20

「大二郎!」


 ぼくが抱えた赤ちゃんを見ると同時に、"まさ"さんとそのお姉さんが大声で号泣する。ぼくが赤ちゃんを"まさ"さんに渡すと、それまでずっと目を閉じていた赤ちゃんが、彼女の腕の中で元気な泣き声を上げ始めた。


「あんやと存じます! 天狗様! あんやと存じます……」"まさ"さんのお姉さんが、ぼくに向かって正座し、目を閉じて両手を合わせ、一心に祈りを捧げている。


 ……天狗様? そうか……今のぼくは防塵マスクをかぶっているんだ。それで天狗に見えたのか……


「気にしないで下さい」


 ぼくはそう言って、視線を"まさ"さんの家に戻す。


 完全に屋根は焼け落ちていた。あの中にシオリがいる……だが、状況は絶望的だった。


 ぼくはシオリをここに連れてきたことを、心の底から後悔した。


 ぼくの目の前で、シオリは死んだ。ぼくが殺したも同然だ。ぼくは……何もできやしなかった。


 悲しいはずなのに、全く涙が出てこない。ショックでぼくはどうかしちまったのかもしれない。


 ふと、目の前に文字が浮かぶ。


 "もう最初のワームホールが閉じる。藤田和彦、戻ってこい"


 「神」からのメッセージ、か……


 だけど……戻ったとしても、もうシオリはいない。彼女を死なせてしまって、ぼくはヤスにも伯父さんと伯母さんにも顔向けできない。だったら、いっそこのまま、この時代で……


 あれ? ちょっと待て?


 シオリがいないのに、なんで「神」からのメッセージが見えるんだ?


 "吉田詩織は死んではおらん"


 ……え?


 ようやくそこで、ぼくは左の手首が何かに掴まれているのに気づく。


 人の両手だった。しかしそれをたどって見てもその手の主は見えず、ただ真っ黒な空間がぼくの真横に広がっているだけだった。


「!」


 いきなりその両手がぼくを、真っ黒な空間の中に引きずり込んだ。


---


 暗闇に目が慣れるにつれ、ぼくは目の前に人影があるのに気づく。


「お帰り、カズ兄」


 その声は……!


「シオリ! 無事だったのか……」


「うん」シオリはぼくの左手首を両手で掴んだまま言う。「どうやら『神』様が助けてくれたみたい。ウチが天井の下敷きになる直前、ウチの真下にワームホールが出来てん。ほんで気ぃついたらウチぃ、ここにおってんよ」


「そうだったのか……」


 考えてみれば、シオリのアルミポンチョは銀色だからかなり目立つ。視力の悪い「神」にもよく見えたのかもしれない。そして、シオリは「神」と直でコンタクトが取れるただ一人の存在だ。「神」もぜひとも助けたいと思ったのかもしれない。本当によかった……


 安心した瞬間、両眼から涙が溢れてきた。ぼくは思わずシオリの両手をふりほどき、そしてそのまま彼女の体を抱きしめる。


「きゃっ……!」


 シオリが小さく悲鳴を上げたのにも構わず、ぼくは彼女を抱く手に力を込めた。強く、強く。


「良かった……お前が無事で、本当に良かったよ……」


 シオリの体を抱きしめ続けるぼくの両側の頬に、涙が止めどなく伝う。


 その時だった。


「ったく……見せつけてくれるなぁ」


「!」


 呆れ顔のヤスの声に、一気に我に返ったぼくは、弾かれたようにシオリの体から飛びのく。しまった……どさくさ紛れに、ぼくはなんてことをしてしまったんだ……


「い、いや、これは……その……てっきりシオリが死んだ、って思ったから……その……」


「はいはい。分かった分かった」ヤスの呆れ顔に拍車がかかる。「ま、お前がちゃんと責任取ってくれるんだったら、おれは別にお前がおれの弟になってもかまわねえけどな」


「責任? 弟?……って、どういう意味だよ!」


「さあなー……って、まあ、冗談はこれくらいにしとくか」そこでヤスが笑顔になる。「ワームホールが閉じる前に、全員向こうの世界に帰すことができたよ。みんな無事で、ホントによかったな」


「そっか……」体から一気に力が抜ける。「よかった……でも、あの人たちの家、燃えちゃったんだよね。みんな、これから……どうなるんだろう」


「それはもう、おれらにはどうしようもないことだよ。でも、命だけでも無事なら、きっと何とかなると思う」


 ヤスが言い終えた、その時。


「カズ兄……ありがと……ギュッてしてくれて……ウチ、むっちゃうれしかった……」


 そう言ってシオリがうつむく。その顔は夜目にも明らかなほどに赤らんでいた。


「え、あ……いや、その……」


 やばい。


 ぼく、なんか、やらかしちゃったみたいだ……


「ぼ、ぼくは何もしてないよ……むしろ、お前を助けたのは、ぼくじゃなくて『神』だろ? そ、そうだ。そのお礼を言わないとな。シオリ、コンタクト出来るか?」


「え? うん、たぶん、できる」


 よかった、なんとか話をそらすのに成功したようだ。そして、シオリの体がぼうっと白く光りだした。彼女はぼくの右手とヤスの左手を、それぞれ自分の左手と右手で握る。ぼくはスマホを取り出し、指を滑らせた。


『シオリを助けていただき、本当にありがとうございました』


「あ……」


 ふと、シオリが表情を変える。ぼくの目の前に以下の文字が浮かび上がった。


 "その後の火災でお前たちの時代には残っていないが、今回の火災での直接の死亡者はゼロだった、という記録がある。これは奇跡に近い。よくやってくれた"


 ……!


 思わずぼくとシオリとヤスは、互いに顔を見合わせる。


「「「やったぁ!」」」


 三人の声が揃った。


---

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