第3章  『息子にラブレターを』⑨

「君ならどうするかね、今回の件」


 帰りのタクシーの中で、宇田川室長は言った。その手には、帰り際に婦人から受け取った募集要項がある。横目でそれを覗き込み、俺は絶望的な気分になる。


「どうするって……そんな条件で社員がとれるはずないですよ」


 言いながら、息苦しさを覚えた。病院で聞いた社長の話、そして先ほどの婦人の様子に、どうにかしてあげたいという気持ちにはなっていた。だが、気持ちだけではどうしようもないことはある。募集要項に書かれた条件は、都内はおろか、隣の千葉や神奈川に比べても低いと言わざるを得ない水準だったからだ。


「じゃあ、条件の改善をお願いする?」


「……それしかないんじゃないですかね。可能かどうかはわからないですけど」


「ふむ」


 そう言ったっきり、室長は黙った。車窓の外をじっと眺めたまま、何も言わない、


 俺はあらためて、考えてみた。確かに、1万円でも2万円でも、給与が上げられたらその方がいいのは間違いない。人間、まったく同じ仕事をするなら、月15万円より月20万円の方を選ぶ。お金はどれだけあったって困らない。そんなのは当然だ。


 だが、仮に給与が上がったとして、勝負できるのか。同業他社と同水準になったとして、あのような古い工場の機械オペレーターという仕事に、どれだけの人が魅力を感じるだろう。


 今は、空前の人手不足。有効求人倍率はバブル期並と言われている時代だ。どの企業も人が採れずに困っている。大手企業ですら人が集まらず、施工管理や設計など資格が必要な仕事も、未経験歓迎で公募するようになった。


 逆の視点から見れば、求職者はいま、仕事が選べる。無数の求人広告を見比べて、条件のいい所に応募することができる。そんな中で、わざわざ中澤工業を選ぶ求職者がいるとは思えなかった。


 社長も婦人もいい人だとは思うが、お世辞にもキレイとはいえない環境で、しかも作っているモノも地味だ。


 無理だ、と思う。


 黙っていると、「まあ、少し考えてみて」と室長が言った。




 HR特別室に戻ると、室長は躊躇なくソファに寝転び、スマホをいじり始めてしまった。


 いい気なもんだ。答えのない難題、席の一つに座り、とりあえずパソコンを開く、ブラウザで主要な求人メディアを開き、「葛西 機械オペレーター」などと検索してみる。


 やはり、給与はそれなりに高い。中澤工業の金額より、最低でも2〜3万円は高いのだ。俺はため息をつく。


 だが、先ほど考えたように、仮にこの水準まで高められたとして、中澤工業を選んでくれる求職者は多くない。今はどの会社も、求職者から人気が出るような環境づくりに余念がないからだ。未経験歓迎は当然として、残業なしも当たり前、中にはいきなり時短勤務やフレックス制度を適用される場合もある。


「ダメだ……」


 思わず言う。


 その時、物音がして、保科が入ってきた、ロン毛を後ろで縛り、お団子にしている、上はジャケットだが、いわゆるフォーマルなそれではなく、馬鹿みたいにオーバーサイズだ。下はいつもの黒いスキニーパンツに、ボロボロのVANS。


「あ、おはようございます」


 俺が言うと、「うん」と気のない返事を寄越し、俺の2つとなり、iMacの前にどかっと腰を下ろす。当たり前のようにイヤホンをつけようとするので、「あの、保科さん」と声をかけた。


「なに」


 あからさまに嫌な顔をして保科が言う。


「あ……いや」


 何をどう聞けばいいのか。だいたいコイツが俺の質問にまともに応えてくれるとも思えない。


「あ、あの、クーティーズ、効果どうなんですか」


 咄嗟に言った。室長から見せられたあの原稿。効果が気になっていたのもある。保科はつまらなそうに視線をディスプレイに戻し、「応募10件」とそっけなく応えた。


「え、1日でですか」


 聞くまでもない。あの原稿は昨日からの掲載なのだ。だが、飲食店の社員募集で10件はかなりいい滑り出しだ。既に、成功したと言ってもいい結果ではないか。


「よかったですね、すごい」


 俺が言うと、保科ははあ? という顔をして俺を見る。


「何言ってんの」


「え……いや、だって、そんだけ応募来たら万々歳じゃないですか」


 そう言うと保科は大きなため息をつく。


「社長もおんなじこと言ってっから、いま店に行って説教してきたんだよ」


「は? 説教?」


「応募数になんて意味はないんだ。数字眺めて満足してる暇があるなら、すぐに10人全員に電話しろって」


「……」


 今度こそイヤホンをつけて、音楽を大音量で聞き始めた保科を呆然と見つめる。


 頭の中に、先日の保科の言葉が蘇る。


 ――採用ってのは、人間の話だろ?


 そうだった、と思う。あの時保科は、採用の打ち合わせなのに金やデータの話ばかりしている俺たちを、そうたしなめたのだ。




「それで、何か思いついた?」


 1時間ほど経った頃、相変わらずソファの上でスマホをいじっていた宇田川室長が聞いた。少し前から答えを用意していた俺は、振り返って言う。


「正直に書いたらどうかと思いました」


「正直に?」


 室長は表情を変えずにオウム返しする。視線はまだスマホにある。指が動いているのを見ると、何かを読みながら俺の話を聞いているらしい。


「だから……中澤工業の状況を、全部正直に書くんです」


「ほう」


 その気のない反応に、苛立ちを覚える。なにが、ほう、だ。


 原稿はメリットで埋め尽くす、マイナスポイントは書かないのが基本、という求人広告で、「全部正直に書く」と言っているんだぞ。


 原稿作成において、そんな提案をクライアントにしたことなど一度もない。いつだって俺は、「いい所を膨らませて書きましょう」と言ってきた。そうやって作った原稿の方が明らかに効果があるし、そもそも、会社の至らない点をバラすような原稿では決済者のOKがもらえないのだ。


「……中澤工業には、同業他社とくらべて明らかに劣っている点がいくつもあります。給与も、制度面も、労働環境も、全部標準以下だ。それらをすべて隠すことは困難です。だったらもう最初から、全部ぶちまけてしまって、納得した上で応募してもらった方がいいんじゃないかと」


 そうだ。中澤工業にはマイナスポイントがあり過ぎる。労働環境だけならまだごまかしもきくが、給与となればそうもいかない。月給20万円の募集を、月給30万円と書くわけにはいかないのだ。それでは虚偽広告になってしまう。


 だからこの際、何も隠し立てせず素っ裸になってみたらどうか、というのが俺の案だ。最初からすべてをさらけ出すことで、志望動機の強い応募者を集める手法だ。


 俺の説明に「ふうん……」と呟いた室長は、スマホから俺に視線を移すと、言った。


「なんか、クーティーズみたいだね」


「……え?」


「つまり君は、中澤工業の採用課題を、クーティーズと同じやり方で解決しようとしてるわけだ」


 思わず口ごもる。


 図星だった。

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