第2話 震慴

「リカ、こんなボロボロの異邦の女、使い物になるのか?」

 寒空の下、白肌の女……リカと髭面の大男はランプで照らされる馬車の中を覗き込んでいた。その馬車には、黒髪の異国の女、フェンレイが横たわり、苦しげな寝息をたてていた。

「いきなりごめんね、パパ。放っておけなかったの。彼女は大きな苦しみを抱えているから」

「この女の言語はオレにはわからんが、それはだいたいわかるな。少女の遺体を抱きしめながら泣きわめくもんだから……埋めるまで半日は待った気がする」

「大切な人だったみたいよ。この国の王女で、彼女……フェンレイはその付き人だったみたい」

「こいつはひとりでにそんなことを喋ってたのか……この地方の言葉がわかるのはお前だけだからな。だが得意先の国が滅ぼされちまったら、せっかくの外国語も役に立たねえ」

 彼女らが情報を集めたところによると、かの騒動のあと、混乱に乗じて隣国の軍が攻め込み、自身たちに与したはずのユイ家もろとも宮廷を焼き払ったらしい。生き残った者は数少なく、フェンレイはそのひとりのようだ。

「貿易街道の終点を越えて奥まで行くのはワタシたちくらいだったのだから、これからは商団の皆と一緒に動くだけよ」

「だな。それで、この異人の娘はどうするんだ」

「ワタシたちの用心棒をしてもらいましょ」

「用心棒だって? こんな細っちい女に何ができるってんだ」

「ユイ家の剣豪の一家。そこのお嬢さんのはずよ」

「そうなのか? たしかに上等なカタナを腰に下げてるが……そもそも、この女、正気じゃなさそうじゃないか」

「ワタシだって、そうだもの」

「……リカ、そんなことはない……」

 抑揚の少ないリカの父の声が、寂しげな響きを孕んだ。

「冗談よ。さ、お宿に戻りましょ。明日朝にはみんなと合流しなきゃいけないから」

「……そうだな。どのみち、この仕事はお前の好きなようにしてやるって決めてるから、女は連れてってかまわない。だがな、この女が言うことを聞かず商団に迷惑をかけるようだったら、即刻追い出すぞ」

「わかってるわ。さあ、パパ、戻りましょ」

 リカはフェンレイの寝顔を見る。彼女は今も残酷な現実に苦しめられているのだろうか。

 フェンレイの無意識下で話された、彼女の悲劇。リカはフェンレイをそのあまりに惨い現実に向き合わせてしまい、後悔していた。死なせないための方便がフェンレイの心を激しく乱したのだ。


 おぼろげに光る馬車の中へ乗り込み、帆布を下ろす。フェンレイの横に自らも寝転がる。

「ごめんね」

 馬車がゆっくりと動き出すと、車輪が道の石やわだちの形を拾い、上下に激しく揺れた。飛び起きそうな程の衝撃に、フェンレイの苦しげな表情はますます濃くなっていく。

 彼女の乱れた黒髪が顔を覆うので手でかき分けると、涙の流れた跡があった。フェンレイの顔に、ほのかな化粧がされていたことに気づく。汗と涙のにおいの奥に、花の甘い香りがした。リカは気が付いた。フェンレイはきっと宮廷で愛されていたのだと。彼女から奪われたのはあのジファという王女だけではない。彼女が無意識に呼んでいたリンシャンという女性もまた、大切なひとであったのだろう。

 馬車の跳ねでフェンレイが苦しそうに呻く。その頭にリカは腕を伸ばした。フェンレイに身を寄せる。彼女は冷えた体を小さく震わせながら、徐々に苦しそうな呻き声を静めていく。

 細い体。浅い息。リカの心に憐れみの波紋が広がる。フェンレイの頭を抱き、髪を撫でる。馬車の揺れから彼女を庇った。

「ワタシが寄り添ってあげるわ。だから許して、フェンレイ。お願い……アナタもワタシのそばにいて……」

 いつの間にか穏やかな寝息を立てていたフェンレイの体を、リカはずっと庇い続けた。

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