第二十四話 一人も死なせない!

~SIDE エイニー~


 雄々しく広がる翼、撓めく尾。大地を踏みしめる足、裂けんばかりに大きく広げられた顎。


 ワイバーンの一挙手一投足そのすべてが、私たちにとっては脅威となりえる。

 奴にとってはただ伸びをしただけ、骨を鳴らしただけのつもりでも、その巨体から放たれるパワーは、蜂など優に殺せるだけの威力を秘めていた。


 しかし、私たちは昆虫系統でも最強種と名高い、迷宮蜂に仕える身。こんなトカゲごときに敗れたのでは、女王様に示しが付かない。


 上空には48匹の燕蜂が密集し、まるで猛々しい猛禽類のような形をとっている。ワイバーンの低い視力には、燕蜂ではなく鳥と映っているだろう。


 そしてワイバーンの周囲には、12匹の長肢蜂。わずかながらも奴にダメージを与えられる者たちだ。


 最後に一匹、私に代わりエイリーンがこの場の指揮を執っている。


 最強、とまでは言えずとも、ワイバーンは知らず知らずのうちに私たちの絶対的な陣形に嵌ったのだ。


「しかし、どうしたものでしょうか。燕蜂の痛覚刺激毒も大して効果がないようですし、あれほど毒抜きされては神経系の作用もないと考えるべきでしょう」


 燕蜂の毒は威力こそ弱いが、それでも蜂毒だ。神経を直接刺激し痛みを与え、血流にのって身体の器官を停止させる。48匹分の毒を喰らってノーダメージとは、本当に恐ろしい種族だ。

 

 それに私たち長肢蜂13匹の攻撃も、さして深くはなかった。


 毒を効率よく浸透させるため血管の太い首筋を狙ったが、あわよくば神経系も食い破って断絶させるつもりだった。


 それが、ただ鱗と皮を剝がしただけ。私たちの攻撃力では、およそダメージと言えるものは与えられない。


(考えなさい。奴は今、私たちのことを羽虫と思って油断している。ここから逃げずに、私たちを追い払おうとしています。刈り取るのなら、その甘えた考えを……)


 13匹で一斉に攻撃しても、鱗と皮を破るのが関の山。ならば三人一組になど分割すれば、攻撃力はもっと低くなる。


 けれどそのおかげで、ワイバーンがここを離脱するという思考を放棄してくれた。

 私たちのことを弱小だと判断したから、一番面倒くさい状況は回避できたのだ。


 ……だが、どうすれば奴に有効打を与えられる?

 毒は微量ではまったく通用せず、奴の肉を切り裂くこともできない。いったいどうすれば……。


「エイニー、危ないッ!」


 私が思考の渦に飲まれていると、横からそんな声が響いた。


 瞬間、私の目の前は翡翠色で埋め尽くされる。超高速で振りぬかれた、ワイバーンの尾だ。


 遠心力の乗った最高速の一撃。さしもの私も、これを見てから回避するのは不可能だった。私は成すすべなく会心の一撃を喰らい……。


「残念ですが、私ほど体重の軽い魔物にそのような攻撃は通用しません!」


 私はそのまま尾にしがみつき、奴の皮膚を食い破らんと噛みつく。


 昆虫というのは本当に凄まじいもので、体重が軽いことにすら意味があるのだ。


 蚊を殺すとき、机や壁、はたまた両手で挟み込んで殺すだろう。つまるところ、一方通行の攻撃では意味がない。何かで挟み潰さなければ、私たちは殺せないのだ。


 人間は体重が重いせいで、ワイバーンの尾を喰らえば一撃で死ぬ。しかし私たちは、鋭利な爪以外単純な打撃を気にしなくていいのだ。


「燕蜂はそのまま猛禽類の形を維持しつつ、先ほどの傷口にもう一度毒を叩き込みなさい! 長肢蜂は組を切り離さず、奴の打撃を誘うのです!」


 私の指示で真っ先に動いたのは、三人一組を作っていた長肢蜂。私と同じ組だった二人も、即座に私に追いつき尾に喰らいつき始めた。


 私を含め計4組の集団が、翼や足に張り付き攻撃を加える。

 それに対しワイバーンは、私にしたのと同じく打撃を与えんとその巨体を動かした。


 しかして、私と同じように打撃を受けきった各組のメンバーは、針を突き刺すでもなく奴の皮を食い破る。


「飛行するのを最優先した結果、貴方はこの周辺の木々を刈り取った。木がなければ、尾を叩きつけて私たちを殺すこともできないでしょう」


 私の言葉を理解しているのか、奴は尾をさらに撓めかせ、スナップを効かせて自らの背に叩きつけようと試みる。


 しかし、不意を突かれなければワイバーンごときの緩慢な動き、この長肢蜂に追いつけるはずもない。


 いくら高レベル・高ランクと言えど、これは生物的に決まっていることなのだ。この程度の小さい範囲では、ワイバーンは絶対に蜂に追いつけない。


 私たちは冷静に尾から離脱し、遠心力の乗った一撃が背に叩き込まれるのを見送った。

 それは、私たちが与えたどんな傷よりも深い。


 他の組も、ワイバーン相手にうまく立ち回っているようだ。どうにかこうにか、自傷ダメージを稼ごうとしている。


 その瞬間、今度は機を見計らっていた猛禽類が飛び立つ。


 48匹が構成する黒い猛禽類は、烈火のごとき勢いでワイバーンの首筋に集結し、その尾に携えた絶対の一撃を叩き込んだ。


 長肢蜂に気を取られていたワイバーンはこれに対応できず、再び強烈な毒をその身に受けてしまう。


 先ほどは毒抜きされたが、多少は体内に残っているはず。なら、何度もチャレンジして蓄積量を増やせばいい。複合蛋白毒は強力だ。ランクBの巨体を持つワイバーンと言えど、いずれは死に至らしめる。


 さしものワイバーンもこれには危機を感じたのか、毒抜きよりも先に燕蜂を狙う。

 大きく鎌首をもたげ、毒を刺し終え飛び立とうとした彼女たちに喰らいつこうというのだ。


 ワイバーンも、私たちが攻撃を受けて無事なカラクリを見破ったのだろう。

 その点、口に入れてしまえばもう何もできない。ここでは最上の一手だ。だが……。


「させません! 長肢蜂、一斉攻撃ッ!」


 三人一組に散開させた長肢蜂は、一斉に先ほど攻撃していた場所へ戻り、必殺の一撃を用意する。


 瞬間、今日初めての絶叫を聞くことになった。


 大きく開かれた傷口に、同じタイミングで毒針を打ち込んだのだ。それも、筋肉に直接入れた。


 長肢蜂の毒は、蜂系の中でも最上級に痛い毒だ。毒性こそ迷宮蜂に劣るが、瞬間的なダメージは私たちが大きく上回る。


 筋肉を引きはがされるような刺激を受けて、絶叫しない方がどうかしているだろう。


 ワイバーンが大きく動揺した隙を利用して、48匹の燕蜂はうまく離脱した。

 今回は毒抜きもされておらず、首元の早い血流を生かして即座に全身へ行き渡るだろう。


「よし、うまく行きました。あとはこれを、奴が死ぬまで繰り返せば……!」


 ……突如、私の背筋を凄まじい悪寒が駆け巡る。


 なんだ、何を感じているんだ。まったくわからないが、とにかく何かが危険なことはすぐにわかった。


 周囲に視線を巡らせると、不意にワイバーンと目が合った気がした。

 表情なんてわかるはずもないのに、私は奴が何を感じているのか、なぜか読み取ることができる。


 怒り、屈辱……そして喜び。


 笑みだ。そう、奴はこの状況で、笑みを浮かべていたのだ。


「そ、総員退避ッ!」


 それに気付いた私が指示を出すも、もう遅かった。


 撓めく尾ではなく、雄々しい翼でもない。ましてや大地を踏みしめる足でもなく、また裂けんばかりに大きく広げられた顎でもない。


 それは、今日初めて見る明確な攻撃。一挙手一投足などでは断じてない、殺意を持った反撃。


 風の刃。


 一瞬にして迫りくる魔法の剣に、私は己の死を悟った。これはきっと、シャルル様も間に合わないだろう。


(わかっていました、この戦いで誰かは死ぬのだと。それが自分になるという覚悟も、できていました。レジーナ様のために戦い死ぬのなら、悔いなど……)


『ダメ!』


 迫る死に身をゆだねようとしたその瞬間、私の脳に聞き覚えのある声が響く。


『絶対に死なせない。私が守って見せるから!』


 刹那にも満たないわずかな時間、私は確かに、己の力が飛躍的に増加するのを感じた。

 これは以前にも経験したことがある。しかし、前回とは明確に違っているのもまた、瞬時に理解した。


 『経験値再分配』ではない。『女王の加護』だ。女王レジーナ様がこの一瞬で凄まじいほどレベルアップし、その恩恵が私たちに届いたんだ!


 全能感が、私を包み込む。そう、私にはあのお方が付いているのだ。こんなトカゲ風情に、どうして負けることがあり得ようか。


「いいえ決して、負けるはずがありません!」


 さっきまで光のごとく速く見えていた風の刃が、今は木の葉が木から落ちるよりも遅い。

 スキル『超加速』。その効力が、飛躍的に上昇しているのだ。


 私は最小限の動きで風の刃を躱し反転。今度は私からワイバーンに攻撃を仕掛ける。


 もたげた首筋に張り付き、『筋力強化』を最大限まで発動させその肉を食い破る。


 剥き出しになった神経と血管に、私はもっとも信頼する武器を突き付けた。


「レジーナ様。貴女がお与えくださった力に、私も応えて見せます。……『毒創造』ッ!」


 体内で作り出した毒ではなく、今この場で生み出した毒。それは、長肢蜂のものとは異なるモノ。


 私に続き、レジーナ様の力を受け取った長肢蜂が、燕蜂が、一斉にワイバーンへ張り付き毒を放つ。


 ……しかし、さらに後続が続こうとしたその時、ワイバーンは全身の力を失ったように倒れ伏した。


「知っていますか? サボテンによく似た植物で、蜂の針よりも小さい棘に、とても強力な毒を持っているモノがあるのです。ほんの1cmそれが刺されば、ゾウすらも一撃で殺せる必殺の毒。以前から作りたいと思っていたのですが、まさかこのタイミングで完成するとは思いませんでした」


 勝どきは上げない。私たちは蜂だ。信頼できる武器でもって外敵を倒し、静かに去る。それが、蜂という存在なのだ。

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