第4章 『正しいこと、の連鎖』⑰
BAND JAPANからの帰り、HR特別室の面々と俺は、銀座線の新橋駅に到着した。
電車から一斉に吐き出されるサラリーマンの集団に流されるようにホームに降りると、改札を出て、そのまま地下道を通ってJR新橋駅方面へ。車内でも俺だけ離れた場所にいたせいで、3人との間には気づけば10メートル以上の隔たりができていた。
……というか、少しくらい待つ素振りを見せたっていいじゃねえか。躊躇なくガンガン進んでいきやがって。
それにしても人が多い。金曜だからと言っても、午後三時過ぎだ。あるいは、夜の飲み会のために、皆急いで仕事に勤しんでいるのだろうか。まあ、そんなことはどうでもいい。俺はサラリーマンたちをかき分けるようにして前に進み、そして、3人が階段を登ってSL広場近くの地上に出たタイミングでちょうど追いついた。
「ちょっと、少しくらい待ってくれても……」
思わずつぶやくと、高橋が振り返って「あら、いたの」などと言いやがる。
「さ、行こうかね」
室長が呑気に言い、スマホに視線を落としたままの保科も含め、3人はまた歩きだす。
息をつく間もない。うんざりしながらその後をついていこうとして、あれ? と思う。
HR特別室は、ここを左折してニュー新橋ビル方面に行かなければならない。だが、3人は明らかに正面、虎ノ門方面に歩いていく。
「ちょ、ちょっとどこ行くんですか」
俺の言葉に室長が振り返り、「どこって、宴会だよ」と言った。
「は?」
宴会? なんだそれ。意味がわからない。だいたいまだ日がガンガンに照っている時間だ。
だが、俺がそれ以上何を聞いても、室長は「まあまあ、いいじゃないか」とニコニコするるだけで何も答えてくれなかった。
――歩くこと数分。
「さ、到着だ」
そう言った室長が指差す先を見て、驚いた。
見覚えのある佇まい。そうだ、HR特別室での研修初日、保科と共に来た店……そう、営業一部から出てきた俺が保科の頭のおかしさを見せつけられた店、クーティーズバーガー。
状況が呑み込めない俺をよそに、保科が慣れた感じで扉を開け、中にはいっていく。ガランガランという鈴の音。高橋と室長もその後に続く。俺も慌ててその後を追い、店内へと足を踏み入れた。
「あ、いらっしゃいませ!」
どこか聞き覚えのある声が聞こえ、すぐに奥の方から図体の大きな店員が近づいてきた。
「あ……」
思わず言った。
そうだ、この人は、俺と保科がここに“商談”に来た時、社長と揉めて店を飛び出したここの社員だ。名前は茂木。保科は俺をほったらかしに茂木を追いかけ、そのままHR特別室に連れて帰って“取材”をした。大きな体に似合わぬ、どこか怯えたような態度が印象的だった。だが、どうだ。
「村本さん。お待ちしてましたよ!」
以前の雰囲気が嘘のような明るい笑顔、大きな声。一週間前に会ったときとはまるで別人だ。
「え……ああ、どうも」
「さ、こちらへどうぞ」
よくわからないまま席についたとき、カウンターの奥からもう一人の男が現れた。こちらは茂木より随分小柄だ。前回と服装が全く違うので一瞬わからなかったが、大きなジョッキに注がれた生ビール3つと烏龍茶を盆で運んできたこの人は、間違いなく社長だった。
どこか無理をして「意識高い系」の見た目をしていた社長は今、茂木以上に年季の入ったエプロンに、頭にはこれまたくたびれたバンダナ、という出で立ちだ。
「今日は腕によりをかけて作りますよ。あんたたちには……感謝してるからな」
「……え?」
その時、ガランガランと扉の開く音がした。思わず振り返ると、見慣れぬ男女が店に入ってきたところだった。茶髪の元気の良さそうな若い女と、メガネをかけた真面目そうな小太りの中年男。
「おはようございまーす」
女の方があっけらかんとした様子で言い、俺たちの横を「いらっしゃいませ」とニコニコしながら通り過ぎていく。2人はそのままカウンターの奥へ進み、見えなくなった。その様子を嬉しそうに見ていた茂木がこちらに顔を向け、言う。
「先日採用した新人たちです」
「え……」
「しかも2人とも正社員で」
「え? 正社員で? もう?」
さすがに驚いて聞き返した。原稿が出て一週間も経っていない。ただでさえ採用が難しいと言われる飲食業界の正社員募集だ。この短期間で2名も採用できたとしたら、それは大成功と言っていい。
「2人とも、内定出したその日から毎日出勤してくれてます。最初ってことでまだディナータイムだけですけど……彼ら、クーティーズバーガーの味を本気で学ぼうとしてくれてるんです。こちらが驚くくらいの熱意を持って」
「そうなんですか……」
半ば呆然としながら答えると、社長がどこか照れくさそうに言う。
「思った以上にたくさん応募が来たもんだから、俺も茂木も、浮かれちゃって。エントリーシートをずらっと並べて、こりゃじっくり選べるな、なんて言ってたんです。……でも、保科さんに怒られちゃって」
「え?」
「あんたらが一緒に働くのはエントリーシートじゃないんだ! そんなもの眺めてる暇があるなら1秒でも早く会え!って」
皆の視線が保科に集まる。保科はちょっと肩をすくめて見せる。
「でも、本当にその通りでした」
茂木が話を継いだ。
「僕らが店のことで悩んでたのと同樣、求職者のみなさんも、それぞれがそれぞれの悩みを抱えながら就職活動をされてるわけですよね。僕らも人間で、彼らも人間。そんな当たり前のことを僕らはずっと忘れていた。そういう視点でエントリーシートを見たら、受ける印象が全然違ってきまして」
「印象?」
「ええ。なんというか、今までってとにかく年齢とか経験しか見てなかったんですよ。でも、そうじゃなくて、その人の人柄とか熱意とか、そういうものが伝わってくるエントリーシートの方が、ずっと魅力的に見えてきて。そういう基準でこれぞ、と思う人にすぐ連絡しました。その日のうちに面接したいって言ったら、驚かれましたけど」
「最初に連絡した2人が、さっきの2人だよ」
社長が言い、嬉しそうに目を細めた。
「茂木の言う通り、彼らの熱意はすごい。だから彼らが入った日から、私もこうしてできる限り現場に入ることにした。彼らに教えたいことがいっぱいあるし、それに、なんていうんだろうな、不思議なもので、彼らに教えることで私が学ぶ部分もある。……本当に今回のことで、私は目が醒めましたよ。まったく、保科さんには頭が上がらない。こうしてお店も使ってもらってるし」
そうだった。俺は思い出して、誰に言うでもなく聞いた。
「ていうか、どうして僕ら、ここに来てるんです? ビール運ばれてきてるし。まだ3時過ぎですよ?」
今度は茂木が驚いた顔をして俺を見た。
「知らなかったんですか? これ、村本さんの送別会ですよ」
◆
人間は驚くと、感情的になりやすいものらしい。
HR特別室の3人は相変わらずだった。俺の送別会だと言いながら、俺に関係のない話をベラベラと話し、そうかと思えば高橋が俺を“ねえ、僕ちゃん”と甘ったるくからかってみせたり、室長は急に立ち上がってバスケットのシュート練習(もちろんエアーだ)を始めたり、保科に至ってはその場でガッツリ系のスマホRPGゲームを始めやがったりする。だが――
なんだろう、これは。
社長が次々運んでくるビールを半ばヤケになあって喉に流し込み、茂木が開発したというフィッシュバーガー(これは社長が初めて「悪くない」と認めてくれたらしい)を頬張っている間に、俺はどんどん感傷的な気分になっていったのだった。
送別会、だと?
社会人になってから、この手のイベントごとは何度もあった。新卒で入社してすぐに歓迎会があったし、3ヶ月の決算ごとにチームや部の打ち上げがあったし、何なら週1回2回という頻度で上司のつまらない説教を聞くために居酒屋に連れて行かれたりした。
それがサラリーマンとしての務めであり、一つ一つの飲み会に意味がなかろうが、長い目で見れば、こういう文化に馴染めない人間が出世することはない。そう考えて、イヤイヤながら我慢して参加してきた。
……そう、俺はずっと我慢してきた。
飲み会だけじゃない。
俺は本当は、いろんなことを我慢してきた。
満員電車に乗って通勤することも、客や上司からの理不尽に耐えることも、売上目標を勝手にどんどん上げられることも、そして、仕事の過程にやりがいや喜びを感じられないことも、俺は「サラリーマンだから仕方がない」「まだ新人だから仕方ない」と我慢し、そして諦めてきた。
だが、どうだ。
このおかしな部署のメンバーたちは、何も我慢などしていない。好きな時間に出社し、目上の企業の社長にも啖呵を切り、売上目標どころか自ら売上を捨てるようなことばかりする。
しかし――
そう、しかし。
俺はこの人達のように、自分の仕事に「プライド」を持って取り組んできただろうか。
金になるかどうかもわからないのに、馬鹿みたいに本気になって取り組んだことがあっただろうか。
ふと気がつくと、そんなことを考えている俺を高橋が見ていた。
「来週からは、営業一部のメンバーに戻るわけね」
すると室長も話に入ってくる。
「営業一部と言えば、我が社のエリート部署だものな。すごいよね、ええと……」
「……村本です」
何度目かわからないこのアホくさいやり取り。だが俺は何かやりきれない気持ちになってくる。そこに、さっきの新人店員が追加の料理を持ってくる。茶髪の若い女。まるで大切な壺でも運ぶような慎重さで、キレイに盛り付けられたポテトフライを皿にそっと置く。
「これ、私が揚げたんです。何十回と練習して……でも、何か違和感あったら教えて下さい。次から絶対に直しますんで!」
こちらが引くくらいの眼力で言う。ふと見れば、カウンターの中では茂木と社長が、恐らくは自分より年上だろう中年男に、真剣に何かを教えている。中年男も、額に汗をびっしりかきながら、真剣にそれを聞いている。
……なんだよ。
……なんなんだよ、皆。
こいつらに比べて……俺はどうなんだ。
こんなんで……こんなんでいいのかよ。
「あの!」
気がつくと言っていた。理性が、というより、本能が叫んだような感じだった。
「……俺、もう少しここにいちゃダメですかね」
おい。
何を言ってる。
「もう少し、HR特別室にいちゃダメですかね」
バカな。
頭でもおかしくなったのか。
だが、言葉は止まらなかった。
「俺、ここに来て、なんかいろんなことがひっくり返されて、最初はなんだこれって、みんな頭おかしいんじゃないかって思って、いや、今でもちょっと思ってますけど、でも、でも、何か掴めそうなんですよ。だから、もう少しここで、皆さんと一緒に仕事しちゃ、ダメですかね」
酔いすぎだ。
何を言っている。
思わず俯いた。早くも後悔が襲ってくる。だが……だが、何も間違っていないとも思うのだ。俺は事実、そう感じていた。来週の月曜、何事もなかったように営業一部に出勤する自分を、想像できなかった。たった一週間だ。たった一週間、彼らと過ごしただけなのに。
……ちょっとした沈黙の後で、高橋のふっという笑い声が聞こえた。
視線をあげると、いつになく嬉しそうな高橋の顔。
「ダメよ」
「……え?」
「ねえ?」
そう言って高橋は保科を見る。保科はスマホをテーブルに置き、俺の方を見た。
「ダメに決まってんじゃん」
「そんな……」
助けを求めるように室長を見る。室長はいつもの呑気そうな笑顔だ。だが、その口から放たれた言葉は、俺の頭の中にずっと残るものになった。
「君は帰る。それが大事なことなんだ」
「……」
「だけど、営業一部に帰る君は、一週間前の君とは別の君だ。私たちとの仕事を通じて君が何か変化をしたのなら、そしてそれを自分で大切だと思えるなら、君はその変化をほかの誰かに伝えていかなければならない。鬼頭部長がなぜ君をここに送り込んだのか、送り込まれた人間として、君はそれを本気で考える責任があるんだよ」
「やだ、ちょっと良いこと言うじゃない」
高橋がちゃかしながら、手元のビールジョッキを手にとった。隣の保科も、烏龍茶を手に持って掲げる。
「別にどこで働こうが、君はもう、HR特別室のことを忘れることはない。そうだろ?」
そう言って室長もジョッキを持ち上げた。
俺は三人の顔を見回した。その目に、俺をバカにするような色は一切ない。
こみあげてくる涙を奥歯で噛み締めながら、俺もジョッキを持ち上げた。
「乾杯!」
室長の声が響き、次の瞬間、グラス同士が重なりあう高い音が響いた。
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