第2話 B級魔術師の転生


 目覚めたのは生後3年が過ぎた頃だった。

 自我の発達に伴い、記憶という情報の処理が可能になったのだろう。


 今となっては推測する事しかできはしないが、それでもこれは明瞭な事実である。


 この世界、地球と呼ばれる惑星。

 その日本という島国に俺は生を受けた。


 一般的な家庭であり、家族構成は父、母、妹、弟。

 とはいっても、父は単身赴任中であり家にいる事は少ない。


 俺は目覚めて数日で、ここが俺の居た世界では無い事を自覚した。

 目覚めて一週間で、己が魔法を使える事を自覚した。

 目覚めて一月で、魔法の存在を隠匿する事を決めた。



 今の俺は、普通の高校生、天羽修あもうおさむだ。



 それが可能な世界、平和な日常に居るのだからそれで良い。

 そう思った。

 もう、子供染みた感傷は捨てた。

 もう、英雄には憧れていない。


 あの勇者の最期を看取ったのだ。

 それだけで十分。

 俺には似合いの人生だった。


 それから、時間はあっという間に過ぎ去った。

 何せ、やりたい事が多すぎるのだ。

 平和な世界、未知の文明、知りたい事、やりたい事は尽きなかった。


 中学に入る頃、親からゲーム機を買ってもらい、今は年相応にゲームにハマって居たりする。


「はぁ……」


 だから、俺は早く帰宅したいのに。


「何よ?」


 金髪ツインテール。

 今時、目立つったりゃありゃしない。


 赤いピアスが右耳を彩り、何より東洋の血が入っているとしか思えない藍色の瞳は、彼女の美貌を完璧な物にしている。


 この学校で、男子からの人気がナンバーワンであるにも関わらず、彼女は告白される回数が極端に少ない。


「なんか文句でもある訳?」


 それは、彼女が横柄で傲慢でヤンキーみたいな性格をしているから。


「あるに決まってるでしょ。

 なんで君の補修のプリントを、俺が代わりにやらなくちゃいけないのかな?」


「私がやったら下校時間まで終わらないじゃない」


 彼女は馬鹿である。

 あぁ、平たく言えば勉強ができないのである。

 逆に、俺はこのクラスで2番目くらいの点数がある。


 彼女は1時間前、俺にこう言った。


『私の宿題、代わりにやってくんない?』


 普通、こんな事を言われて頷く奴は居ない。

 だが、俺はとある理由からそれを引き受けた。

 とはいえ、やりたい訳でもない訳で。

 多少愚痴を言う位、許して欲しいという物だ。


「土御門さん?」


 土御門瑠美つちみかどるみ、彼女に俺は飽きれた表情を向ける。

 こんな頼み事をされるのは、今日が初めてではない。

 頼み事ってか、命令だけど。


「俺は、他の人より君の事を少し・・だけ知ってる。

 だから、こうして協力してる訳だ。

 でも、お礼位あってもいいんじゃないの?」


「あんなの平気。

 ていうか止めたいなら止めれば?」


「殴るじゃん」


「言う事を聞かないからよ」


 意味が分からない。


「終わったよ」


 プリントをひらひらと土御門さんに見せる。


「よくやったわ」


 そう言って、プリントをひったくろうとしてくるのが毎回の流れだ。

 だから、今日は少し意地悪をしたくなった。


「何してんのよ?」


 俺はプリントを取られない様に、ヒラリと躱す。


「俺、結構頑張ったと思うんだよ」


「……」


「お礼くらい言ってよ」


 大人げない。

 自覚はある。


 でも、何と言うか爺さんの妄言というか。

 感謝の一言すら恥ずかしがって言えないのは、色々と不味いと思う訳で。


「じゃなきゃこれ破るよ?

 それで、もう代わりに補修のプリントとか宿題とかやらないよ?

 殴りたければ、殴れば?」


 女子生徒のパンチなんて、普通の男にはそんなに効かない。

 一応、多少の筋トレをしている俺には尚更だ。


「ふざけんじゃ無いわよ」


「ふざけてるのは君の方だろ?

 空気を読まない。

 人に頼み事をする時の態度も知らない。

 他人を睨みつけてるクセに、相手の心を考えない。

 なのに、自分の願いが叶わなければ地団駄を踏んでキレる。

 ――虐められて当然だ」



 ――パン!



 頬に衝撃が走る。

 少し腫れたな。


「私は、虐められてなんて無いわよ。

 あれは、向こうがただガキなだけ」


「上靴の先、赤くなってるよ」


「えっ」


 俺がそう言うと、急いで彼女は下を向く。

 そこには真っ白な上履きがあった。


「嘘だよ。

 でも、その反応を見るに今日もなんだ」


「うっさい」


 靴に画鋲を入れる。

 誰でも思いつく、古典的で幼稚ないじめだ。

 でも、それは明確に相手に害意を持っている証。

 それを、いじめと言わず何と言うのか。


「痛いよね。

 靴の奥に入った画鋲に知らずに上履きを履くと、指の肉と爪の間に挟まるんだ。

 血が滲んで、靴下が真っ赤になって。

 君がその状況を解決しようとしないなら、俺がこんな事をする意味は無いよ」


「何も知らないクセに余計な事言わないでよ!」


 そう言い残し、彼女は教室から飛び出して行った。


 少し、言い過ぎたかな。

 入学から3カ月、彼女は他の生徒に虐めを受けている。


 俺は、それを早い段階から知っていた。

 彼女の宿題を代わりにやっているのは、それも理由に含まれる。


 この学校に入学した日、俺は彼女の存在に気が付いた。

 俺を魅了したのは、彼女の美貌でも性格でもない。


 尋常ではない魔力の化身。

 前世で見た勇者すら超越する極大の神秘。


 それを身に宿していたから。


 彼女が一般人の訳が無い。

 そう考え、調べた。


 彼女は陰陽師の家系らしい。

 陰陽師、呪術師、魔術師。

 それらはこの世界でも実在する。


 彼等の仕事は、人知れず夜の闇に潜む妖魔を滅却する事。


 土御門瑠美。

 彼女は、日々街の平和の為に悪霊と対峙している。


 毎日彼女は、別の所に絆創膏貼ってたり包帯巻いてたりする。

 そこまで彼女は頑張っている。

 なのに、守護する対象である生徒に人権を無視した扱いをされている。

 その状況が、俺には許せなかった。



 ◆



 闇夜の中に一人の少女が佇んでいる。


 月を背負い、昼には見せない静かな表情を浮かべる。


「あいつがあんな事言うから」


 昼は当然に学校に行く。

 夜は街のパトロールと悪霊との戦闘。

 彼女に、人並みの時間は与えられていない。


「怒ったかな。

 怒ってるよね。

 自分でやった癖になよなよ悩んで、馬鹿みたい」


 鉄塔の上から街を見渡し、彼女は一人ごちる。


「何も知らないクセにって、隠してるのは私だし私の家なのに。

 それであいつにキレるなんて……」


 内容はとある男子生徒の事だ。


「ありが……とう。

 あり……がとう。

 ありがとう。

 明日、言えるかな……?」


 初めて出来た友達。

 高校で唯一の友人。

 そう呼べる相手。


 彼女にとってそれ以外の生徒は二種類しかいない。

 自分を怖がって目を合わせようとしない者。

 自分に対して敵対的な者。


 己に才能が無い。

 そんな事は分かって居る。


 陰陽師としても無能と呼ばれ、学校の成績も悪い。

 得意な事と言えば、運動神経が人より多少良い事くらい。


「あぁ、駄目だ。

 ちゃんとしないと!

 私の仕事は、この街を守る事なんだから!」


 気力が無ければ、仕事をミスれば、人が死ぬ。

 学校の成績は取れなくてもいい。

 それでも、この仕事で失敗は許されない。


 そう決心した瞬間だった。


「えっ?」


 彼女の後ろから、巨体が影を差す。

 巨体は腕を振り上げ、彼女を地面に叩きつけんと剛腕を振るった。


「悪霊……!?

 いつの間に!」


 掌だけで、彼女の身長を超す程の巨大な腕。

 それが、土御門瑠美を殴りつけた。


 身体は空中に投げ出され、剛力と重力によって地面に吸いこまれる。


 ただ、彼女とて陰陽師。

 この程度で死にはしない。

 地面に直撃する直前、式符を一枚懐から取り出していた。


「円羅結界陣!」


 基本的な陰陽術の一つ。

 結界。

 その派生形であるこの技は、彼女の身体を中心に球状の結界を展開する。

 展開された結界によって、地面への直撃のダメージを回避する。


 それでも、彼女の半身は赤く腫れていた。


「油断したわ……」


 言いながら、視線を悪霊に向ける。


 人の様な姿見。

 二足歩行で、顔があって、手が五本指で。

 だが、それは明確に人では無い。


 大きく飛び出した眼球は、左右で大きさが全く違う。

 黒い髪は顔を隠す程伸びているが、それを振り回す様に首を回している。

 衣服は無く、全身は緑色の肌で覆われている。

 局部も無ければ、呼吸もしていない。


 人の悪意の凝縮体。

 まさしく、悪霊だ。


「悪霊って本当に気持ち悪いわね。

 ――来なさい【魂狐ごんぎつね】!」


 魔法陣の様な物が、瑠美の足元に展開される。

 そこから現れたのは、通常の3倍近い体躯を持つ狐だった。


「グルゥウ」


 狐が牙を剥いて威嚇する。


「食い破りなさい!」


 主人の言葉を聞き届け、狐は翔けた。


 その瞬間だった。


 ――グルン。

 

 視界が回る。


「カハッ!」


 瑠美の身体が、道路脇の壁に叩きつけられた。


「なんで……!」


 殴られた。

 そう理解し、その先を見る。

 そこには、今相手にしていた悪霊と全く同じ悪霊が立っていた。


「キャン!」


 魂狐が鳴く。

 その方向を見れば、全く同じ姿の悪霊5体に取り囲まれ敗北している式神が居た。


「増殖……

 な、んで……そんな強力な悪霊が……」


 ドスンと、地面が揺れる。

 悪霊がゆっくりと彼女に近づいて来た。


 悪霊は動けない瑠美の足を持ち、逆さに持ち上げる。


 全身に力が入らない。

 式符も取り出せない。

 対抗手段がない。


 抵抗できない。


 死。


 その一文字が、頭を過る。


「……ありがとうくらい……言わせてよ」


 意識が遠のく。

 その直前、何かが前に立った。


 仮面を被ったローブの、男?


「後は任せろ」


 男はそう言って、悪霊と戦い始めた。

 それと同時に、瑠美は意識を失った。

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