第4話

 敬太と別れを告げてから俺は、全国いろんなところを旅行した。

 これまで行きたい、行ってみたいと思っていた場所へと、思いつくままに車を走らせていた。

 敬太と話をしていた時には愛莉に、初恋の相手に会いたいとは言っていたが、そもそもの話、現在どこにいるのかも分からないのだから、会いに行こうとして会えるわけもない。

 ふらふらと全国を旅行しながら、至る所に彼女の影を探していた。


「……向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずも無いのに、ってか」


 苦笑しながら独り言を呟いている俺を、近くを歩く人たちは怪訝そうな顔で見てくるもそのまま歩き去っていく。

 それも当然だろう、身も知らぬ若者が一人黄昏ていようと、今の時代、そんな若者に関わるほど皆暇ではないし心の余裕も無いのだから。

 実際に自分もいつもそうしていたのだから。






 そうして、何日も、何日も、目的もない、目標もない旅を繰り返して、かなりの時間が経った。


 ……最近、ずっと身体が重い気がする。

 妙に身体の節々が痛むし、息切れもしやすくなってきた。

 ここ数日は食欲も湧いてこないからほとんど何も食べていない。

 鏡を見ていないからはっきりとは分からないが、きっと見た目にも不健康が分かるのだろう、以前よりこちらを見てくる人が増えている気がする。

 車はもう運転できる気がしないのでとうに処分している。

 今、俺に残っているのはこの不健康な身体といくばくかの現金、後はスマートフォンだけだ。



 きっと、もう1週間もしないうちに俺は死ぬだろう。

 悲観ではない、なんとなく伝わってくるのだ、身体の至る所が限界を迎えているのが。

 それなら、せめて死ぬ場所は選びたい。


 そう思い、俺は海に向かっていた。

 最期は海で、海を眺めながら眠りたい。

 これは、病院で余命宣告を受けた時から考えていたことだったが、最期の時が近付いてくるにつれて徐々にその気持ちは強くなっていた。



 そうして太陽が完全に空に昇ったころ、俺は砂浜に足を放り出して座り込んでいた。

 普段の、健康だった頃の自分ならば絶対に座り込んで何ていないんだろう、ゴミはそこら中に落ちていて、虫も色々と砂浜を歩き回っている。

 明かに、心地よい場所ではないはずだ。

 しかし、今は、今だけはこれ以上にないほど心安らげる場所だった。

 このまま、見知らぬ砂浜で死ぬまで、身が朽ちるまでの時間を過ごしたいとすら思えていた。




「あの、すみません……」


 日も沈み始めて徐々に涼しくなるのを肌で感じ取っていると、不意に耳心地の良い声が聞こえて来た。

 目を開けて声のした方向を見ると、そこには妙に見覚えのある、どころではない、恋焦がれ、夢にまで見た相手がそこに立っていたのだ。


 夢ではないかと疑った。

 夢でもいいと思った。

 運命とはなんと優しく、そして残酷なのだろう。

 最後の最後に本当に会いたかった相手に会わせてくれるなんて。

 このように変わってしまった姿を見せてしまうなんて。


 こんな奇跡が起きてしまったら、折角固まっていた覚悟が揺らいでしまうではないか。


「ここ、いいところですよね。私も落ち込むときはいつもここに来るんです。悩みそのものがちっぽけに見えるから」


「……」


「よければ、少しお話しません? 私も、一人でいるより誰かと話したい気分だったんです」


「……俺で良ければ」


「ありがとうございます! なんだか、不思議なんですけど初めてあった気がしないっていうか、安心するんですよね」











 長い時間、二人は話していた。

 本当に長い時間、時間を忘れて、辺りが完全に暗くなってもまだ話し足りないとばかりに話し続けた。

 しかし、もともと残り時間の少なかった自分の時間が、とうとう終わりが近付いてきたのか眠気を感じ始めていた。

 なんとなく、もう眠ったら目を覚まさないだろうと思えていた。

 この幸せな時間が終わってしまうのは非常に口惜しいことだが、それ以上に、力尽きるのを目の前で見られたくなかった。


「……そろそろ、帰った方が良い。女の子がこんな遅い時間まで外に居ちゃ危ないよ」


「ほら、早く」


 彼女は、何か言いたそうにしていたけれど、その言葉を聞く前に俺は彼女を急かして帰そうとした。

 そして、ようやく彼女が立ち上がって歩き始めたのを確認した俺は、身体の力が抜けていくような、そのまま後ろ向きに倒れこんだ。


「また会いましょうね! また、お話聞いて下さいね!」


 少し離れたところから、そう聞こえて来た。

 だが、俺には彼女にまで聞こえるほど声を張り上げられそうになかった。

 だから、せめてもの反応をしようと、震える身体から力を振り絞り、右手を上に挙げた。


 彼女に見えていたかは分からないけれど、そのまま気配が遠ざかっていくのを感じていた。


 ……ああ、最期に幸せな時間を過ごせた。

 まさか、こんなところで君に逢えるなんて、思ってもいなかった奇跡だった。

 どうか、幸せに生きて欲しい……。




「さようなら……愛莉……」












「……もっと、生きたかった」


 そして、俺はこの世から息を引き取るのだった。

 小さな奇跡、最期にそれだけを噛み締めて…。












 何故、初めて会った人だったのにあんなに心を許していたのだろう。

 初めてあった気がしない、どこか落ち着くのは、一体何故だったのだろう。

 けれど、あの人の雰囲気、これまでの人生で感じていた気もする…。


 とりあえず、今は早く家に帰ろう。

 そして、明日は早く起きてあの砂浜に行こう。


 ……明日もまだ、あの人がいてくれますように。

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