第8話 魔術師たるもの変態たれ!(校是) 4/4

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 入学式の会場となったホールは、上級生たちの手により、すぐに原状回復された。

 その手際は見事なものだった。

 複数の椅子を一気に動かし、何もなかったかのように整然とさせる。

 倒れたり破れたりしたものも元通りだ。

 すさまじいのは、その作業を五人だけで行ったということ。

 おそらく、ここにいる上級生たちは特に優秀な人たちなのだろう。


 そんなことを考えていると、俺の下に一人の教師が近寄って来た。

 くすんだ長い白髪をぼさぼさにさせたままの女性魔術師。

 年齢は三十歳程度だろうか。

 目元にはクマが出来ており、不気味な雰囲気を纏っている。

 ここにいなければ浮浪者と言われても違和感がないほどだ。


「君は一体何者だ?」

「……どういうことですか?」

「どういうこともなにも、そのままだ。先ほどの【フルール】――あのような禍々しい姿の不死鳥を作り出した生徒は、これまで存在しなかった。また、聞いたところによると、君はヌメりのある液体を魔法で作り出したらしいではないか。それもまた、吾輩の知らない魔法だ。非常に興味深い。素材としては、勇者よりも上だ」

「はぁ、そうですか」


 そんなことを言われても、嬉しくはない。

 素材としての価値で勝っても仕方がない。


「君の魔法について、これまで詳しく調べたことはあるのかね?」

「いえ、それはまだ……」

「それは僥倖――いや、さぞかし不安だろう。だが、案ずることはない。この学院において最も高名な魔術師である吾輩が、君の魔力を調べてあげよう」

「それは、どうも……」


 俺は反射的に答えてしまった。

 その言葉は、本来『感謝』以上の意味を持たないものだ。

 だが、この学院において、その発言は迂闊なものといえた。

 教師を相手にする場合は特に。


 通常、魔術師が他の魔術師の魔法や体を調べるときは、その同意を必要とする。

 だが、その『調査対象』が同意をしてくれることは極めて稀。

 高名な魔術師が調べたいと思う対象は、大抵その価値を理解している。

 だから、それを安売りすることはしない。


 対して、調査をしたい側は、無理やりにでも同意を引き出そうとする。

 そのためには、強引な手段を使うこともためらわない。

 不気味な女教師は、ニタリと笑みを浮かべた。


「君の『献身』に感謝しよう」

「けんしん?」


 今回この教師が取ったのも、強引な手段だった。

 あるいは、強引な解釈だったと言っていい。

 俺が言った『どうも』という言葉。

 その言葉を、この女性魔術師は『調査の同意』と見做したのだ。

 そして、その『見做し』を押し通すべく、次の行動に出る。


「卒倒しろ――【ロタモーイ】」


 女の魔法により、俺は壇上で倒れた。

 俺は未だ状況を理解していなかった。


 自分の身体に起きた変化を調べるのに、どうして転倒させたのか。

 何か気に障る発言でもしてしまったのだろうか。

 呑気にそんなことを考えてしまっていた。


「(ネク、まずいぞ。すぐに立ち上がれ!)」

「(いやいや、いくら何でも入学式で危険なことはないだろ)」

「(ならば、そこの女教師が手に持っているものは何なのじゃ?)」


 言われて、俺は女魔術師の手元を見る。

 すると、その手には信じがたいものが握られていた。


 金属製で、大きさはペンと同じくらい。

 小さな杖と同程度の大きさだが、それは杖ではなかった。

 棒状の取っ手部分の先には、小さな刃がついている。

 アンダーウッド家で見慣れたものだ。


「あの……、その手に持っているものは」

「メスだ」


 やはり、見間違いではなかったらしい。

 女性魔術師は、何故かその手にメスを持っていた。


 ここで俺は改めて思い知らされた。

 ここは『王立ライプニッツ魔法学院』。

 常識と非常識が入れ替わる魔窟だ。

 入学式の最中に、その会場で衆人環視の下で人間を解剖しようとする教師がいても不思議ではない。


「ああ、そうだ。麻酔をするのを忘れていた」

「麻酔!? あの、何をされるおつもりですか?」

「決まっている。君の身体を調べるのだよ。徹底的に」

「いや、でも問診とかで何とかなりませんか? そこまで本格的なものは想定していなかったんですけど!」

「言語による情報伝達などという不確実性を大いに含む手段を吾輩は好まない。これは、君の身体を切り開いて細胞の一つ一つまでも徹底的に調べ上げることで理解すべき事象だ。校長も仰っていただろう? 魔法使いの本質は『魔術への献身』だ」


 確かに言ってはいた。

 その後の『魔術師たるもの変態たれ』が全部持って行ったけど。


「(駄目だこれ。この学院は想像以上に酷すぎる)」

「(もはや魔力のことを隠す余裕はない! 全力で逃げろ!)」


 俺は右手で自分の胸に触れる。

 そして――。


「身体強化――【フォース】」


 それは、いちかばちかの危険な賭け。

 ソフィーの魔力を用いた【フォース】は未だ試していない。

 下手をすれば、女盗賊のような状態になりかねない。

 そうなったら、ここから逃げることはほぼ不可能だろう。

 生物学的にも、社会的にも死んでしまうことになる。


 だが、他に手段はない。

 何もしなかったとしても、この場で俺は死んでしまう。

 そう確信するのに足るような異常さを女教師は持っていた。


 俺は自分の体内に魔力を流し込む。

 その魔力は、吹き荒れる嵐のようだった。

 体内を暴れまわり、俺の身体を破壊しようとする。


「(踏ん張れ、ネク! お主には魔力操作の才能がある。お主なら、この魔力を制御できるじゃろう!)」

「(分かっている!)」


 俺は歯を食いしばり、意識を体内に向ける。

 吹き荒れる嵐を無理やり操作し、一定の指向性を持たせようとする。

 痛みで身体が悲鳴を上げている。

 常人であれば、意識が飛ぶような痛み。

 だが――。


「(俺なら出来る! こんなところで死んでたまるか!)」


 俺は意識を手放さなかった。

 そしてついに、俺の体内で暴風の一部が法則を持った動きを始めた。

 それを少しずつ繋げていき、体内で循環させる。

 その循環が、暴風に指向性を持たせるようになり――。

 俺の魔法【フォース】は成立した。


 それにより、俺の身体能力は大幅に強化された。

 今の俺なら、女教師から逃げることも出来ただろう。

 だが、俺は逃げなかった。

 気が付けば、俺の中に高揚感が生まれていたのだ。

 同時に、その高揚感は恐怖を麻痺させていた。


 結果、俺は逃亡という選択肢を捨てた。

 後から考えれば、それは愚かというしかない選択だったのだが。


 倒れた姿勢のまま、右足で女教師を蹴り上げる。

 女教師は、一歩後ろに下がり、それを避けようとした。

 だが、それでは足らなかった。


 俺が蹴り上げたと同時に、そこから魔力の衝撃波が生まれていた。

 それは、先程フィリスが打ち出した斬撃に近い。

 あれほどではないが、威力はそれなりにある。

 それを正面から受けた女教師は、身体を大きく後ろに飛ばされ――。


「ははっ。ははははっ、はっはー! 面白い! 実に面白い!」


 笑い声をあげた。

 心底愉快と言ったような笑い声。

 だが、対峙する俺からすればふざけているようにしか思えない。

 こんな戦いの最中で――。


「でも、ま、こんなところか」


 気が付けば、俺は床に転がされていた。

 身体の感覚がほとんどない。

 いつのまにか【パラライズ】で麻痺させられたらしい。


「無詠唱魔法は初めて見るか? おっと、もはや言葉を離せる状態ではないな。さて、ネクよ。女の身に傷をつけたのだ。責任を取ってもらおうか。なに、その身をささげてくれるだけで構わん!」


 女教師は興奮気味に、はぁはぁと息を荒げている。

 まるで変質者に迫られているかのよう。

 というか、そのものだ。

 目の前の女は、教師と言う肩書のついた変質者なのだ。

 その女教師もとい変質者は、俺の頭にメスを向けた。

 おい、麻酔の話はどこに行った。

 まさか、生きたまま脳を見ようとしているんじゃないだろうな!


「ちょ、ちょっと待って」

「何か問題でも?」

「ほら、あの、こんな公衆の面前でというのは――」

「恥ずかしがることはない。吾輩はもう、我慢が出来ないのだ」


 興奮しながら、震える声で言う女教師。

 獲物を見つけた捕食者のように、舌なめずりをしている。

 こいつ、ヤバすぎるだろ!


「でも、心の準備が」

「必要ない――さぁ、解剖を始めよう」


 この女、本気で衆人環視の中で生徒を解剖しようとしてやがる。

 誰か、見てないで何とかしてくれ。

 そう考えていたら、メスを持った女教師の正面に校長が立っていた。

 ローブは脱いだまま。

 倒れた俺から見るとすさまじい光景だった。

 ソフィーの時とは違い、これは現実の光景だ。

 刺激的な光景が、確かな立体感を伴って俺の目に映った。

 成程、視点を変えることの大切さを教えてくれたということか。

 さすがは教育者だ。

 校長は、メスを握る女性の手を掴んでいた。


「それくらいにしておきなさい」

「……校長」

「ホルブルック先生。君の気持ちは分かるが、ここは学院で彼は生徒だ。そして、ここは入学式兼歓迎会の会場。場と立場をわきまえたまえ。我々の役目は彼らを教え導くことであり、実験材料にすることではない」

「しかし――」


 ホルブルックと呼ばれた女性魔術師は、不満を持っているようだった。

 そんな彼女に、校長は小声で囁いた。


「彼は貴重なサンプルだ。解剖して死なせてしまうにはあまりに勿体ない素材。解剖するのであれば、生体の時に十分なデータを採取してからであるべき。そうは思わんかね」

「……納得いたしました」


 怖い会話が為されていた。

 校長が介入してこなかったら、本当に解剖されていたかもしれない。

 それに、校長も『今すぐの解剖』を止めただけ。

 将来的な解剖については全く否定していなかった。

 そういえば、俺って死んだら、その身体は学院が自由に使えることになっていたんだった。


 だが、とりあえず現在の窮状はしのげたらしい。


「浮いてついてこい――【フロット】」


 校長の魔法により、俺の身体は浮遊した。

 彼女が杖をもう一振りすると、舞台袖にある椅子に座らせられる。


「驚かせてしまったね。さぁ、紅茶でも飲んで気を落ち着けなさい」

「紅茶?」


 いつの間にか、俺は右手で紅茶入りのティーカップを持っていた。

 俺がそれに口をつけ始めると、他の面々も寄ってきた。

 教師だけじゃない。在校生も数多くいるようだ。

 彼女たちは、様々な器具を手に、俺を観察していた。


「ホルブルック先生も悪い人ではないのだよ。ただ――彼女は、生徒を解剖して観察しようとする悪い癖がある」

「それ、致命的ですよね!?」

「そうだな。生徒の命が失われてしまう行為であることは間違いない」

「教師生命とか、人としての倫理観とかのことを言ったのですが」

「ほう、これは一本取られた」


 校長はにこやかに笑い声をあげた。

 周りの教師や生徒たちも同様だ。

 それを見た俺は、ドン引きすると同時に、納得していた。


 ここでは、魔術のためなら人命を使用することも禁忌ではないのだ。


 少し前までとは世界が違う。

 俺はそのことをようやく実感し始めた。



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