ヴェールをメスが切り裂いた

「ふぁー、気持ち良かったぁ……」


 二人を連れて出てきた滝澤の前をルーズが通る。ルナとヴィルに抱きつかれている滝澤に唖然とすると共に用事を思い出した。


「おう、俺が渡した服も中々様になってんな。てか、お前らっていつもそんな感じなのか……」


 ルーズに指摘され、初めて滝澤は自分の服が新しくなっていることに気づいた。紙袋から出して着たが、あまりにも自然すぎて今まで気が付かなかった。ルーズは替えにピッタリの物を買ってきた、ということだろう。


「でも何か物足りないんだよなぁ……そうだ、店長が柄柄ガラガラの間に来いだってよ。丁度いいし、案内してやろうか」


 ガラガラヘビのガラガラと掛けてるのか?と疑問符を浮かべつつも滝澤達はルーズの提案を快く受け入れる。


「店長って先に店に帰ったはずだよな。なんでわざわざこっちに……」


 店主の真意を測ろうとするヴィルの鼻を生臭い匂いが突いた。これは先程の巨大ザリガニが発していたものと似通っている。

 それをヴィル以外も感じ取ったようで、匂いの元だと思われる二階の部屋の直前で全員の足が止まった。


「ここが柄柄の間だが……入りたくねぇな」


 三人はルーズの発言にうんうんと頷く。いっそこのまま部屋に帰りたくもあった。


「(そうだ、ナスカも呼んでこないと……)」


 滝澤が踵を返したその瞬間、襖が開き、店主が姿を現した。


「待っていたよ。さ、入ってもらおう」


 招かれては逃げられない。逃げたところで左眼を使って止められるに違いなかった。

 滝澤達の部屋と同等に柄柄の間には広いテーブルと布団が敷かれるのみだったが、そのテーブルの上には異常な光景が広がっている。


 銀の盆に乗った異臭を放つナマズのような魚、手術器具に似た数本の道具、無色透明でありながら湯気を放つビーカー。滝澤は生物基礎の実習を思い出した。


「なぁ、ナスカどこ行った?」

「さっき2階へかけ登っていくところを見たな。どうかしたのか……?」


 浴場から出たあとのナスカの行方を尋ねた滝澤だが、行動の大元はこの台詞を言ってみたかっただけ、である。


「あ、すんませんなんでもないです。助かりやしたありがとうございます」


 何より、この店主がナスカをどうこうしたとも思っていなかった。すかさずルナが「ナスカも呼んでくるね」と部屋から出ていったが、滝澤とヴィル(別称保護者)は止める訳にもいかず、案内されるまま座布団の上に腰を下ろす。


「さて、君たちにはこの世界の根源を知る権利がある。もっとも、滝澤君にとってはこちらの世界の説明にしかならんがね」


 店主はビーカーを指差した。


「このビーカーに入っているのは鏡水かがみみず。液中の物質を大きく見せてくれる。では、この魚獣を解剖するから、よく見ておきなさい」


 解剖、と聞いてあんまり乗り気ではなかった滝澤だったが、ヴィルはほう、と興味津々な様子だったので自分だけ目を背ける訳にもいかなかった。


「あ、なんかセンシティブな感じがするー」


 滝澤の不安を他所に店主はナマズの頭部にメスのような器具を刺しこむ。

 滝澤がザリガニに対して行ったように、皮を裂いて脳を露出させた店主はそのピンクの中に紛れ込んでいた茶色の球体をピンセットで引き抜いた。


「ヴゥェッ!」


 滝澤は悲鳴を上げて顔を逸らす。お世辞にも気持ちの良いものでは無かったが、自分の居る世界については知りたいと思っているが故に視線を戻した。

 店主は脳から分けた球体をナマズの横に置くと、今度はその球体の表面をメスで裂いた。


「な、なんだか壮大なことになってきたな。」


 やがて球体の表面は卵の殻のように2つに分けられ、中から線のような何かがウジウジと這い出てきた。それはピンセットで摘まれ、ビーカーの中に落とされる。


「何だこれ、芋虫みたいな……」


 滝澤の感想通りの形状をした球体の中の何かは液体の中でくねくねと動いていた。


「これが、私たちの頭の中にも居ると聞いたら驚くかね?」


 驚くより先に、ヴィルを頭痛が襲った。まるで知ってはいけないことを知った幼子のような衝撃を受け、ヴィルは滝澤に寄り掛かる。


「私もこれを目の前で実証させられた時は同じような衝撃を受けたよ。こんな寄生生物が私の頭の中にも入っているなんてな」


 店主は盆とビーカーを端に退けると滝澤を指差した。どうやら何か言いたいことがあるらしい。


「だが、君は違う。私達とも、ニンゲンとも。君達こそが正当な進化を遂げた人間。我々はあくまで模倣の模倣なのだよ」


 滝澤は店主の言葉に納得する。タンダ、ハザマ、ガラス……これまで出会ったニンゲン達は滝澤と似通った容貌をしていながら、どこか滝澤とは異なる性格を持っていた。それもその筈、彼らとは辿って来た進化の道筋が違ったのだから。


「で、これを教えたのは姉貴なんだな?」

「ああ」


 店主の肯定を確認した滝澤は一気に気を削がれる。そうしてそのまま布団に飛び込んだ。


「あーあーあーやる気一気に無くなったわー。またあいつの手の平の上で踊らされるのかよー」


 滝澤は整えられた布団の上をごろごろと転がり、布団をぐちゃぐちゃにしていく。その体は次の瞬間、窓から部屋の外に吹っ飛んだ。


「ここは私の部屋だ」


 もっともである。招いてしまった迷惑客を追い出した店主は実験用具を片付け始める。先程までの特別扱いはどこへやら。まぁ、寝床を荒らされるのは誰だって気分が悪いだろう。


「……すまない、我が夫が迷惑を掛けた」

「彼は厄介者だね、聞いていた通りだ。それと、君が鎧を脱いだ理由もわかったよ。ようやく解放されたのだね。今日は休んで、また明日来るといい。安心したまえ、三日分予約は入れてある」


 頷いたヴィルは部屋に戻ろうと扉を開けた途端にルナに飛びつかれた。その表情は真っ青である


「ヴィル、滝澤は!?」

「一体どうしたんだ」

「それが─」




「うへぇ……痛て……」


 窓から吹っ飛ばされた滝澤は旅館を囲んでいる木の上に落下、そのまま空に昇る月を眺めることになった。そのうちに滝澤は木の根本から上ってくる湯気を感じ取る。


「お、なんかいい匂いすんなぁ……一体何の……ってうおおおおおい!?」


 顔を下に曲げようとした滝澤の下でバキバキと音を立てて枝が折れる。彼の体を支えられていたのは奇跡だったようだ。岩で囲われた温泉へと滝澤は落ちていく。


「あら、お客様。覗きですか?」


 大きな水しぶきが上がる。

 巻かれたとぐろの中心に落下した滝澤を女将はきつく締め上げた。あばばばばと泡を吹きながら鱗を叩かれた彼女は滝澤を解放する。

 陸上へと這い上がった滝澤はうつ伏せのまま不平を漏らした。


「あのな、俺は比較的こういう目に巻き込まれることが多いんだ。理由も聞かず問答無用で殺しに掛かることを悪く言うつもりはないさ。でもやっぱりお客様の扱いはもっと丁寧であるべきだよなぁ!」

「迷惑を掛けたなら先に謝罪では?女性の入浴中に乱入してくるのは流石に常識外だと思いますが」

「はい、すいません」


 間違いない。反論できない滝澤はそのままがっくりとうなだれる。


「滝澤ー!滝澤何処だー!?」

「やべ、行かなきゃ……あれ?」


 滝澤を呼ぶヴィルの声が聞こえてくる。しかし、滝澤はこの日一日で蓄積されたダメージが大きすぎたのか、動けなくなっていた。


「仕方ありませんねぇ」


 女将は湯から上がり、簡易的な和服を身に纏うと、気を失っている滝澤を赤子のように抱えて移動し始める。




 滝澤を探し、旅館内を歩き回っていたヴィル達だが、発見した館内地図から推測して彼が二つ目の温泉に落下したことがわかった。しかし……。


「『女将使用中』……。滝澤は生きているだろうか」


 温泉の前の扉には赤い蛇が巻き付いた看板が提げられていた。


「どうして?」


 ルナの質問に答える前に扉は開いた。滝澤を抱えて出てきた女将は二人の存在に驚き、顔を隠す。その過程で女将の胸に滝澤の顔が当たり、ぼよんと揺れる。


「滝澤に何をした?場合によってはここで荒事を起こす可能性もあるが」


 ヴィルは腰に提げた剣に手を伸ばした。それを見た女将も目を細める。


「んぁ、夢のような大きさのパイ乙。折角だし揉んどくか」


 滝澤は目の前の水風船のような巨乳に手を伸ばす。倫理観終了のお知らせ。この男はどこまで暴れれば気が済むのだろうか。


「お返しします」


 冷笑を浮かべた女将はヴィルに向けて滝澤を転がす。行動相応の扱いである。


「助かる。貴女にも迷惑を掛けたようだな。すまない」

「いえ、おそらくまた店主さんの仕業でしょう?ほんと、困ったお人……。私は再び湯に戻ります。良いご一泊を」


 うふふ……と笑った女将は扉を再び閉じて、湯へと戻っていった。彼女の意図は不明だったが、滝澤が無事に帰ってきたことの方が今は重要である。

 ずぶ濡れの滝澤を背負い、ヴィルとルナは泊まる予定だった部屋へと戻った。


「この後の判断は私達には出来ない。決めるのは滝澤だ。を」

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