第二夜 破廉恥の定義

第5話

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 第二夜 破廉恥の定義

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 滑井が「トイレ行きたい」と言い出した。

 翌日の『二鬼夜行』最中のことであった。



 夏の訪れを感じさせる蒸し暑い空気の中、私たちはダラダラと夜道を歩いていた。

 汗ばんだシャツがヒルのように体に吸い付くので私はいっそ上半身裸になろうかと考えたが、そうなれば変人確定である。露出狂と大差ないのである。そして女装した露出狂とは、もう世も末な訳である。

 なんとも惨めなことだ。先人の妖怪たちが今の私らを見れば、情けなさでアラル海が復活するくらいの涙を流すであろう。

 そんな中であった。

 歩いていると、急に滑井がくねくねし始めた。エセ千鳥足のように、あっちにフラフラこっちにフラフラ。心なしか顔色も悪そうであり、妙に息が荒い。あたかもウナギがエセ・フラダンスを踊っているようである。

 傍から見ていて、非常に気持ち悪い眺めであった。

「……もしかしてトイレか?」

 私が言うと、滑井は珍しく素直にコクリと頷いた。

「どのくらいヤバい?」

「……大マゼラン星雲くらいです」

「訳分からん」

 私はこの辺りの地図を思い浮かべた。公園はないから公衆便所はない。滑井を見ると、何だか今にも卵を産むか脱皮でもしそうな顔をしている。となれば、あと頼れるのは……。

「コンビニで、トイレだけ借りるか?」

 コクコク。

「そこまで持ちそうか?」

 ……。

「……まぁいい。近場のコンビニに行くぞ」

 我々は進路を変え、表通りに戻るべく歩き出した。

 歩き出したのだが……。

「……ッ!」

 一歩踏み出した途端、滑井が呻いた。見ると股間を抑えたまま、悪趣味な彫刻のように硬直している。いや、それにしても悪趣味すぎる。

 いつも切り干し大根のような顔色が今では薄紫になり、まるで漬け物のようだ。額には汗がにじみ出て、ジットリと嫌な感じにテカっている。唇が固く引き結ばれているせいで、変顔をしているようにも見えた。

「……ちょっと、無理、……です……」

 滑井はそう、まるで遺言のように途切れ途切れに言うと――、

 ぶっ倒れた。

 アハ、ご臨終ですねこりゃ。

「……滑井?」

 無言。

「オイ起きろ、このへっぽこ妖怪野郎め」

 答えがない。

 ……もしやホントに死んだんじゃ無かろうな?

 滑井の体をひっくり返すと、奴は「ムムッ」と唸った。

 いっそ、滑井をこのままこの場に不法投棄してしまおうかとも考えたが、私の倫理観がそれを許さなかった。粗大ごみ回収業者に迷惑が掛かるからである。無論、粗大ごみとは奴のことである。

 とはいえ滑井をどうやって運べばいい? おんぶなどごめんである。背中で爆発されたら、たまったものじゃない。

 私は溜息を吐き……、滑井を抱え上げた。


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 時に『お姫様抱っこ』をご存じだろうか?

 そう、アレである。倒錯したカップルが行うという、男性が女性の背中と膝裏を抱え上げる抱っこである。そんなことをする厚顔無恥で恥知らずなカップル様たちは全員、種子島宇宙センターから打ち上げてしまえばいいのにと思う。

 ……とはいえ男性が女性を抱えるのであれば、取り敢えず絵としては成立する。だが試しにこの男女の立ち位置を逆にすると、いったい何が起こるか?

 非っ常~に気色悪い絵が出来上がるのである。

 そして不本意ながら、今の私と滑井がちょうどそれであった。


 私は表通りに出た。

 私の腕の中でもはや蝋人形と化した滑井と、それを抱えるわが女装姿よ。

 まさにカオスな絵である。カオスすぎて、一周回ってコスモス生える。

 当然周囲からの視線は、見てはイケナイモノを見たといった風であった。即ち、我々の神をも恐れぬ熱々ぶり(そんなものはないが)は、その場にいた通行人を遍く黒焦げにしたのである。あぁ死にたい。

 私の羞恥心は今や、日本の財政のようにパッツンパッツンである。

 更にタイミング悪く信号に掛かり、突っ立ったまま大通りに恥ずかしい姿を晒す羽目になった。

 あな、えらいことになりにけり~。

「ねぇママ、あのお姉さんは何してるの?」

「しっ! 世の中には関わらない方がいい人もいるのよ」

 塾帰りらしい親子連れの会話が聞こえてきて、私の粉雪のように繊細な心は粉々に破壊され、グチャグチャな泥混じりの水となった。


「……すみません、トイレをお借りしてもいいですか?」

 店内に入ると一斉に奇異の目が向けられた。だがアルバイトらしき店員が、ドン引きしながらも小さく頷いてくれた。 

 しきりに頭を下げつつ、蝋人形・滑井をトイレに搬入したのであった。いっそ、そのまま奴をトイレに流してやりたかったが。


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