第14話 魔王の魔力 あるいは おっぱい 1/5

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 ところ変わって、俺とハルは徒歩で先を目指していた。

 すでに、女盗賊の襲撃を受けた場所からは大分離れた場所にまで来ている。

 あの女盗賊、今頃どうしているだろうか。


 女盗賊を入れた箱の中に、俺は乾燥ジョゴスを入れていた。

 今頃、水分を取り戻して、女盗賊を襲っていることだろう。

 まぁ、所詮はジョゴスだから、大したことにはならないだろうけど。


 そんなことを考えていたら、ハルが話しかけてきた。


「それにしても、ネクさんの悪知恵には驚かされましたよ。まさか、ジョゴスをあんな使い方する人がいるだなんて」

「そうか? 俺なんか、よく妹にやられたけどな。密室にジョゴスと一緒に閉じ込められるとか、イヴの悪戯としては軽いほうだったと思うぞ」

「随分とすさまじい妹さんですね……」

「色々と規格外なんだよ」


 常識に縛られないというか、常識の埒外にいるような存在。

 それがイヴ・アンダーウッドだ。

 正直、どれほど規格外の存在なのか、俺にも図りかねている。


「ちなみに、ジョゴスと一緒に閉じ込められた時って、ネクさんはどうしてたんですか?」

「別にどうもしなかったけど」

「……はい?」

「魔力がほとんどない俺なんて、アンダーウッド家では生きる価値のない存在だ。だから、暗いところでジョゴスまみれになっているのがお似合いだと思って、全てを諦めてジョゴスのいる部屋の中で眠ったよ。このまま永遠に眠れればいいのに――そう思いながら」

「重い過去をさり気なくぶっこまないで下さい!」

「そんなことを言われても、それが俺にとっての日常だったし」

「重い重い重い重い……」

「そんなことよりも――」

「そんなこと!? いえ、まぁ、ネクさんがそれでいいのなら別に構わないのですが」


 ハルは少しだけ身体を引いていた。

 そこまで引かれるようなエピソードだっただろうか。

 まぁ、いい。


「それで、ハル。俺たちって歩いたままでいいのか? 馬車に比べれば遅いだろうし、もしかしたら、間に合わないんじゃないか?」

「ああ、そうですね。このままのペースで歩いても、多分間に合いません」


 あっさりと答えるハル。

 そこに焦りの様子はうかがえない。


「何か策はあるのか?」

「勿論です」


 ハルは自信たっぷりに言った。

 さすがは魔道具商人。こういう時の備えもあるらしい。


「では、見せてもらおうではないか。移動の足を失った時のための魔道具とやらを」

「魔道具? いえ、魔道具は使いませんよ?」

「それじゃあ、どうするんだ?」

「走ります!」

「……は?」

「走ります。寝ないで、到着するまで走り続けるんです。それ以外に方法はありません」

「いやいやいや、ここからあとどれくらい距離があると思ってんだ!?」

「走って、大体8時間です」

「8時間!?」

「偉い人は言いました――『魔術は根性である』と」

「初耳だけど!?」

「エロい人は言いました――『オイラはネク。おっぱいが好きなんだな』と」

「今のセリフ、必要あったか?」

「途中で休憩などをする必要もあるでしょうから、出来る限り早く出発しましょう。というわけで、ついていてください」


 そう言って、ハルは走り始めた。

 その後姿を、俺は半信半疑で見る。


「え、嘘? マジで走って行くつもりなのか……」

「どうしたんですか? 早くしないと置いていきますよ!」

「ちょ、待ってくれ!」


 こうして、俺の冒険の第一歩が始まった。

 ノンストップの全速力で。


     2


 俺たちが走り始めてから五時間後――。


「待てよ~、ハニ~」

「うふふふふ、追いついてごらんなさ~い」


 水辺で追いかけっこをする俺たち。

 ハルは笑い声をあげながら速度を緩め、俺を待ってくれている。

 俺はそんな彼女の下に駆け寄り、彼女の肩に手をかける。


「捕まえたぞ~」

「捕まえられてしまいました~」

「うふふふふ」

「うふふふふ」


 柔らかな微笑を浮かべるハル。

 俺はそんな彼女の顔を見つめた。

 対して、ハルも俺の顔に手を触れる。

 二人の唇は徐々に近づき――。


「喝っ!」


 鋭い頬の痛みが突然襲ってきた。

 見事なビンタである。


 その痛みに、俺は正気を取り戻した。

 ここは山林に囲まれた湖のほとり。

 俺は、ここまで延々と走り続けていた。

 体力の限界はとっくに超えていた。

 何故足を動かし続けることが出来るのかも分からない。

 疲労のあまり、夢と現実の区別がつかなくなっていたらしい。


「ネクさん、大丈夫ですか? なんだか、意識が夢の中に逃げ込んじゃっていたみたいですけど」

「な、何のことやら」

「ハニーとか言っていましたが、その意図をお伺いできますか?」

「何のことやら――」


 俺は言い訳を開始しようとした。

 だが、その前に自分自身の体の状態に気づいた。

 足は疲労により震えており、感覚もほとんどなくなっている。


 そんな俺を、ハルが指先でつつく。

 それを避けようとした俺は、バランスを崩して地面に倒れた。


「ハル、大丈夫か?」

「いえ、それ普通にこちらのセリフですからね」

「俺は見ての通りだ」

「死にそうってことですね」


 その通りである。

 息も絶え絶え。

 普通に会話をしているのは、虚勢を張っているに過ぎない。


「なぁ、魔法学院まであとどれくらいあるんだ?」

「相当遠いですよ? 一応訂正しておきますが、ボクたちが向かっているのは、魔法学院ではなく集合場所です。アマンダと言うところですね。そこから、何らかの手段で魔法学院に向かうことになります」


 そう言えばそうだった。

 俺も、父からアマンダに向かうように言われていた。

 そこから、『何らかの手段』で魔法学院に向かうのだとか。

 何らかの手段。

 具体的なことを言わないということは、ハルも知らないのか。


「とりあえず、今日はここまでにしておきましょう。明日の朝まで全力で身体を休めて、何とか間に合うように移動するということでいいですか?」

「ああ、それで頼む」


 これ以上は、俺も動けそうにない。

 少し休めばある程度は動けるようになるだろう。

 だが、長距離の移動は無理だ。絶対に無理。

 体力が回復しても、根性が回復しない。

 今日のところは、少し休んでから夜を明かす準備をするしかない。

 翌朝から、また走って集合場所へと向かうことにしよう。


 そう決めた俺は、仰向けになった。

 ハルも鞄を下ろし、ローブを脱いでからカバンの上に腰を下ろす。

 俺ほどではないが、ハルもそれなりに汗をかいている。

 ローブの下に着ていたシャツは汗でびしょぬれになっており、その肉感的な身体にぴっちりと張り付いている。

 レース柄の白い下着も完全に透けてしまっているが、本人はまだ気づいていないようで――。


「ところでネクさん。火を起こしたりって出来ますか?」


 無防備なまま、俺に声をかけた。

 俺は出来る限り自然な視線の運び方で答える。


「出来なくはないだろうけど」

「それじゃあ、お願いできますか? ボク、魔力循環による身体能力強化をずっと使い続けていたので、もう魔力切れになってしまいまして」

「使っていたのか!?」

「そりゃあ、使いますよ。当たり前じゃないですか。というか、ネクさんは使ってなかったんですか?」


 使ってなかった。

 確かに、魔法使いなら魔力循環による身体能力強化をしていて当然だ。

 だが、俺は一度制御に失敗している。

 仮に成功したとしても、どうなるか分からないのだ。

 だから、むやみに使うことは出来なかったのだ。


「(おい、ソフィー)」

「(なんじゃ?)」

「(俺が魔力循環による身体能力強化を使ったとして、まともな効果が出ると思うか?)」

「(さぁ? まぁ、試さん方がよいと思うぞ)」

「(そうだよな)」


 最悪、あの盗賊のように全身敏感になりかねない。

 人前でああなるのだけは何としても避けたいところだ。


「(ちなみに、火をつける魔法を使ったらどうなるか分かるか?)」

「(それも、分からん)」

「(お前が使っていた時は、どうだったんだ?)」

「(さぁ? そもそも、妾は魔王であり、身の回りのことは部下であるマベルにさせておったからのう。第一階梯魔法など、ほとんど使っておらん。仮に使っていたとしても、妾が使っていた時とお主が使う時とで同じ効果が表れるとは限らんからの。詳しいことは、後でお主の魂の中で教えてやろう)」

「(ああ、頼む)」


 最低でも、第一階梯魔法くらいはまともに使えるようになっておきたい。

 使えない魔法は、存在しないも同然だ。

 だが、今はそれを後回しにすべきだろう。


「ハル。火を起こすの、君がやってくれないか?」

「無理です。ボクはもう魔力切れなので、火を起こすことすらできません。ネクさん、これまで魔法を使っていなかったのなら、魔力は余っているでしょう?」

「いやー。でもな~」

「勿体ぶりますね……。このままだと、野生動物や魔物に襲われかねません。早いところお願いします」


 そう言って、ハルは仰向けになった。

 今はローブを脱いでおり、薄いシャツ一枚。

 そのシャツを押し上げる存在感たっぷりのおっぱいが視界に入った。

 しかも、汗だくになっているため透けた上に地肌に密着している。


「(お主、目が釘付けじゃな)」

「(そ、それは仕方がないだろ? 生きている巨乳なんて初めて見るんだから)」

「(それはそれですごいセリフじゃな)」

「(ところでソフィー、こういう時、俺はどうするべきなんだろうか?)」

「(どう、とは?)」

「(こういう時、どんな振る舞いをするべきだと思う?)」

「(無論、紳士的な振舞いをするがいい)」


 ソフィーは極めて常識的な回答をした。


「(確かに――アンダーウッド家の一員としては、紳士としての振舞いが求められることだろう。この場合は、布などをさりげなくあの胸の上にかけてやることがそれに当たるはずだ)」

「(うむ、それがいいじゃろうな)」


 俺たちは、無難な結論に到達した。

 だが――それで満足する俺ではない。


「(だが、本当にそうだろうか)」

「(……は?)」

「(生憎俺は追放された身だ。そして、アンダーウッド家との決別を心に決めた。つまり、紳士的な振舞いとも決別したということになる。故に、ここで紳士的な振る舞いをするということは、アンダーウッド家への『未練』を表すことになるのではないだろうか?)」

「(まぁ、そうと言えないこともないかもしれんのう。素直に肯定は出来んが)」

「(俺にとって、アンダーウッド家は既に過去! 過去に未練を持つというのは、よくないことだ。うん、とてもよくないことだ。そのような行為は断じて行うことは出来ない。故に、俺がすべきことは――この状況を放置し、出来る限りつぶさにその双峰を観察すること! これこそが、アンダーウッド家との決別の儀式!)」


 その結論に達した瞬間、俺はハルの視線に気づいた。

 いつの間にか、彼女はこちらを凝視していた。

 その目は、まるで道端に落ちている汚物を見つけたかのように濁っていた。


「ネクさん、いくらなんでも見過ぎでは?」

「ふっ、何のことだい?」

「いえ、油断してしまったボクも悪いのですが、さっきからボクのおっぱいを見ながら、ブツブツと呟いていたじゃないですか。しかも、誰かと話をしている感じで」

「まさか、声に出していた……だと」

「普通に声に出していましたからね。正直、ドン引きです」


 俺は己の油断を反省した。

 やはり、外の世界に出て少し浮かれてしまっているらしい。

 だが、このままやられっぱなしというのは面白くない。


「だが、待ってほしい。見過ぎというのは、適切ではないのではないだろうか」

「何を馬鹿なことを言っているんですか?」

「このネクは、ハルのおっぱいを見ていたことへの正当性を主張する! アンダーウッドの名にかけて!」

「追放されたのをいいことに家名まで賭けやがりました!?」


 ハルがごちゃごちゃ言っているが関係ない。

 ――さぁ、論証を始めよう。


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