第3章 『息子にラブレターを』⑩
クーティーズの原稿を見た時、こんな原稿に応募してくる奴が本当にいるのか疑問だった。だが実際、効果は出た。採用できるかは別として、応募数は非常にいい。
あの原稿が変わっていたのは、店の状況があまりよくないことを正直に書いている点だ。それが逆に、求職者にウケた。掲載1日で10件の応募。こういう「事例」がある以上、試してみる価値はあるではないか。
「た、確かに参考にはしました。でも、中澤工業の状況と似ているのも事実です。中澤工業もクーティーズ同様、いろいろな課題を抱えている。それをしっかり表現することで、それでもいい、という人が集まるんじゃないかと思ってですね……」
「ふむ」
「実際、クーティーズは効果が出てるじゃないですか。だから、同じ手法を試さない手はないというか……」
室長は、よっ、っと勢いをつけて体を起こした。
「ま、悪くないと思うよ。しかし、クーティーズのやり方と、そっくり同じというわけにはいかない」
俺は自分が不機嫌な顔になったのを自覚した。
クーティーズの手法――いま隣の席でイヤホンをしながら作業をしている、どう見ても社会人には見えない頭のおかしい制作マン・保科の手法――をパクった、もとい、参考にしたのは事実だ。
だが、そこに根拠があるのだから問題はないはずだ。それに、クライアントに対してしっかり持論を展開する保科と違い、俺はまだ室長の力量を測りかねていた。営業としてどんな実績があり、どれほどのスキルを持っているのかよくわからない室長に、自分の意見を否定されるのはおもしろくない。
「……どういうことですか」
不機嫌を隠さず俺が聞くと、室長は肩をすくめるようにして、答える。
「クーティーズに応募が来てるのは、あれは……業態のアドバンテージがあるからだよ」
「アドバンテージ?」
「いま、クラフト系、
「……」
「1日で応募が10件あったからって、それがどんな10件なのかは知れたものじゃない。だから保科くんは、すぐに全員と連絡を取れって言ったんだ。簡易なエントリーシートだけ見てても、その人がどんな人間で、どんな気持ちで応募してきたかなんてなかなかわからないよ」
そんなこと……言われなくたってわかってる。そう思おうとしたが、言い返すことはできなかった。
「ま、要するに、クーティーズには業態が根拠のラッキーがあり得るってことだ。でも、かたや中澤工業はどうだろう。業種で見ても職種で見ても、あまりラッキーは起こらないように思わないかい?」
「……そうかも、しれませんけど」
しぶしぶ認める俺に、室長はどこか淡々とした口調で続ける。
「君の言うように、全てを正直に書いた原稿を掲載したとしよう。確かにあの会社の現状を伝えることはできるかもしれないね。でも、これから自分が働く場所を真剣に探している求職者が、わざわざ中澤工業を選ぶだろうか。同情はするかもしれない。でも……それだけだ」
いつも穏やかで、見方によっては「緩んでいる」と言ってもいい室長の表情が、一瞬、キリリと鋭くなった気がした。えっ、と思わず何度か瞬きをする。見れば、室長の顔は既に、いつもの呑気そうな笑顔に戻っていた。
「室長なら、どうするんですか」
不機嫌な気持ちはどこかにいきつつあった。室長の考えを聞きたい。この人なら、営業としてどんな提案をするのか。
「そうだねえ。やっぱり、中澤工業にしかない魅力、を見つけるべきなんじゃないかな」
「魅力、ですって?」
一瞬ふくらんだ期待が、急激にしぼんでいった。
なんだそれ。あまりに普通の答えにガッカリする。その魅力が見つからないから苦労してるんじゃねえか。
というより、中澤工業はデメリットだらけの職場だ。工場は古びていて、会社規模も小さく、給与や待遇も悪い。仕事は簡単ではなく、残業だってあるのに、給料は同業他社より何万円も低い。もしかしたら外国人が働いていることをマイナスに感じる求職者もいるかもしれない。
……確かに人はいい。社長も婦人も、ベトナムからの研修生たちも……そしてあの高本も、皆いい人たちだとは思う。だが、如何せんマイナスポイントが多すぎる。
そんな状況を前に、「中澤工業にしかない魅力を見つけろ」と室長は言うのか。
やっぱりダメだ、この人。俺は内心で思う。だいたいこの人は、研修に来ただけの俺に案件を丸投げしている。自分で考えられないから、俺にぶん投げたのか?
俺の気持ちを知ってか知らずか、室長はまたスマホをポチポチと操作し始める。
一体どういうつもりなんだ。「自分の案件なんだから自分で考えろよ」と今にも口から出てきそうな気分だった。
……だがそのとき、部屋の隅にあるプリンターがガチャガチャと動き出した。何枚もの紙が吐き出されている。
室長はよっとソファから立ち上がると、その紙束を持って戻ってきた。
「これ、見た?」
手渡された書類に目を落とすと、よくわからないが、何かの個人ブログのようだった。大手ブログサービスを使った、何の変哲もないブログ。SNSでの投稿が当たり前になった今、そのUIはひどく古めかしいものに見える。デザイン性にはまったく気を遣っていない、ゴチャゴチャして見にくいレイアウト。
「……なんですかこれ」
書類から顔を上げて聞くと、室長はニッコリとして答えた。
「あのご婦人のブログだ」
「え……婦人って、中澤社長の奥さんですか」
俺が言うと室長は頷いた。
「内容は、ま、普通の日記だ。桜が咲いたとか、誰それがお土産をくれたとか、そろそろ年賀状書かなきゃとか」
俺は再び書類に視線を落とした。ページをめくる。確かに、そういう内容の日記が、数行という短い文量で書かれてある。その言葉遣いも、なるほど年配の女性という感じだ。すぐにあの婦人の顔が思い浮かぶ。
「正直、PVはほとんどないだろうなあ。ランキングに参加してる風でもないし」
「まあ……そうでしょうね」
俺はなぜ室長がこんなものを見つけてきたのか、そしてそれを俺に見せたのかよくわからないまま、言った。ほぼ毎日更新されているらしく、記事数は実に三千件近くにものぼっている。
「じゃあ婦人はどうして、こんなものをつけているんだろう。誰に読まれるわけでもないのに」
そうだ。
室長の言う通り、こんな個人の日記を熱心に読むほど皆ひまじゃない。
有名人ならいざ知らず、下町にある小さな工場の事務員の日記を、誰が読みたいと思うだろうか。
「君はどうしてだと思う?」
再び聞いてくる室長に、俺はまた不機嫌になる。
「そんなのわかるわけじゃないじゃないですか」
「気づかないかい?」
「何がですか」
「……手紙だよ」
「え?」
「これ……亡くなった息子さんに充てた、手紙なんだよ」
思わず息を呑んだ。無言で手の中の紙に見入る。
「じっくり読んでみればわかる。一見、どうということのない文章に思えるがね。これは誰かに向けて語りかけてるものだ。それも、特定の誰かに」
「……」
「溜まった記事は約三千件。その最初の投稿は、いまから約9年前だ」
「9年前……」
息子さんが亡くなったのは9年前。婦人の悲しそうな顔が思い浮かんだ。
「……でも、そうだとして、何だと言うんです。これが求人にどう関係するんですか」
何となく心を乱された俺は、ぶっきらぼうに言った。
室長はニッコリと笑い、肩をすくめた。
「求人広告はラブレターだって、習わなかったかい?」
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