女将は座敷に腰を落ち着けた。ちなみに、ナーガにとってのが何処かは彼女達にしか分からない。


「話は旅館の経営が上手くいき始めた三年程前のこと……」


 まさしくテンプレートな始めで女将は彼女とアルバートの出会いについて語る。




 ─「予想以上だ。こんなに素晴らしい旅館があったんだね」


 浴衣姿のアルバートは扇子を扇ぎながら旅館を見上げた。アイラも召使いの服ではなく、アルバートと揃えた浴衣で彼の横に立っていた。


「ええ。モンスターの身でここまでニンゲンの生活を再現するとは……」

「アイラ」

「は、はい」

「モンスターの身で、じゃない。彼らだからこそ生み出せた物だ。高慢なニンゲンには作れないさ。ですよね、女将さん」


 女将は柔らかい笑顔でええ、と頷いた。ニンゲンを泊めることへの反対勢力を押し切って決行したアルバートの招待だが、反応を見るに好感触だった。


「アイラ、また来よう。きっと何度来ても、ここは飽きない。何度でも来れるよう、僕らも頑張らなければね」

「ええ、お世話になりました。この旅館が続けられるよう、我々も尽力いたしますので。またよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそありがとうございました。どうぞ、ご贔屓に」

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