第16話 ソフィー・ブリリアントと『痴の事情』 3/4

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「そもそも、誤解があるのじゃ。人間たちは、妾のことを【死】の魔王グレゴールであると思っておるのじゃろう。じゃが、それは違う。妾は【死】の魔王ではない」


 語り始めたソフィーは、目の焦点が合っていなかった。

 中空の何かを見ているかのように、視線もゆらゆらと揺れている。

 これが【従属命令】の効果なのだろう。


 問題はこれが人に聞かれては困る話だということだ。

 誰かに聞かれれば、ソフィーが魔王だということがばれてしまう。

 俺は慌ててソフィーに頭から毛布をかぶせた。

 そして、彼女の話を聞くために、俺も同じ毛布に入った。

 体が密着するが、不可抗力である。

 幼女と密着したところで、嬉しくとも何ともないしな。


「ええと、お前は【死】の魔王じゃないんだったな。それじゃあ、何なんだ?」

「それを話すためには、まず『継承の儀』のことから話さねばなるまい。魔王の地位というのは、先代による指名の後に『継承の儀』を行うことで継承されるのじゃ。妾の時もそうじゃった。ある日、突然妾の下に徽章が送られてきた。それは、妾が後任として選ばれたことを意味する。正直、面倒じゃった。やりたくなかった。一生だらけながら過ごしたかった」


 その気持ちはとてもよく分かる。

 まさか、これほどまでに魔王に共感する日が来るとは。

 人生は分からないものである。


「じゃが、送られて来たからには拒否は出来ぬ。誰かに押し付けようにも、そうしている間に暗殺されて奪われてしまう。そういうものじゃった。だから、妾は仕方なく受け入れることにした。マベルに手伝わせ『継承の儀』を執り行った。そして、その儀式により、魔王の地位継承は成立した。その際、妾は二つ名を賜ったのじゃ。妾は【死】のグレゴールと呼ばれているじゃろう? じゃが、その二つ名は、実は正しくないのじゃ」


 俺も【死】の魔王という二つ名は聞いたことがある。

 というか、知らない者はほとんどいないだろう。

 だが、それが正しくないというのはどういうことなのだろうか。


「実はな……。妾の二つ名は【死】ではなく――」

「うん」

「【痴】なのじゃ」

「うん?」


 【痴】の魔王グレゴール。

 確かに、思い当たることはある。

 ソフィーの魔力で発動させた魔法は、おかしな改変ばかりされていた。

 主にエロい方向に。

 だが、それが【痴】という二つ名によるものだとしたら。

 うん、色々と説明がつくな!

 むしろどうしてこれまで気づかなかったのか不思議なくらいだ。


「でも、それがどうして【死】の魔王なんてことになっているんだ?」

「聞き間違いじゃよ。予想通り、徽章が送られて来た妾の下には、暗殺者も送られてきておった。マベルの奴が、暗殺者たちに妾が【痴】の魔王となったことをばらしたのじゃが――その暗殺者は、それを聞き間違えたのじゃ。【痴】と【死】。確かに聞き間違いやすいからのう」

「聞き間違いって」

「で、妾もあえて訂正はしなかった。というか、暗殺者を見逃したうえで全力でサポートし、妾が【死】の魔王であると喧伝させた。何故かは知らぬが、魔族は魔王の二つ名について嘘をつけなくなっておる。じゃが、勘違いしたまま言いふらすのを放置することを嘘とは言わぬからのう」


 そりゃあ【痴】の魔王だなんて言われたくないよな。

 戦っている人間側だって、相対した時にどんな顔をすればいいか分からなくなる。


「正直、暗殺者を送り込んできた者には感謝しておる。奴らのおかげで、妾の二つ名が【痴】であることがバレずに済んでおる」


 ソフィーはそう説明を締めくくった。

 とたんに、ソフィーは顔を上げる。

 目をパチクリさせ、俺の顔をうかがうように見ている。

 どうやら、俺の【従属命令】の効果が消えたらしい。


「な、なんじゃこの状況は! どうして妾とネクが狭い空間の中で密着しておるのじゃ!?」


 ソフィーはそう言いながら、毛布を取り去る。

 今の声、隣の部屋に聞こえてないだろうな。

 とんでもない誤解を招く発言だったぞ。


「(落ち着けソフィー。念話に切り替えろ)」

「(う、うむ。そうじゃったな。して、今はどういう状況なのじゃ?)」


 動揺しながらソフィーが尋ねる。

 自分が何をしたのか、大体の予想はついているのだろう。

 だから、俺は端的に答えることにした。


「(【痴】の魔王グレゴール(笑))」

「(ぬおおおおぉぉぉ! 言ってしまったのだな、妾は! そして、言わせおったな、ネクよ! 貴様は知ってしまった! ならばもう殺すしかあるまい!)」

「(まぁ、待てよ。破廉恥大魔王)」

「(最悪じゃ! 他人への配慮に欠けるクズ男に知られてしまった!)」


 ソフィーは側にあった枕を手に取り、顔を押し付けた。

 そして、そのままの体制でうめき声をあげ、ベッドの上を転げまわった。


「(おい、落ち着けよ淫魔王)」

「(やめよ! これまで通り、普通に名を呼べ!)」

「(ああ、うん。そうだな。ところでソフィーさん――)」

「(どうして『さん』をつけたのじゃ!? そんな敬意はこれまでなかったじゃろう!?)」

「(グレゴール様)」

「(『様』も止めよ! このタイミングで敬意を抱くな! というか、何に対する敬意じゃ、それ!)」

「(だって、世界最強の【痴】の持ち主なわけだし)」

「(それ以上は言うな! 妾だって悩んでおったんじゃ! 居城まで連合軍が攻めてきたらどう戦えばよいというのじゃ! 皆がまじめに炎やら氷やらの魔法で攻撃してくる中、ひたすらエロい魔法を繰り出す魔王とか、最悪じゃろ! 史実に残したくないじゃろ! 下ネタ大魔王とか言われたら、死にたくなるじゃろ!)」


 ソフィーは涙目になって必死に訴えかけてくる。


「(まぁ、うん。大変だったな。でも、お前の部下はこのことを知っていたんだろ?)」

「(マベルは一日中笑い転げた。その上、しばらくの間、顔を合わせるたびに目が笑っておった。正直、戦わずに死ねてほっとしたところもある)」

「(おう……)」


 そこまで深刻に考えていたとは思わなかった。

 文字通り、『死ぬほど恥ずかしい二つ名』だったのだろう。


「(じゃが、ネクよ。すでにお主も他人ごとではなくなっているのじゃぞ! お主の魔法がどうなったか覚えておらんわけではあるまい?)」


 破れかぶれになったソフィーが言う。

 うん、まぁ、心当たりはある。

 むしろ、心当たりだらけだった。

 一応、答え合わせをしておくことにしよう。


「(まさか、感覚を狂わせる魔法で性的に敏感になったのも――)」

「(エロいからじゃ)」


 最悪の答えだ。

 確か、ソフィーは【改変】とか言っていた。

 だが、その改変の方向性にこんなものがあるとは。


「(そ、それじゃあ、あの水がネバついていたのも――)」

「(エロいからじゃ)」

「(催淫効果があるのも?)」

「(エロいからじゃ! 催淫効果なんて、モロじゃろう!)」

「(でも、【ボファイ】や【不死鳥召喚】はそういう方向にはならなかっただろ?)」

「(うむ。強力で使い勝手は悪くなったが、炎系の魔法は無事のようじゃ。まぁ、どうやっても炎をエロくすることなど不可能じゃろうからな)」


 まぁ、炎で女体を形作るとか、出来なくもないとは思う。

 でも、それを言うのは止めておいた。

 下手に言って、それが『採用』されてしまっては大変だ。


「(ゆえに、妾は対外的には炎属性魔法ばかり使っておった)」

「(それじゃあ、俺もそうしよう)」

「(それが通じるとでも思っておるのか? ここは魔法学院じゃ。それはもう、ありとあらゆる魔法を使わされることになるじゃろう。お主の魔法の大半がエロ魔法だということがバレずに済むとでも思ったか?)」

「(くっ……)」

「(そこでじゃ、ネクよ。妾との協力関係を改めて確認しようではないか。なに、難しいことではない。お互いに、この魔法の特性については口外しないようにするということだけじゃ。そして、バレそうになったら、全力でごまかす! どうじゃ?)」

「(互いの名誉のためには、それしかないようだな)」

「(うむ)」


 俺とソフィーは固い握手を交わした。

 それを媒介したのは、知られてはいけない秘密。

 その秘密は、ソフィーが魔王だという事実よりも、固く守られることになる。

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