第4章  『正しいこと、の連鎖』⑥

 正木についてのネガティブな記述を見つけた約1時間後、HR特別室の扉の外で、エレベーターの音がした。


「……うん、ああ、なるほどね」


 電話で話しながらの登場は、ここで初めて会ったときと同じだ。そういえばあのときは、某大企業の社長とおぼしき相手を、「エロオヤジ」呼ばわりしていたっけ。


だが、今日の高橋の表情は妙に真剣だった。落ち着いた低い声で、話し相手の言葉に耳を傾けている。


「……で、キャッチできそう? ……うん……うん、OK、じゃあまた連絡ちょうだい」


 どこか物々しい雰囲気でそう言うと、相手の終話も恐らく待たずにパタンと電話を閉じる。そして間髪入れず、長い髪をかきあげながら反対の手で俺を指差す。


「で、何かわかった?」


「……え、あ、ええと……」


「何がええと、よ。早くなさい」


 迷いのない口調。俺を下に見ていることを隠そうともしない。まるでSMの女王様だ。だが、そういう態度をとっても様になる風貌なのだから腹立たしい。


「……まず、BAND JAPANの掲載実績を調べました。それで過去に受注してる営業二部の営業に連絡して、直接話を聞きまして――」


 話し始めて早々、「僕ちゃん」と遮られる。


「え……何ですか」


「あなたの行動を一つずつ順番に聞かなきゃいけないの? ……結論を先に言いなさい」


 目を細めて俺を睨むその顔に、思わずゴクリとつばを飲み込む。なんだこの迫力。


 ……とにかく、結論だ。高橋が求める結論。頭をフル回転させると、ビデオの映像を巻き戻しするように記憶が撹拌される。そして俺の意識は、その中から1枚の画像を探し当てる。


「……野球です」


 高橋が眉間に皺を寄せる。


「野球?」


「正木一重は高校の頃、野球部の中心メンバーだった。でもある大会で、チームメイトと激しく衝突して大怪我をした」


「へえ……それで?」


「新聞記事には、全治3ヶ月と書かれてました。正木が途中退場したことでチームは敗退。その件を周囲から責められ、気を落として不登校になった、というような情報もありました」


「不登校……その後は?」


「わかりません。野球の試合について以外の情報は、いわゆる2ちゃんのレスの中から見つけたもので、そちらも確かではありません。ただ、結構辛辣なことが書かれてあって」


 そして俺は、正木が先輩たちから恨まれていたこと、不登校になってホームレスのような風貌になっていたこと、さらには、自殺未遂までしたらしいということを、事実でない可能性もあるとした上で伝えた。


「……あの、高橋さん。俺、よくわからないんですけど」


「何が?」


「どうして俺に、正木さんについて調べろって言ったんです?」


「さあ」


「さあって……」


 自分は躊躇なく質問してくるくせに、聞かれたことには答えない。……考えてみれば、この部署の人間は皆そうだ。保科も室長も、こっちが聞いた質問にまともに答えてくれはしない。


 諦めるものか。無言で高橋の顔を見つめていると、高橋は肩をすくめる。


「別に、具体的な根拠があったわけじゃないわ。でも、彼のあの表情……普通じゃなかったでしょ?」


 確かに、正木についての過去を知った上で考えれば、やはりあの笑顔は不自然だったと思う。でも、その印象だってネット上の情報によるバイアスが掛かったものかもしれない。


「確かにちょっとおかしいなと思いましたけど……でも……過去に何があったにせよ、彼が今、ああやって元気に働いていて、しかもいい給料をもらってるのは事実じゃないですか」


 俺が言うと高橋は「そうね」と妙に素直に同意すると、俺の隣の席に腰を下ろす。そして髪をかきあげ、バッグからコンパクトを取り出し化粧直しをはじめる。


「……でも、そういう“事実”も含めて、典型的過ぎるのよ。あの笑顔はお面みたいなものに過ぎない。決して心から笑ってるわけじゃない」


「典型的って……何の話ですか」


「私はこの言い方好きじゃないんだけど……わかりやすく言えば」


 そして高橋は、コンパクトの鏡越しに俺の方を見た。


「ブラック企業のやり口よ」


「ブラック企業……」


 今日のアポがなければ、笑って否定しただろう。そんなはずがない。世界を席巻しているあのPOの会社だ。働き方だって“今風”なのに違いない、と。


 だが、今の俺はあの「ジャングル」の奥に隠されたBAND JAPANの「本体」を知っている。そして、ヤクザのようなスーツを着た槙原社長と、その言葉一つ一つに過剰に反応する社員たちの姿を。


 思わず黙った俺から視線を外し、高橋は続ける。


「今の世の中、ブラック企業と言えば、“残業が多い会社”くらいのイメージかもしれないけれど、問題は残業時間の長さなんかじゃないのよ。この問題の根幹には、本人たちも自覚しないうちに完了してしまう“洗脳“の怖さがある」


「洗脳? ちょっと、何言ってんすか急に」


 話がいきなり大きくなって、俺は思わず声を荒げた。


 その声に反応したのか、ソファで爆睡していた室長が「ううん……」と呻いて身をよじる。慌ててボリュームを落とし、俺は続けた。


「すみません。……でも、洗脳って?」


 高橋は薄いピンク色の口紅を引き、自分の唇を使ってそれを馴染ませる。その様子が妙に生々しくて、俺は目を逸らす。


「六本木であんたと別れてから、私もちょっとした調べ物をしてたのよ」


 高橋はパタンとコンパクトを閉じ、こちらを横目で見て言う。


「調べ物?」


「そ。もっとも、あんたみたいにネットでチャチャッとで終わる話じゃない。ある会社の調査員に会いに行ってきたわ」


「調査員って……誰なんですか」


「いわゆる調査系マーケティング会社の人。クライアントから依頼を受けて、対象企業の情報を集めてくるのよ。場合によっては、本当に入社する場合もある」


「入社って……スパイじゃないですか」


「そうよ」


 高橋はあっけらかんと肯定する。


「でも、誰でもネットにアクセスできて、SNSのアカウントを持ってる時代なんだから、社員全員がスパイだとも言える」


「そんなの……詭弁ですよ。金もらって情報を盗むのは犯罪だ。仕事の愚痴をTweetするのとは違う」


 そう言うと高橋はわずかに驚いた表情をして俺を見ると、なぜか嬉しそうに笑った。


「意外に固いのね。もうちょっとスレてると思ってたけど」


「……からかわないでください。で、その調査員に何を聞いてきたんです」


「情報を盗むのは犯罪なんでしょ? それを聞いたらあんたも同罪だけど」


 思わず口ごもると、いよいよ高橋は楽しそうに笑った。


「ふふ、冗談よ。……今回私が彼に聞いたのは、BAND JAPANの導入研修について」


「導入研修?」


「ええ。入社して最初に受けさせられる研修ね」


「どうしてそんなことを」


「ま、今回の案件を引き継ぐにあたり、軽く事前調査してたことは否定しない。そもそも高木生命の“体質”についてはこれまでにも噂は聞いてたしね」


「高木生命? BAND JAPANじゃなくてですか」


「BAND JAPANってのは高木生命の“ガワ”に過ぎない。いいかげん学習しなさいよ。入社するのがBAND JAPANだろうが、受けさせられる研修は高木生命方式で作られてる」


そうだった。あの華やかなBAND JAPANの本体は、高木生命なのだ。


「……それで、何なんですか、その導入研修って」


 俺が言うと高橋はもったいつけるように微笑み、高そうなバッグの中から電子タバコの機械を取り出して、吸い始める。すぐに普通のタバコとは違う、バラとかスパイスを感じさせるにおいが漂い始める。


「その調査員に話を聞いたのは大正解だった。何しろ彼、その研修を実際に見たっていうのよね」


「え? じゃあその人、高木生命の社員だったんですか」


 さすがに驚いて言うと、高橋は首を振った。


「いいえ。高木生命が毎年4月の前半にに数日間貸し切りにする、山奥にある古いホテルの短期バイトに申し込んだのよ。それで、大ホールを使って何時間も行われるその研修の様子を、給仕スタッフの立場で見た」


「へえ……なんか映画みたいすね」


 俺は素直に感心してしまった。だが高橋は怖い顔をして「バカね」と俺を睨む。


「いい? 映画なら2時間で終わりだけど、ここでの経験は下手したら一生引きずる。現実だから怖いのよ」


 高橋の言い方に、俺の頭は恐ろしい風景が想像された。プロレスラーみたいな男にボコボコにされるとか、両手足を縛られた状態でナイフをつきつけられるとか……研修というよりそれじゃ拷問だ。


「一生引きずるって……一体どんなことをさせられるんですか」


 そういう俺に、高橋は答えた。


「選択肢を、奪うのよ」


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