番外編 ソフィーブリリアントと『痴の事情』(過去編) 1/2

     1


 ソフィーブリリアント。

 それが、魔王グレゴールとなる前のソフィーの名だ。

 彼女は『魔国』の首都に住む、貴族階級の魔族だった。

 穏健派として知られ、連合軍と事を構えたことがない。

 よく言えば平和主義。

 悪く言えば臆病者。

 そんな評価がされていた彼女であるが――。


「マベルー。飲み物のお代わりを持ってきてくれー」


 その実態は、だった。

 ベッドの上で横になりながら、延々と読書に明け暮れる。

 それが彼女のライフワークだ。

 野望もなく、目標もない。

 マベルという名の部下と共に、慎ましい生活をするだけ。


 それが、ソフィーという名の魔族だった。

 そんな彼女の生活は、ある日を境に全く違ったものとなった。


 その日、ソフィーはベッドの上でいつも通りだらけていた。

 魔力を節約できるロリボディの状態だ。

 脱ぎ散らかした服や読みかけの本が床に散らばっている。

 そこに、部下のマベルが現れた。


「ソフィー様、だらけすぎですよ。全く、この本自分で片づけてくださいよ?」

「大丈夫じゃよ。まだ読みかけじゃから」

「それのどこが大丈夫な理由になるんですか? ほらほら、服が半分脱げてしまっているじゃないですか。もう少しちゃんとしてください」

「セクシーじゃろ?」

「お子様モードのどこに色気があるんですか?」

「この色気が分からぬとは」

「それを理解できてしまう人がいたら、その人と関わってはいけませんよ?」

「大丈夫じゃよ。妾、結構強いし」

「いえ、何かもう、見られただけでアウトなんです。魔眼と似たようなものとお考え下さい。見られた瞬間、生理的嫌悪感で精神的ダメージを受けることになります」

「う、うむ。分かった。気を付けよう。ところでマベルよ。何を持ってきたのじゃ?」

「魔王評議会から何か届いたので、お持ちしました」


 マベルは小包を持っていた。


「ふむ。どうせ招集状じゃろう。魔王様もそろそろ引退したいとか言っているらしいからのう。後釜を捜す会議がそのうち行われるとは思っていた。まったく、魔王なんて責任ばかり重くて、ろくに権限もないんじゃからやるだけ損だというのに」

「その魔王様ですが、亡くなったようです」

「そうなのか?」

「ええ。魔王の地位を自ら退いたそうです。その際、魔力なども『徽章』に吸収され、魔王様自身は絶命されたと」

「まぁ、歴代のいい加減な統治のせいで、色々と苦労しておる奴じゃったからのう。それで、次の魔王はどうなったんじゃ? 今頃、そいつの下に『徽章』が届いて大慌てしておることじゃろう」

「いえ、大慌てはしていないと思います」

「ん? 何故そう思うのじゃ?」


「……ん?」


 ソフィーはマベルを見る。

 彼女が持っていた小包は封が開けられていた。

 そして、そこに入っていたのは――。


「これ、例の『徽章』かのう?」

「そのようです。おめでとうございます、

「……マジで!?」

「選考は先代魔王様が単独で行ったようです。なんでも、長年続いている戦争に疑問を抱いているのだとか。今度の魔王は、血気盛んな者ではなく、思慮深い者に任せたいそうです」

「思慮深い……。え、それって妾で合ってる? ほかの魔族の間違えじゃないのか?」

「ソフィー様、会議で作戦の欠点を指摘したりしてきたじゃないですか。それで無駄にならずに済んだ命が数多くあったわけですが」

「面倒くさい作戦を中止に追い込むためじゃ」

「存じております。しかし、それが評価されてしまったようですね」

「マジか……」


 ソフィーは面倒くさそうに、徽章に手をやる。

 そして、汚いものでも触るかのように、指先でつまんだ。


「これ、どこかに捨てたらバレると思うか?」

「確実にバレますね。おそらく、先代に近しい方はソフィー様に譲られたということは把握していることでしょう。そして、いずれはそこから情報が洩れます。ソフィー様がすべきことは、地位をさっさと継承して魔王としての能力を手に入れることです。さもなくば――」

「さもなくば?」

「普通に暗殺されて、徽章は奪われることになるでしょうね。まぁ、私もソフィー様にお仕えする身ですから、ソフィー様を守るために全力を尽くしたのちに、一緒に死ぬことになるでしょう。ソフィー様が面倒くさがったばかりに。ああ、死にたくないなー」

「棒読み!?」

「まぁ、冗談はこれくらいにしておいて、とりあえずソフィー様。ちゃっちゃか地位の継承をやってしまいましょう。暗殺部隊が送り込まれる前に」

「そんなノリでいいのか? あと、妾たちだけで出来るのか!?」

「一応、同封されていた継承の儀のマニュアルに軽く目を通したところ、補助者は一人でも問題ないようです」

「至れり尽くせりじゃのう」

「それじゃあ、ソフィー様。ベッドの上で横に――もうなっていますね。では、徽章を両手で持って、目をつぶってください。いえ、アイマスクはしなくてもいいんですが。まぁ、してはいけないとは書いていないので、よしとしましょう」

「……」

「ソフィー様?」

「寝ておらん!」

「いや、今普通に寝落ちしてましたよね? 全てが面倒になって眠ってましたよね?」

「そんなことよりも、さっさと始めよ」

「はいはい」


 マベルはマニュアルを片手に、呪文を詠唱し始める。

 すると、徽章から漆黒の魔力があふれ出し、ソフィーの体を包み込んだ。

 ソフィーの魂は徽章の魔力に結合し、その意識は具象化空間へと誘われた。

 そして、マベルもともに誘われ――。


     2


 魂の具象化空間。

 気が付けば、ソフィーの意識はそこにあった。

 そのすぐ傍には、マベルが控えている。


 そこにいたのは、彼女たちだけではない。


「ふむ、これが新魔王か」


 ソフィーを数十人の魔族が囲んでいた。

 彼らこそが歴代の魔王である。

 その威厳。

 その圧力。

 生半可な精神力では、プレッシャーで倒れてしまっていただろう。

 だが、ソフィーは平気で彼らの前に立っていた。


「成程。ここまで堂々としているのも珍しい。素質は確かにあるようだ。だが、女であるだけでなく、幼い。この少女を選んだ理由を述べよ」


 歴代魔王の一人が、威圧と共に語り掛ける。


「新魔王の選定は、先代魔王の専決事項。理由の説明をする義務はないはずです」


 説明を求められた男は、反抗的な態度をとった。

 彼こそが、【知】のグレゴールと呼ばれた先代魔王。

 ぐちゃぐちゃになった魔界をぎりぎりでまとめ上げた苦労人である。

 その態度に、歴代魔王たちは戸惑っていた。


「え、そこで逆らうのか?」

「歴代の魔王様が適当に統治していたおかげで、魔族領はぐちゃぐちゃでしたからね。各氏族は好き勝手動き回るし、それで失敗したら『魔王が悪い』とか言い出す始末。はっきり申し上げて、魔国が存続しているのは人間たちが本気を出していないからです。ですから、皆さんのような『勇猛果敢(笑)』な方々ではなく、そこにいるソフィーのような理知的な魔族を新魔王に据えることとしたのです。何か文句でもありますか?」

「いや、文句はないのだが――」

「でしたら、さっさと進めましょう」


 ソフィーは思い出す。

 考えてみれば、先代魔王は色々と文句を言われていた。

 気苦労が絶えない立場だったのだろう。


 先代にこれ以上放させるのは得策ではないと考えたのか。

 初代魔王がソフィーに声を向ける。


「して、ソフィーよ。魔王グレゴールの名を受け継ぐ覚悟は出来ているか?」

「いや、徽章もさっき届いたばかりじゃし、先代からは何も聞いておらんからのう。覚悟はできているかと言われれば、出来てはおらぬよ。じゃが、どっちにしろ拒否は出来んのじゃろ? だったら、まぁ、やるしかあるまい」

「これほど覇気のない者が継承者だというのか……」

「文句があるなら、先代に言うがよい」


 先代に注目が集まる。


「なんですか、皆さん。何か私に文句でも?」


 先代が睨みつけると、集まった視線が一気に散る。

 いい加減な統治だったことは、誰もが認めているのだろう。


「さて、ソフィーよ。貴様は新魔王に選ばれた。故に、我々が持っていたスキルと魔力を与えよう。また、併せて二つ名を与える。二つ名を決めるに際し、何か希望はあるか?」

「なんでもいいから、さっさと決めるがよい」

「その言葉に二言はないな」

「うむ。正直、二つ名とか興味ないし」

「では、先代よ。貴様は意見を持たぬか?」


 先代が一歩前に出る。

 歴代の魔王たちは、また何か文句を言われるのかと警戒した。

 だが、先代から発せられた言葉は意外なものだった。


「それについては、一案ございます。というか、魔王の地位を退く時点で、既に決めていました。彼女ソフィーブリリアントは、幼い容姿ではありますが、その年齢は私と大して変わりません」

「「「「「「マジで!!」」」」」」


 歴代の魔王たちが一斉に声を上げた。

 ソフィーは、ドン引きしながら「なんじゃこの反応……」と呟く。


「彼女は、魔力量によって体のサイズを自由自在に変えることが出来るのです。氏族会議では、妖艶な美女の姿でいつも他の参加者たちを悩ませておりました」

「そうなのか」


 それについては、ソフィーも知らなかった。

 確かに、会議では視線を向けられることも多かった。

 作戦にケチをつけられるのを快く思わない輩からの悪意だと思っていたのだが。


「この美しさ! 大人モードになった時の妖艶さ! その成長度合いを魔力によって調整できるという固有能力! これらを鑑み――

「「「「「「成程!!」」」」」」


 全員が納得していた。

 対立していたはずの初代までもが同意している。


「ちょ、待った!」

「ソフィーブリリアント。何か?」

「いや、仮にも権威ある立場であろう魔王をエロい方向にというのは、いかがなものかと思うのじゃが」

「問題ない。今は魔王にも多様性が求められる時代だ」

「そういう問題じゃないじゃろ!」


 ソフィーの異議申し立てを、歴代魔王たちは無視した。

 そして、初代が告げる――。


「其方には【痴】の二つ名を与えよう」

「「「「「意義なし!!」」」」」


 またもや全会一致である。

 そんな中、ソフィーは一人で抗議する。


「異議ありじゃ! ほら、人間たちが攻めてきたらどうするのじゃ!」

「戦えばよいであろう。エロ魔法で」

「「「「「異議なし!!」」」」」

「異議あるわ阿呆が!」

「歴代魔王に何たる無礼!」


 初代魔王が立ち上がる。

 同時に、すさまじい圧力が空間を満たす。

 だが、ソフィーは毅然とした態度を崩さなかった。


「この程度の圧で、妾が心変わりするとでも思ったか?」

「そんなことは思っていない。だが、後ろの彼女はどうかな?」


 ソフィーは背後を見る。

 そこには、倒れたマベルの姿があった。


「マベル!?」


 ソフィーがマベルに駆け寄る。

 マベルは苦しそうにしながら腹を抑えていた。


「気を付けるがいい。ここは具象化空間ではあるが、魔王の徽章を介しているため、現実にも影響が出かねない」

「貴様ら、マベルに何をした? 回答によってはただでは置かぬぞ!」

「我々は何もしていない」

「では、何故マベルは倒れたというのじゃ!」


 ソフィーは歴代魔王たちをにらみ付ける。

 マベルの身に何かあれば、相手が歴代魔王だろうと許さない。

 そんな確固たる意志をもったソフィーに対し――。



 初代魔王は、事実を淡々と告げた。


「……なんじゃと?」

「貴様の二つ名が決定して以降、必死に笑うのを我慢していた。おそらく、現実でも彼女の身体には何らかの異変が起きているだろう」

「いや、知るか」


 あまりにバカバカしすぎた。

 ソフィーは抱きかかえていたマベルから手を放す。

 マベルの身体は、地面にゴロリと落ちた。


「さて、何にせよ、貴様の二つ名は決まった。今から貴様は【痴】の魔王グレゴールだ」


 歴代の魔王たちから拍手が沸き起こる。

 そんな中、初代魔王が威厳ある声でソフィーに告げる。


「最後に、その矜持を我々に示すがよい」

「……キャンセルは出来ぬか?」

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