第8話

(どこに行っちゃったの……!?)

 交差点の中をひとしきり駆け回り、歩道まで逃れてきて息を吐いた。

 目を皿のようにして交差点を見回してみても、目立つ空色の上着は見つけられない。完全に見失ってしまったようだ。

(ウソでしょ!? 隠人って、こんなに足が速いの!?)

 隠人は、身体能力や霊力といった霊獣の素質を受け継いでいる。霊体の格が高い隠人は、霊獣並に高い身体能力を持つと聞いたことがある。

 大混雑のお祭り騒ぎ真っ只中だといっても、猫又があっさり見失ってしまうのだから、望の身体能力はかなり高いのだろう。

 ――望は鎮守隊の隊員なのでは?

 そんな考えが過った。

(……聞き流しちゃってたけど……。こんなに邪念だらけじゃ、そのうち邪霊が生まれちゃうわ。妖だって、人間嫌いな奴もいるし……、こんな場所で警備員やるなんて、隠人でも危ないわよ……)

 現衆の中でも、邪鎮めを専門に行うのが「鎮守隊」だ。

 邪念から生まれる邪霊だけではなく、怪異を引き起こす邪物や鬼の類も、彼らが戦う「邪」に入る。そんなものと戦うだけあって、隊員は皆、隠人の中でも格が高い人ばかりらしい。

 現衆に入っている先輩達によると、邪を捜索し、追い込む「補佐役」は猫又を超える身体能力を発揮する人外っぷりで、実際に邪を鎮める「鎮守役」に至っては霊獣に匹敵する戦闘力を持つ化け物揃いらしい。

 こんなに空気が澱むのが前もってわかっているならば、鎮守隊から補佐が出てきていてもおかしくない。

「北嶺警部補、その……、状況は……」

 喧騒に紛れ、不自然に潜められた声が耳に引っ掛かった。

 少し離れた店の前で、年配の警察官が紺色のスーツを着た男を呼び止めている。男は穏やかな顔をしているが、立ち上る霊気は鋭く、属性を帯びて黄に染まっている。

 霊気が風に運ばれてくると、頬がピリピリと棘で刺されたように痛んだ。

(……あの男の人……、隠人だ……)

 あんなにはっきりと霊気が見えるということは、相当霊気の格が高いということ。そして、霊気に棘があるということは、霊気が攻撃的になっているということだ。

 落ち着いている男とは対照的に、警察官の顔は青ざめて、猛獣に襲われかけたような表情だ。邪の類いを目にしたに違いない。

 仮装を見物しているふりをして、耳を澄ませた。

「ああ、それなら……」

 中途半端なところで声が途切れた。

 黄色い光が彼らの周りでシャボン玉のように揺れている。色は違うが、望が張ったのと同じ結界だろう。

 その証拠に、耳を澄ましても声を拾えないし、彼らに誰も近づこうとしなくなった。ギリギリまで近づけば、少しくらいは聞こえるかもしれないが、あんな攻撃的な霊気を纏っている隠人に近づく気分になれない。あの警察官は霊気が視えないから、あんな風に話しかけられるのだろう。

(……なにを……、話してるんだろ……?)

 あれだけ格が高い霊気が攻撃的になることなんて、普通はない。霊気で攻撃しないといけない事態、「邪」と戦いでもしない限り。

 つまり、あの男は鎮守役で、この付近で邪鎮めが行われているということだ。

(すごく真剣な顔……。強い邪が出てるの……?)

 望が呼び出されたのも、その邪と関係があるのだろうか?

 鎮守役がこんな場所にいるということは、まだ邪は野放しで、補佐が追いかけているということではないだろうか?

(望、大丈夫かな……。鎮守役があんな怖い顔してるなんて……、良くないことが起きてるってことだよね……)

 急に心配になった。

 そんなに強い霊気を感じなかったから、鎮守隊といっても補佐だろう。中学生の、まだ一年生だと言っていた。入隊したばかりの新人かもしれない。

(話が終わったら、あの男の人に聞いてみようかな……。現衆のワッペン持ってるし……、あれ? この臭い……?)

 鼻を突いた異臭に眉を潜める。

 人形を失くす直前にも、同じような臭いがした。

 ――違うわ……

 この異臭がしたのは、あの時だけじゃない。

 百五十年の間に何度か漂い、そのたびに、思い出したように木の鈴が鳴って……。

(これが邪気なら……、)

 この臭いがしたのは、決まって人が集まる場所や戦場の跡、念が遺る廃墟だ。

 念が溜まって澱み、今夜のように靄になっている場所に近づく度に、こんな臭いがした。付近には、邪霊すら出ていなかったというのに。

(もしかして……、邪気は……)

 自分の考えに胃が冷たくなった。

 居ても立っても居られなくなって、臭いが漂ってくる方向を探す。

 ――こっち……!

 人波を避けながら交差点を横切り、向かいの歩道へ渡る。

 途中で何人か警察が近づいて来たが、十歩ほどの距離で何かに気づいたような顔になり、慌てて引き返していった。ワッペンの力なのだろうが、ここまで効果があるとは思わなかった。

 今夜限りといわず、一年間くらい有効だったらよかったのに――、そんなことをチラッと思った。

 だんだん濃くなる臭いを目指して駆け、角を曲がる。やたらと静かな通りに入り、急ブレーキをかけた。

(う……、気持ち悪っ……)

 その場に満ちた澱んだ空気に、慌てて手で鼻と口元を覆う。

 澱みの中で、のそりと人影が動いた。

「おやあぁ、迷子かなぁ?」

 靄の中に浮かんだ白い顔がニタリと口の端を吊り上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る