30

 既にシオリの体は顔が見えるくらいまで下がっていた。気を失っているのか、その両眼は閉じたままだ。そして、体が下がるスピードが、確かに速くなっているような……


 まずい。このままじゃ、間に合ったとしてもギリギリだ。だけど、焦っちゃいけない。ぼくは慎重にタイミングを見極める。


 ようし……減速開始ポイントは……ここだ!


 ホバリングモードに移行し、機首を上げて急減速。邪魔になるキャノピーは緊急投棄イジェクトする。だが、キャノピーイジェクトスイッチを押したとたん、キャノピーは一瞬で消えてしまった。ぼくらは思いっきり風圧にさらされる。


 操縦桿を押し、機首を下ろして機体を水平に。間違ってもキャビンの真後ろで回っているリフトファンにシオリを落として巻き込むわけにはいかない。そうなったらファンに切り刻まれてシオリの体はバラバラになってしまうだろう。


「シオリ!」ヤスが絶叫する。シオリの体がとうとう落下し始めたのだ。


 やばい。機体はまだ止まり切っていない。頼む……間に合ってくれ!


 次の瞬間。


 ドスン、という衝撃。


「うわっ!」ヤスが悲鳴を上げる。


「!」


 振り返ると、シオリがヤスの席にすっぽりと収まっていた。どうやらヤスは彼女の下敷きになってしまったらしい。


「ヤス! 大丈夫か!」ぼくは思わず叫ぶ。


「……ああ、何とかな……ったく、こいつ、こんなに重かったか……?」


 ヤスのぼやき声が聞こえてきた。そして、


「あ、あれ……ウチ、どうなったん?」


 シオリだった。落下のショックで目を覚ましたようだ。


 安心した。二人とも無事みたいだ。ほんとは元の席にシオリを落としたかったが、ちょっとだけずれてしまった。だけど、その程度のずれで本当に良かった。あと0.1秒遅いか早いかだったら、シオリはリフトファンに巻き込まれたか、あるいはそのまま真下の地面に落ちていたかもしれない。


「シオリ、大丈夫か?」と、ヤス。「お前、ワームホールに飲み込まれかけたんだぞ」


「ええっ! ほんながけ!」シオリの目が丸くなる。「お兄ちゃんが助けてくれたんけ?」


「正確に言えば、カズが、かな。カズがこの機体をお前の真下にピタリと置いたんだ、結果的に、おれが落ちてきたお前を受け止めた形になった、ってわけだが」


「ほうねんや……ありがと、カズ兄」


「……」


 振り返ることはできなかった。何も言えなかった。


 それをしてしまえば、ぼくがボロボロに泣いていることがシオリにバレてしまうから……


---


 ワームホールは全て処理できた。「神」によれば、時空もかなり安定してきたようだ。ようやくこれで任務完了。ぼくは石崎漁港に向かい、白鷺しらさぎ公園の近くで垂直降下して着陸。三人とも地面に降りると、F-35B はそのまま上昇し、円盤の形に戻って羽咋の方に向かい飛び去っていった。どうも羽咋の山の中のどこかに、秘密の基地があるらしい。


「カズ兄!」


 突然、シオリがぼくに真正面から抱きついてきた。


「うわっ!」思わずぼくはよろける。「ちょ、ちょっと、シオリ……?」


「ありがと、カズ兄……助けてくれて……」


 ぼくの胸に顔をうずめたまま、シオリがつぶやくように言った。涙声だった。


「……違うよ」


 ぼくは彼女を無理矢理自分の体から引きはがす。


「え……?」キョトンとした顔で、シオリ。


「ぼくがミスったんだ。もう少し早く回避できていれば、お前はワームホールに吸い込まれなくて済んだのに……ごめんな。怖い思いさせて、本当にごめん」


 そのまま、ぼくは彼女に向かって頭を下げた。


「な、なんもやわいね! 一瞬のことやったさけぇ、ウチ、何が起こったかもよう分かっとらんげん。気いついたらウチぃ、お兄ちゃんの上に乗っかっとっただけやさけ、なんも怖い思いなんかしとらんわいね。ほやけどぉンね、カズ兄はウチを助けてくれてんやろ? だからウチ、めっちゃ感謝しとる……やっぱカズ兄、かっこいいよ……」


 シオリの顔が、真っ赤に染まった。


「シオリ……」


 なんだろう。


 胸に何かが刺さったような……切ない気持ちが込み上げてくる。


 その時だった。


 "今回もよくやってくれた。お前たちには本当に感謝している"


 突然、「神」からのメッセージが視界に表れる。そうか、今ちょうどシオリの両肩に手を置いているから、見えるんだ。


 それにしても、「神」が感謝を示すなんて、珍しいことだ。


 だけど……


 落ち着いて考えてみると、なんていうか、今回の任務はどう見ても完全にコイツの尻拭いだった、って気がする。そりゃ感謝の言葉くらいかけてもらわないと、やってられないよな。


 まあでも、おかげで F-35B なんて最新の戦闘機を自分の手で操縦出来たんだから、ぼくにとっては悪くない経験だった。シオリやヤスにとってどうだったかは知らないが。


 それでも、これだけは言っておきたい。ぼくはスマホにつながっているマイクのスイッチを入れた。


「一つだけ、言いたいことがあるんですけど」


 "なんだ?"


「やっぱ、あの機体にもシートベルトは付けるべきだと思います」


 そう。シートベルトを締めることができていれば、あの時シオリが吸い込まれることもなかったかもしれないのだ。


 それに対する「神」の返答は、短い一言だけだった。


 "考えておこう"


---

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