肆章-思い、邂逅

加速する焦燥

『―勝手な判断でごめんなさい。和気藹々と話す三人の姿を見て、滝澤にとって私は必要ないんじゃないかと思いました。だから、私は今まで通り、放浪の生活に戻ります。滝澤が魔王になれることを、祈っています。』


 ナスカの書いた手紙を見て、滝澤は自分の愚かさを深々と思い知る。何も、彼が全て悪いというわけでもない。どうしてもナスカのように冷静に状況を見定める性格の者は他者から一歩引いた位置に居ることになりやすい。


「ヴィル、この近くの地図は分かるか?」

「ああ。ナスカは我々の進路である南には向かわないだろう。それに、追われることも想定済みだとして……東の出名イズナの森か。いや、あの辺りにはニンゲンの城がある。流石に……」


 滝澤は部屋を飛び出した。一度浮かんだ嫌な予感は留まるところを知らず、膨れ上がっていく。

 土地勘のあるヴィルはその城の存在を知っていても、ここに来たばかりのナスカが冷静に辺りを調べているわけがない。


「(ナスカ……!)」


 長い廊下を玄関に向けて駆ける。途中でいくらかの使用人と客にぶつかりかけたが、持ち前の反射神経で躱した。それに、滝澤が速すぎてニンゲンだとも認識されなかったらしい。


「お、なんだそんなに急いで……おい、服ぐらい着ろよ!」


 玄関の扉を開けて現れたルーズの横を滝澤はすり抜ける。着ているだとか着ていないだとか、今は後回しだった。今、遅れたらナスカを失ってしまう。焦燥感に流されるまま、滝澤は旅館を後にした。




 幸い、旅館は街の外れにあったため、誰にも見られることなく滝澤は街から脱出出来たようだ。

 滝澤は暗がりの平原を鬱蒼とした森に向けて走る。風を切りながら、滝澤はぼんやりと『走れメロス』を思い出していた。


「(誰かのために走るなんて、久々な気がするな。前は……ああ、あいつの時だったか)」


 滝澤の脳裏に秋ごろの記憶が蘇る。




 ―コンクリートで囲われた閉鎖空間。金髪の男は床に転がされているその女を一瞥した。


「おい、そろそろ縄解けよ。こんな臭ぇところに長く居たくねぇんだ」


 桃色の髪に切れ長の瞳。風光明媚といった容姿の彼女は縄で縛られて尚余裕を見せている。煮え切らない男は舌打ちする。


「シマ、こいつもうヤってもいいんじゃねぇの?」


 ジャージ姿を着た別の男が女の前に身を屈めようとしたところを金髪の男が服を引っ張って止めた。女が舌打ちする。


「馬鹿、まだ手を出すな。こいつが元気なうちは出した噛み千切られると思え。ムカつくが、しばらく遊んでやろう」


 女の頭を金髪男の足が踏みつける。刹那、空間を閉じていた扉が蹴り破られた。


「迎えに来たぞ馬鹿姉貴!……って、なんだよ、つまんねぇの」


 竹刀袋を背負った滝澤は床に転がされた姉を見てげんなりする。


「予定時刻三分二十五秒前。合格だ」


 滝澤の乱入に驚愕していた二人の背後で滝澤家長女、滝澤仙理は自身を拘束していた縄を千切りながら立ち上がった。


「な……」

「アタシ捕まえてぇなら鎖でも持ってくるんだな。それもとびきり硬いのを持って来いよ」


 拳を打ち鳴らす仙理と竹刀を抜いた滝澤に挟まれ、男達は悲鳴を上げた。




「……あの時も、こんな風に邪魔が入ったんだっけか」


 森の中に入り込んだ滝澤を巨大な蟻の群れが出迎えた。一際目立つ体の大きな統率者が指揮しているようだ。


「へぇ、まぁお前ら大して強くないだろ」


 滝澤の経験上、群れて戦うものの単体の能力はあまり高くない。強いのはリーダー格のものだけ。所詮その力に群がっているだけだと滝澤は非難する。


「相手してやるよ。そういや木刀置いて来たけど、これでいいだろ」


 足元の木の枝を蹴り上げ、キャッチする。そうして次の瞬間には既に一体の蟻の眉間を貫いていた。


「次、来いよ。悪いが時間がないんでな、雑に殺るぜ」




 滝澤が森の中に入っていく様子を、ルナは上空から見ていた。


「滝澤、速い。ヴィルの言う通り」


 ルナは飛び出していった滝澤を追い掛けるようにヴィルから託されていた。滝澤の走力とルナの飛翔速度、出名の森までの距離から計算して、滝澤が森に入る様子をルナが確認できると踏んだうえでの采配だった。

 ヴィルの計算通りに事を運んだルナはさらにヴィルの予定通り森の反対側に向かう。ナスカが森から外に出た時に真っ先に見つけられるからだ。

 だが、現実での計算には常にイレギュラーが伴う。


「……ニンゲン?」


 森の反対側に辿り着いたルナの眼下で、二人のニンゲンが森に入っていく。

 金髪の一人はいかにも魔法使いといった風貌で、茶のローブを纏って軽快な足取りで森の中に入っていった。薄手の黒いワンピースの上に白いフリルの付いたエプロンといった古典的なメイドの姿をしていたもう一人の銀髪の女は前を行く男の後に付いて歩いていた。


「……な感じ」


 ルナは滝澤達の身を案じながら暗闇の中に身を投じた。




 獲物を嚙み砕こうと開かれた顎の中心に木の枝が突き刺さる。巨体が崩れ落ちた先にはまだ多くの蟻達がひしめき合っていた。倒すこと数十匹。お出迎えは終わりそうにない。


「おいおい、そんなに俺を体液滴る良い男にしたいのかよ」


 左手で前髪を後ろに下げた滝澤はリーダー格の蟻から木の枝を引き抜く。尚も並ぶ蟻の群れに苛立ちつつあった。

 そんな滝澤の願いが通じたのか、一匹の蟻が退いていくのに続いて、蟻の群れは撤退していく。しかし、滝澤は見逃さなかった。撤退を誘導した蟻の身体が土で構成されていたことを。


「ナスカ、近くにいるのか?」


 よくよく見れば、地面にブーツの跡が付いていた。ブーツの跡は開けた泉のほとりへと続いている。そこは、滝澤がナスカと初めて出会った場所とよく似ていた。

 道に横たわる大樹を真っ二つに叩き切り、滝澤はついにその場所へと辿り着いた。




 ルナを先んじて出発させたヴィルは厨房で後片付けをしている女将の下を訪れていた。


「ええ、存じ上げていますよ。あの城に住んでいるのはニンゲンの夫婦。ニンゲンには珍しく、私達にも友好的で。奥さんの方は少し冷たそうだけれど、ほんとはとっても優しい人よ。最近姿を見ていなかったから心配だけど……」


 話を聞く限り、もし彼らと遭遇したとしても滝澤達に危険は及ぶことはないだろう。ヴィルは安堵する。


「ありがとう。度々すまないな。機会があれば利用するように、と友人たちにも薦めておく」

「それはありがたいわ。ここのところ、街を訪れるモンスターの数が少ないらしくて、案外経営難なの。肝心の跡継ぎあの子もやる気がないみたいだしね」


 宿泊施設の経営が人頼りなのは世界が違えど変わらないようだ。苦笑いを浮かべた女将に大変だなと返し、厨房を出る。


「さて、こちらもそろそろ出なければな。あまり闇夜に長居したくはないが」


 ヴィルは剣の塚を擦った。

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