Fragile (ワレモノ注意)

 今日の天気は、どんよりだ。

 私の心と同じ色。

 昨日までのたくさんの重い荷物を心に詰め込み、青空がここまで暗く重たくなってきた。


 もう少しで私の心の器が悲鳴をあげる。重みに耐えきれずピシッと行きそう。


 心の奥に追いやられた幸せな思い出たちを、荷物の隙間から引っ張り出してみる。





 英語教師をめざして受けた大学。親友がすぐ三人もできた。

 初めての一人暮らし。カレーとシチューの繰り返し。でも美味しかった。

 夜中までワイワイ語り合ったサークルの仲間たち。とても楽しかった。

 授業中、隣で船漕ぐ親友のノートに「寝るな」とイタズラ。笑いをこらえるのに必死。




 涙の卒業式。それぞれ地元に帰って教師になる。私は地元で小学校講師。理想通りとはいかない。

 けれど、無邪気で可愛い子供たち。まるで、お母さんになったよう。登校から下校まで、体のどこかにいつも子供がくっ付いてた。




 講師を終えた私は、昔憧れていた仕事を目指す。募集広告を切り抜き、さっそく挑む。まさかまさかの合格通知。

 毎日、厳しい訓練、厳しい試験、厳しい生活。

 それも、青空の真ん中から雲を見下ろした時、全てが吹っ飛んだ。



 憧れの街。憧れの景色。憧れの美術館。忙しくて大変で楽しかった。

 初めて食べた美味しい料理。

 初めて買った家族への土産。

 初めて見た宇宙の景色。



 ああ、もしかすると、この思い出たちが、黒くて重い雲たちの合間から太陽の光をさしてくれるだろうか。




 ピシッ──

 ん? どうしたの? なぜ?




 心がささやいた。「思い出にすがるな」

 ──冷酷にもほどがある。


「思い出はすぎた風のごとし」

 ──そんなことない! 大切な宝だ!


「思い出はお前が消えたら消えるもの」

 ──それは違う! 共有してきた家族や友がいる。


「思い出でメシは食えない」

 ──メシは食えなくても、心の糧になる。


「今のお前を見ろ」

 ──それでも私は止めない。





 ピシッ──

 え? どうして? 過ぎた幸せに浸ることもいけないというの?



 すると次の瞬間、パーンと大きな音を立てて、なにかが割れる音がした。

 粉々に散り散りに、ダイナマイトで吹き飛ばされるような音。

 痛みはない。苦しくはない。哀しくもない。涙も出ない。




 静けさが戻った。心の器の中で、立ち昇った煙がどんどん薄らいでくる。ようやく見えてきた。



 さっきまであった山積みの重い荷物が、粉々に散っている。黒く乾燥した大きなほこりの山のように。

 やがて陽射しが燦々さんさんと降りそそいできた。埃はどこかに吸い込まれ、やがて消えた。


 ──これはなに? 何が起きたの?




 心が答える。「重い荷物はワレモノ注意だ」

 ──心の器の方じゃなくて?


「重い荷物はお前が勝手に抱えて来たもの。そんな荷物はここには要らない」

 ──壊してもいいの? まだ解決してない。


「重い荷物は宝なのか?」

 ──絶対に違う! こんなもの要らない!


「それなら、今度重い荷物を運び入れたくなったら、これを荷物に貼ることだ」



 そこには『ワレモノ注意』のシールが山積みされていた。私の心の器は強気だ。私は私を信じられず、抱えた重荷を一人で奥に詰め込んでいたのだ。



 しかし、私の心の器はちゃんと見抜いていた。それらは全部、Fragileワレモノ注意の不用品だということを。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る