交差点は、まだまだ大勢の人が集まっていて、楽しそうな声がここまで上がってくる。

 窓から離れ、千世はソファに腰を下ろした。挫いてしまった足に痛みはなく、マグカップを掴んだ指も綺麗に治っている。

(霊符って、凄いのね)

 あの短冊は霊符という霊山から伝えられた神通力の一種らしい。

 回復用の霊符を張ってもらった爪は両手ともすぐに元通りになって、痛みどころか傷跡も残っていない。挫いて赤く腫れていた足も、何事もなかったように綺麗になっている。

(なんだか、疲れちゃったな……)

 用意してくれた猫用ミルクを一舐めする。ほんのりとした温もりに満足して、皿からカボチャ型クッキーを手に取った。

 あの後――、手足の手当が終わっても迎えの人が来ないので、望が人鬼に霊符を張っている横でピエロ男を介抱していると、ようやく警察の格好をした人が結界に入ってきた。他の場所でも女の人が鬼化して、そちらの掩護と後始末に行っていたらしい。

 望は報告の為に本部へ行き、彼を待つ間、鎮守隊からの応援警備員用の休憩室を借りて休むことになった。望が説明してくれていたらしく、何も言わなくても猫用のものを用意してくれたのはかなり有難かった。

(静かだな……)

 クッキーを噛る音がやたらと響く。

 隣の部屋は一時的な医務室になっているが、そちらも無人だ。

 今夜、他の地域から応援に来ている「警備員」は全員が鎮守役らしい。望のように私服で交差点と付近を巡回していて、邪が出れば急行して鎮めて回っているのだという。

 医務室が留守なのは怪我人がいないということだ。だけど、休憩室にも誰もいないのは、休憩に戻れないほど忙しいということ。鎮守役が忙しいということは、それだけ邪がたくさん発生しているということになる。

 複雑な気分でミルクを啜っていると、ノックの音がしてドアが開いた。

「ごめんね、待ったでしょう?」

 にっこりと笑った望から微かに邪気の臭いがした。報告だけではなくて、邪鎮めの応援に行っていたのだろう。

「ううん、全然……」

「なんだか元気ないけど……、眠いなら隣に……」

「大丈夫……、そういうのじゃないから……」

 マグカップを撫でた。ツルリとした感触は根付とどこか似ている。

 怖いけれど、聞かないといけない。それが自分の責任のような気がした。

「……ねえ、あの根付が原因で人鬼になった人……、他にもたくさんいるの? 誰か……、死んじゃった人とか……」

「全員、無事に鎮めたよ。僕が聞いた限り、死者は出てない。巻き込まれた怪我人はいるけれど、皆、専門の病院に運ばれて……、快方に向かってるみたいだよ」

「そうなんだ……、よかったあ……」

 ズンと重たかった肩が軽くなった。

 望はポットからお茶を淹れて向かいに座った。

「今回は協力ありがとう。千世さんがいなかったら、あのピエロの人は喰い殺されてたと思うんだ。鎮守役としては、あんまり無茶するのは誉められないけどね……」

「ホントにね。自分でも、バカなことやったって、思ってるわ」

 だけど、やってよかった。

 あそこで逃げていれば、これから先、百年くらいは後悔していたかもしれない。

「あの根付だけど……、落とし主が引き取ることになったよ。千世さんに『ありがとう』って」

 意外すぎる言葉に耳を疑う。

「本当に? 拾ったの、百五十年も前なのに……」

「僕もそう思ったんだけどね。京の霊山に問い合わせたら、落とし主本人が戻ってきてて、名乗り出てくれたんだ」

「戻ってきてる……?」

 琥珀色の瞳が悪戯ぽく笑った。

「実はね、あれの落とし主は宵闇……、天狗なんだ」

「天狗……? 霊山に住んでる……?」

 現衆が霊山とも繋がりのある組織だったのを思い出す。

 あまりピンと来ていなかったが、霊山と繋がっているということは、そこに住まう天狗とも繋がりがあるということだ。

「天狗は、死んでも転生してくるんだ。生まれ変わりじゃなくて、本人が人間の器を借りてもう一度生まれてくるっていう感じなのかな……。そうやって、天狗として覚醒して、また霊山に戻って……。だから、ちゃんと落とした本人に届くよ」

「そう……」

 目的を果たせたのに、寂しくなった。

 あの人がつけてくれた飾り紐は百五十年の間に擦り切れてボロボロになって、台風の日に飛ばされてしまった。形見と呼べるものは、あの根付と鈴だけだ。壊れてしまった鈴も鎮守隊に回収されてしまったから、もう何も遺っていない。

「ところで、千世さんはこれからどうするの? 飼い主さんとの約束は果たしたんでしょう?」

「……これから……?」

 そんなもの、何も考えていない。

 こんなに早く落とし主が見つかると思っていなかった。

 否、心の底では――、落とし主が見つかるなんて、思っていなかった。

 そもそも、あの人は「落とし主に返してほしい」なんて、言っていない。そう聞こえたと、自分が希望を込めて思っただけで。

 あの人との絆を繋ぎたくて、勝手に「約束」にしてしまっただけで――。

 本当は、「代わりに持っていてほしい」と言いたかったのかもしれないのに……。

「もしも決まっていないなら、現衆に入ってみない? 仮所属で……」

「仮? そんなの、できるの?」

「人間社会とどうしても会わない人もいるからね。最初は仮所属で相性を見るんだ。千世さんくらい霊気が使えたら、どこの支部でもやっていけるだろうし……。ずっと旅してきたんなら、暫くゆっくりしたら? よかったら、僕から紹介するよ」

 あの人とどこか似た笑顔が、迷いを追いやった。

「……そうね、お願いしようかな。東京の……、人が多いところに」

「へ? 山のほうの旅館とかのほうが落ち着けると思うけど……」

「東京には、あの人のお墓があるし……、それに、人がいっぱいいるもの」

「人が多いほうがいいの? なんだか意外だなあ……」

 目を丸くする望に、にっこりと笑った。

「だって、天狗は転生してくるんでしょ? 人間だって、わからないじゃない?」

 こんなにたくさん人がいるのなら。

 生きていれば、いつか――、あの人の生まれ変わりに会えるかもしれない……。

 新しい目標に乾杯するようにミルクを一息に飲み干すと、今夜は夢であの人に会えるような気がした。

 


 ― 遠い夜の落とし物【朧守外伝 季節語り その一】 完 ―

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遠い夜の落とし物【朧守外伝 季節語り その一】 夜坂 視丘 @ninefield

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ