義務教育の起源

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「日本人」という意識はどこから来たのか?

 日本教育は大きな転換期を迎えています。 


 2021年から「センター試験」に代わる「全国共通テスト」が始まり、これを契機として大学受験のシステムは、今後も大幅に変更される予定です。中学、高校では部活指導の外部委託が議論され、小学校ではプログラミングや英語の授業が取り入れられるなど、近年稀に見る大きな変化が立て続けに起きています。


 教育改革を成功させるには「現在の日本はどのような時代(課題)に直面しており、その課題を解決するために、どういう人材を必要としているのか?」という、しっかりとした時代認識が必要です。


 今回は日本の教育を考える上で、フランスの歴史を参考にしたいと思います。


 フランスが積極的に教育に関わるきっかけになったのは「フランス革命」です。1789年7月14日、バスティーユ牢獄を民衆が襲撃したことによって始まったフランス革命は、1793年1月21日、フランス国王ルイ16世の処刑によって大きな節目を迎えました。


 フランスは、国王のいない「共和政」の道を選んだのです。


1.兵士を育てる場所が学校!?


 ルイ16世の処刑に危機感を抱いたのはフランスの周辺国です。当時ヨーロッパの殆どは「絶対王政」という国王による独裁体制を採っていました。


 イギリスはすでに清教徒(ピューリタン)革命と名誉革命を成功させていました。「王は君臨すれども統治せず」という言葉が有名ですが、国王は存在するが、実質的には国民が政治を行う、という「立憲君主制」を敷いていました。


 イギリス国王は、フランス革命を心から恐れます。フランス革命はルイ16世を処刑しました。これは国王の存在を否定することを意味し、もしイギリスにフランス革命の影響が及んだら、今度は自分の首が飛ぶかもしれないからです。


 そこでイギリスは周辺国の国王に同盟を呼びかけ、これにオーストリアやプロイセンなどが呼応。「対仏大同盟」を結成し、フランス革命を挫折させるため、フランスに軍隊を派遣します。


 フランス新政府は困りました。革命で混乱していてまともな戦力はありません。そこで考えられたのが、成人男子の国民を戦争に参加させる、いわゆる「徴兵制」です。


 素人の国民を兵士にするためには、きちんと訓練をしなければなりません。フランスでは、兵士を訓練するための場所が学校になりました。


2.学校では何を教えた?


 戦争では上官のしゃべる言葉が理解できなければ、指示も伝わらず戦えません。日本でも地方による方言があるように、年配の方が話す東北弁は訛りが強く、私たちには全く理解できません。


 フランスにも地方によって方言があるため、フランス政府はまず国語(標準語)を徹底的に教えることになります。フランス人同士が出身地に関係なく円滑にコミュニケーションが取れるようするためです。


 また「なぜフランスのため戦わなくてはいけないのか」という動機付けが必要になりますが、これは「愛国心」を植え付けることで解決しようとしました。音楽の時間に、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を子ども達に熱唱させ、徹底的に“フランス人”としての意識を植え付け、戦争へのモチベーションを高めさせました。


3.徴兵制のメリットとは?


 徴兵制のメリットは兵士を安く(人件費がかからない)、大量に確保できることです。イギリスなどの国は、兵士を給料で雇う「傭兵制」を採用しており、これには膨大な人件費がかかります。


 そして徴兵制と傭兵制の決定的な違いは、戦争に対するモチベーションの違いです。傭兵はしょせんお金で雇われた身ですので、戦争に負けそうになったら戦場から逃げてしまいます。


 一方、フランス国民は革命によって所有権が認められ、今まで国王のものだった土地が国民一人ひとりの土地になりました。フランスが再び国王の支配する国に逆戻りしたら、せっかく獲得した自分の土地を失ってしまうため、国民の戦争に対するモチベーションは相当なものでした。


 フランスは圧倒的な軍事力(兵士数)とモチベーションの高さによって、他の国を圧倒していきました。


4.ナポレオンの歴史的評価は?


 フランス革命による危機から徴兵制を導入し、いち早く軍事・教育改革を成し遂げたフランスは、イギリスなどの同盟軍を蹴散らしました。しかしそれだけではなく、指導者となったナポレオンは、ヨーロッパ各国を侵略・支配し、一時的にですが「大帝国」を築きました。


 ナポレオンのヨーロッパ侵略に関してですが、ナポレオンがヨーロッパを支配したことで、フランス革命で誕生した「民主主義」というシステムがヨーロッパ全土に輸出され、歴史を大きく前進させたという指摘もあります。


 そのためナポレオンは「侵略者」ではないという解釈もあります。本稿においては、ナポレオン自身には「ヨーロッパに民主主義を広めたい」というような理念はなく、彼の行動は領土的野心と自身の権力欲によってなされたものである、と解釈して「侵略」という言葉を使います。


 またナポレオンは「戦争の天才」と言われています。ただ実際のところは、フランスが他の国に先駆けて徴兵制を導入したことで、ナポレオンは徴兵制を利用した戦い方をいち早く取り入れて実践に移せたため、連戦連勝することができた、という主張もあります。


 実際にフランス以外の国が徴兵制を導入すると、ナポレオン軍の敗退は続き、ナポレオンも失脚。後の「ウィーン体制」へとつながります。


5.教育に必要なのは「柔軟性」


 フランスの教育がどういった歴史的背景から生まれたのかを見てきました。

 

 フランスの教育は、フランス革命による戦争への必然性から徴兵制が必要になり、その兵士たちを育てるために始まったのが起源です。


 フランスの歴史から学ぶことは、教育と時代(歴史)というものは密接に繋がり影響し合い、教育の目的は時代によって変化し続けるということです。


 日本の教育改革なるものを見ると「ゆとり教育」を取り入れたかと思えば、その検証も十分ではない内に授業時間を増やすなど、どうもこの国の対応は場当たり的に見えます。


「こういう時代だからこそ、こういう人材を育てたい」という国の理念のようなものが見えてきません。


 教育とは、それぞれの国家が置かれている状況や時代背景によって、その目的を柔軟に変化させていかなくてはなりません。きちんとした時代認識を持ち、正しい教育改革を行うために、過去の歴史から教訓を引き出すことは、非常に有効な手段といえるのではないでしょうか。

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