第34話 嵐の前に、好きだと伝えること

 ツバメと話をしてから数時間後、いつもならランチメニューを考えはじめるころ。アノヨロシがふらふらとリビングに戻ってきた。彼女は寝ぼけまなこでテーブルのハーブティーを飲み干し、俺の肩にもたれかかってきた。


「オーナー……おはようございます~……」

「うん、おはよう。ちなみにいま飲んだの俺のハーブティーね」

「お~……むむ!」


 大きなあくびをして、ほっぺたをパンパンとたたく。そして許してほしいといわんばかりに、ニコッとほほえみかけてきた。かわいいから許す!

 ほかのふたりはまだ眠っているらしい。起きてくるまでアノヨロシとまったりすることにした。とても重大な話を聞くまえに、すこしばかりの日常を過ごしたい。なんというか、嵐の前の静けさ、みたいな。


「シティの闇……そんなことを知ってるなんて、さすがツバメさんですね。メモメモ」

「ん? 紙をつかってメモるんだ?」

「はい! Vグラスだと誰かに見られちゃうかもしれないので、物理的に保存しておくんです。いつか小説を書くときのための、アイデアノートです」


 なるほど。便利さのあまり触れる機会がすっかり減ったけど、紙に残すのはいい考えだ。電子書籍を販売してる俺たちだけど、もとは印刷されたマンガだったんだよな……。


「オーナー、最近はふたりきりの時間がなくて聞けなかったんですけど、ひとつ質問してもいいですか?」

 もちろんと答えた。すると、アノヨロシはなぜかもじもじし始めた。ペンをくるくる回しながら視線をそらしている。どうしたんだろう?


「あの……えっと……どうして私たちを大事にしてくれるんですか? 教育プログラムで学んだ『人間とニューリアン』の関係とは全然ちがって。オーナーは私たちのこと、どう思ってるのかなって……あっ、立場の上下じゃなくてですね! そのぅ……気持ちの話です!」

「きも、きも、気持ち!?」


 なんでだろう? ツバメに言ったのと同じ言葉ですむはずなのに、ものすごく気恥ずかしい。

 けれど……俺たちはもうすぐ命がけの情報を聞いてしまう。ここで伝えなかったら二度と機会を失うかもしれないんだ。ハーブティーを3杯飲んで大きく息を吐く。カップをおでこにあてる。鼓動が高鳴るのを感じつつ、かすかに残った肺の空気を押しだして……言った。



「……………………好き……………………」


『かな?』と口にしそうになるのを必死でこらえた。疑問形じゃだめだ。断定させろ。ハーブティーを飲め!



(ふー)

 

 ああ……ついに言ってしまった。なにかラインのようなものを踏み越えてしまった気分だ。ハーブティーのさわやかな後味が、どんどん甘酸っぱくなっていく。まさか、まさか、俺は恋ってやつをしていたんだろうか……ん? でも、アノヨロシとミナシノの片方を選べ、といわれても絶対無理だぞ? 無理だろ? いつか選ばないとダメだったりする? でも今は無理だぞ。


 ええっと、ツバメは俺のことを信じてくれたから、こたえてあげるのが人情というもの。テロ事件で逃げ道を教えてくれた命の恩人でもあるし。で、おつうは子供、しかもみなしごだ。俺を慕ってくれてるし、やっぱり命の恩人なわけで。



 そうだよ!

 そもそもひとことで表現するのがむずかしいんだ。心情と事情が複雑にからみあった末に出てきた言葉だから……言葉にしたら『好き』しかないんだよ。アノヨロシならわかってくれるよね?


 すがるように振りむくと、アノヨロシは両手で顔を覆っていた。耳が真っ赤だった。



「わああああああ!!」


 とつぜん立ちあがったかと思うと、すごいスピードで走りだす。


「ちょ、どこへいくんだー!?」


 あとを追いかけて廊下を走る!

 彼女の足は人間よりも速い。追いつけるか……いや、ここは『円』の形をした廊下。走り続けてもぐるぐる回りつづける。つまり反対側を向けばいい。俺は回れ右をして両腕をひろげた。さあ、こい!


 やがて彼女がやってきた。


「わわ! オーナー!?」

「かかったな! ホラつかまえたぞ!」




 だがしかし。正面から受けめた、ということは、ぎゅっと抱きしめた格好になるわけで。ふにゃっとつぶれるような柔らかさのなかにも張りがあるというか、なんていうか。何度か味わった感触ではあるものの……シチュエーションのせいだろうか、頭のなかで火花が飛び散っているような気分だ。


「むぐぐ……!」

 腕の中でアノヨロシが身悶えるたび、サラサラした髪が俺の首筋や頬をくすぐる。


(うおお……)

 俺の心よ、落ち着け!

 初めてアノヨロシと出会った夜を思いだせ!


(ひつじが2匹、ひつじが3匹、ひつじが5匹、ひつじが7匹、羊が11匹……!)




 ほら、静まってきた……あれ、アノヨロシも抵抗しなくなっているぞ。なにやら手元でごそごそやっているみたいだ。


「……アノヨロシ?」

「オーナー……しばらくこのままにしててください」

「お、おう……」

「今の気持ちメモってますので」

「書きにくくないか?」

「ダメです、動かないでください!」

「わ、わかった」


 胸元に押しつけられた彼女の頭にあたたかいものを感じながら、しばしの沈黙が流れた。永遠におもえるような数分が経過したころ、アノヨロシはつぶやいた。


「……さっきの言葉……つまり私のこと好きってことですよね?」

「えっ?」

「……好きですか?」

「す、好きだよ」


 しまった。声が裏返ったかな?

 なんだろう、この雰囲気。すごくドキドキする。アノヨロシは俺の腕のなかからそっと離れていった。そして、にっこりとほほえんだ。



「……えへへ、メモ完了です!」



 ふたりの距離がぐっと縮まった……目を覚ましたミナシノとおつうが、ドアのすきまからガッツリと見ていたと知ったのは、約1分後のお話。

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