第4話 追放されたら妹と一緒に風呂に入ることになった 4/5


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 追放決定を言い渡された直後――。

 俺は特に追放とは関係のないピンチに陥っていた。

 浴室に一人置き去りにされたのだ。


 浴室の中には、タオルの一枚もない。

 それどころか、身体を隠せるようなものも一切なかった。

 なんという徹底ぶりだろうか。

 いやいや、感心している場合じゃない。

 これから、俺はどうすればいいというのだ!

 助けを呼んだらあらぬ誤解をされてしまうことになるだろう。

 この家において、俺の信用は紙よりも薄いのだ。


 とすれば、出来ることは一つ。

 誰もいないタイミングを見計らって、自分の部屋まで急いで戻ること。

 隠密ミッションである。自宅で。

 追放が決定された直後にやることがこれか……。


 俺は周囲に誰もいないことを確認しながら、こっそりと廊下を歩く。

 冷たい石造りの床に、裸足の足音はほとんど響かない。

 だからと言って、油断をすることは出来ない。

 使用人たちの声や足音、息遣いなどから気配を探る。

 そして、彼らと出くわさないよう注意を払いながら移動する。

 こういうこそこそとした動きは、得意なのだ。


 その特技が十分に発揮されたのか――。

 俺は無事に部屋の前まで辿り着くことが出来た。

 ここまで、一人の使用人とも出会わなかった。

 本来なら、それをおかしいと思うべきだったのだろう。

 だが、この時の俺は油断していた。

 そして、安堵とともにドアを開け――。


 部屋の中には、アンダーウッド家の使用人が集まっていた。

 男女を問わず、五人ほど。

 騒いでいたため、ドアが開いたことにも気づいてないらしい。

 彼らは、俺の私物を集めてカバンに詰め込んでいた。

 学院行きのための準備をしてくれているのだろう。

 そう思ったのだが――。


「ほれ、ネク様のパンツだぞ」「それ、放り投げるのやめてくださいよ?」「うわっ、投げた!?」「ネク菌が付着しちゃった!?」「えんがちょ、えんがちょ」


 彼らは、俺の服を汚物でも摘まむかのように持ち、投げ合っていた。

 どうやら俺は使用人たちにここまで嫌われていたらしい。

 あるいは、馬鹿にされていたのか。


 これまでは、それを表に出さないようにしていたのだろう。

 アンダーウッド家から追放された今、最低限の敬意すら払われなくなったわけだ。


 俺は頭に血がのぼるのを感じた。

 そして、感情のままに使用人たちを責め立てた。


「お前たち――ここで何をしている?」

「ネク様……。いえ、あの、これはデレク様の命令で――」


 女性使用人が、視線を泳がせながら答える。

 その手は、俺のパンツを汚物のように摘まんでいる。

 なんだか、少しだけ興奮を覚え――いや、なんでもない。


「衣服を汚物のように扱えという命令があったのか?」

「それよりも、ネク様、その姿は――」

「お前たち、今すぐこの部屋から出ていけ!」

「いや、しかし」

「出て行けと言った。それに従わないというのなら――今の俺は何をするか分からないぞ?」


 俺は使用人たちを睨みつける。

 そして、一歩ずつ奴らに近づいていく。

 使用人たちは、それから逃れるべく後ずさった。


「く、来るな」

「来るな? アンダーウッド家からの追放が決定されたとたんに、その態度か」

「だから――」

「この無礼者どもが!」


 俺はそう言うと、部屋にいた使用人たちに襲い掛かった。

 すると、部屋の中は阿鼻叫喚の渦に包まれる。


「きゃーーーー!?」「ネク様ご乱心だー!」「割といつも通りじゃね?」「変態よ! 変態が本性を現したわ!」「いや、だからいつも通りじゃね?」「マッパマンが襲ってきたぞ!」「全員、一旦部屋を出ろ!」


 マッパマン? あ、やべ。

 怒りのあまり、自分が服を着ていなかったことを忘れていた。

 そりゃあ、マッパの男が迫ってきたら逃げるよな。

 使用人たちは、蜘蛛の子を散らしたかのように逃げて行った。


 というか、俺は何をしているんだ?

 あちらも動揺しただろうが、俺はもっと動揺していた。

 意味不明にも程がある。


 とにかく、今は少し落ち着こう。

 服を着て少しすれば、何とかなるはずだ。

 そのはずなのだが――。


「あれ?」


 突然、体に力が入らなくなった。

 違う。体の感覚を失うほどまでの激痛が俺を襲ったのだ。

 体が焼けるように熱い。

 全身から汗が噴き出ている。

 立っていることが出来ず、床に膝をつく。


「ぐ、ぐあああ……っ!?」


 全身に痛みと怖気が広がる。

 身体が熱いのに寒さを感じる。

 体が崩壊してから再構築されるような訳の分からない感覚。

 それが延々と繰り返され、俺に地獄の苦しみを与えた。

 その苦しみがあまりに酷いため、動ける気がしない。

 せめて服を着ようとは思ったが、それも出来ない。


 もしかして、俺はこのままここで死ぬのか。

 なにも成し遂げることが出来ないまま。

 マッパマンのまま死ぬのか。

 死ぬなら、もう少しまともな姿でいたかった。

 そう考えたのを最後に、俺は意識を失った。


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「おい、起きろ。いや、やっぱり起きるな」


 気が付くと、俺は真っ白な空間にいた。

 どこかで見たことがあるような光景だ。

 不思議と安心感を与えてくれるような空間。

 突然の展開ではあるが、俺は焦る気にはならなかった。


 だが、安心感があったのは――この空間に対してのみだ。

 この空間内には、安心感とは無縁の『異物』があった。

 そう――。


 目の前には、裸の美女がいた。

 一糸まとわぬ裸体だ。

 服という概念をどこかに忘れてきたかの如く、堂々たる様で。

 仰向けに倒れている俺の上に立っていた。

 俺の顔をまたぐようにして、腕組みをした状態だ。

 そのおかげで、とてつもない大迫力が俺の目の前にはあった。


 年齢は20代前半くらいだろうか。

 張りのある大きなおっぱいが突き出ており、その頂点にはピンク色の乳首が存在感を示していた。

 股の間もはっきりと見えており、足を開いていることでその奥の部分も少しだけ見えてしまっている。


 だが、それよりも大きな特徴は、その相貌の美しさだった。

 顔のパーツが、一つ一つ微調整でもしたかのように整っている。

 ややキツめの目つき。

 ほんのりピンク色の唇。

 腰まで伸びた黄金色に輝くストレートの髪。

 ただ見ただけで吸い込まれそうになるほどの美貌がそこにはあった。

 まさか、この女性の正体は――。


「イヴ……?」

「違うのう。イヴというのは、お主の妹の少女であろう? その少女はこのようなセクシーボディをしておったか?」


 そんなはずはない。

 イヴの身体は、未だ成長過程。

 対して、目の前の美女の身体は十分に成長している。

 成熟していると言ってもいい。

 だからこそ、俺はじっくりとその肉体を観察しているのだ。

 そのあまりに堂々とした様に――。


「……成程。そういう性癖の痴女か」


 俺がうっかりそう言うと、その痴女は俺を踏み抜こうとした。

 俺はすんでのところでそれを避けて、立ち上がる。


「誰が痴女じゃ! ぶっ殺すぞ、この痴れ者めが!」


 目の前の美女は、何故かひどく怒っていた。

 しかし、裸の美女が自分を見ろと言っていたのだ。

 痴女以外の何物でもあるまい。


「ところで、お前誰だ?」

「分からぬか?」

「全然分からないけど。どこかで会ったことがあるか?」

「いや、おそらくないじゃろうな」

「だったら、知ってるわけないだろ。痴女なうえに、自意識過剰とか、笑うしかないよな」

「な……っ」


 女は不服そうにしていた。

 本当に有名人か何かなのだろうか。


「ま、まぁ、よいじゃろう。お前は誰かと聞かれたら、答えてやるのが世の情けというものじゃ。とくと聞くがよい! わが名はソフィー! ある時は数多の人間に恐れられる漆黒の魔女! そして、ある時はその美しさで老若男女を問わず骨抜きにする魔性の女! しかして、その実態は――魔界を統べる魔王グレゴールであるぞ!」


 女性は、尊大に、扇ぐような姿勢で言った。

 そのせいで、色々と丸見えだが、気にならないのだろうか。

 まぁ、どうせ夢だからどうでもいいけど。


「まったく、おかしな夢だ」

「違うぞ、ネク・アンダーウッド! これは夢などではない。お主は、ここに見覚えがあるのではないか?」

「この真っ白な空間に?」


 言われてみれば、初めて来た気がしない。

 何故だか分からないが、懐かしさを感じてしまっている。

 それが安心感の正体なのだろうか。

 だとすれば、これは――。


「分からん!」

「分からんのかい!? 今、思いついた感じの顔をしたじゃろ!」

「考えるのが面倒だと思い至っただけだ!」

「この男は……。まぁ、妾も間借りさせてもらっている身。求められれば、ヒントくらい与えようではないか」


 普通にヒントをくれるらしい。

 なんだか、チョロいなー。


「ヒントというか、まぁ、答えみたいなものなんじゃが。お主は、ネクロマンサーなんじゃろ?」

「そうだけど?」

「……分からんか?」


 ソフィーはもどかしそうに体を揺らしている。

 同時に、おっぱいも揺れている。

 揺れ動いている。動揺している。

 おっぱいが動揺している!


「まぁ、分かっていたけどね。ここは俺の深層心理の中。自分の魂を具象化した空間だろ?」

「分かっとるではないか!?」


 ツッコミを入れる美女。

 ちなみに、この『魂の具象化空間』は誰もが心の中に持っているものだ。

 だが、ここに自分の意思で入り込むためには、それなりの訓練を受ける必要がある。

 その訓練は、俺も昔受けたことがあった。

 死霊術は、魔力と魂を操作する魔法技術だ。

 その第一段階として、自分の意識をここに飛ばす訓練を受けることになるのだ。


 ちなみに、訓練を受けたことのある俺は、服を着た状態でここにいる。

 ここでは、慣れれば色々と出来るのだ。

 だが、こんな美女を作り出した覚えはない。


「だとすると、お前は何者だ? 本来、ここには俺以外の存在はいないはずだ。だからこそ、最初は俺の願望が反映された夢だと思ったんだけど。いや、ここは俺の深層心理だということを考えると、まさか――」


 目の前の美女は、妖艶な笑みを浮かべた。


「思い至ったようじゃな」

「……ああ」

「では、答え合わせじゃ。言ってみよ」

「イヴの裸体が印象的過ぎて、俺の魂に成長後の想像図が刻まれたというのか!?」

「違うと言っておろうが! そもそも、イヴという娘は黒髪であろう! 妾とは似ても似つかぬであろう! というか、お主、わざとじゃろ! 分かっていてわざとやっておるんじゃろ! この空間の支配権がお主にあるから、調子に乗っておるんじゃろ!?」

「うん」

「認めおった!」


 美女は、その場で地団太を踏む。

 スタイルのいいお姉さんがやると、とんでもない絵面だ。

 大きなおっぱいは縦横無尽に揺れ動き、肉付きの良い太腿が大胆に動く。

 それを恥ずかしがる様子は一切ない。

 その堂々たる様のためか、折角の裸体なのに色気を感じない。

 何だか、損をしているような気分になる。


「ところで、ソフィー」

「ほう、そちらの名を選ぶか」

「そちらもなにも、グレゴールって魔王の名前だろ?」

「そうじゃ。何せ、我こそは――」

「自分のことを魔王だとか、あまり言わないほうがいいぞ。かわいそうな子だって思われちゃうから」

「本物じゃ! モノホンじゃからな!」


 かわいそうなマッパ女は、自分が魔王だと主張し始めた。

 ここまで重傷だったとは。

 どうしてこんなになるまで放っておいてしまったのだろうか。


「まぁ、どっちでもいいよ。それで、あんたはどっちで呼ばれたいんだ? ソフィーか、それともグレ子か」

「妾のことは愛情をこめてソフィーと――ってグレ子ってなんじゃい!?」

「グレゴールの女の子でグレ子」

「分かっとるわ、そんなこと! 名前の由来を聞いておるのではない! 妾が聞いているのは、何故そのようなふざけた呼び方をしておるのかということじゃ!」

「そんなことよりも、聞きたいことがあるんだけど」

「そんなこと!?」

「ここが俺の魂だとして、お前は結局何なんだ? 魔王でも何でもいいけど、どうしてここにいる? まさか――俺の身体の中に、別の魂が入り込んでいるというのか」

「察しがよいではないか」


 自称魔王の痴女は、口角を上げて挑発的な笑みを浮かべた。


「……あり得ない」

「あり得ないということはないじゃろう。ネクロマンサーは己の身体の中に、魂を入れるための余剰スペースを持っておる。そこに他の魂を受け入れて、その魂を道具として使うというのが死霊術の技術の一つであるはずじゃ。妾の魂が入っても不思議はあるまい」

「だからこそ、その辺の野良魂が入らないように、ネクロマンサーは常に『防壁』を張っている。魔力がほとんどない俺でも、その技術は身に着けているはずだ」

「その辺の事情は知らん。じゃが、妾の魂がお主の中に入っているのは事実じゃ。原因よりも、今後の対応を考えたほうが良いのではないか?」


 確かに、それは一理ある。

 ことが起きたことの原因をいつまでも考えていても仕方がない。

 まずは、異常な状況の解消をするべきだ。


「それじゃあ――」


 俺は中空に剣を出現させ、それを手に取った。

 ここは俺の魂の領域なのだから、この程度のことは自由自在に出来る。


「妾と戦う気か?」

「こうなった時の対処法は一つ。不法侵入してきた魂を体の外に追い出すことだ」

「そうか。じゃが、妾を本当に追い出してしまってよいのか?」

「どういう意味だ?」


 ソフィーは掌を上にした状態で、右手をこちらに向ける。

 すると、その掌から何か黒いものが溢れてきた。

 ドロリとした液体が、その掌から際限なく湧き出る。


「何だ、それ?」

「何じゃと思う?」


 尋ねてはみたものの、その正体には大体の予想がついていた。

 というより、肌感覚で分かる。

 それは、俺が欲して止まないもの。

 いくら努力しても、手に入らなかったもの。

 それは――。


「すさまじい量の手汗」

「よし、死ね」

「冗談だよ。それ、膨大な量の魔力だろ?」

「その通りじゃ。しかも、ただの魔力ではない。魔王たる妾が所有する特別な魔力じゃ!」


 特別な魔力。

 確かに、魔族のトップが持つのだから、大変なものなのだろう。

 まぁ、一般魔法使いが持つにしては、手に余る代物だけど。


「お主には、この魔王の魔力を使わせてやろう」

「裸王の魔力か……」

「そうじゃ。妾の魔力は膨大かつ強力無比。それをお主は使うことが出来るようになる。どうじゃ? 人の身には余る光栄であろう――って、お主、今『裸王』とか言った!? 言ったじゃろ!? ついついスルーしてしまったが、お主魔族のトップになんてことを言うのじゃ!?」

「裸族の王?」

「ま・ぞ・く! 裸族の王って何じゃい!」

「うん、いいツッコミだ」

「もうよいわ!」

「どうも、ありがとうございました~」

「終わらせるな! 今、何かが終わろうとしたような気がしたぞ!」


 俺も何故だか、そんな気分になっていた。

 まぁ、気のせいだろう。


「とにかく! そんなことよりも、話を戻すぞ」

「ああ、うん。でも、ちょっと待ってくれ」

「何じゃ?」

「一つだけ、どうしても気になることがあるんだ。その疑問を解決しないと、他のことを考えられないと思う」

「……一体、何じゃ?」


 ソフィーは怪訝そうな顔をする。

 何度も話の腰を折られているのだから仕方がない。

 だが、俺としては、この疑問を放置しておくことは出来ない。

 その疑問というのが――。


「その恰好、恥ずかしくないのか?」


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