オマエハマチガエタ

 翌日、職場に大統領が着くなり、即刻会議場に連れられたため、大統領は胸騒ぎを覚えながら、会議室の扉を開けた。


「何事か?」

「大統領、緊急事態です」


 丸眼鏡をかけた男が、そう言って大統領を席に着かせる。


「こちらの写真を」


 席に着くなり、大統領の手元に一枚の写真が置かれた、その写真には大きな潜水艦が一隻移りこんでいた。


「これは?」


 大統領が聞くと、険しい顔で眼鏡をかけた男が答える。


「敵国の大型潜水艦だと思われ、進行方向を予測すると、我が国の方向に向かっているとの報告を、今朝軍より受けました」

 

 大統領は大きく息を吐く。

 そして、奥歯が折れそうなほど歯を力強く食いしばり、机の上の写真を叩く。


「海岸の防衛線を固めろ! 海軍にも出動要請だ、だが撃沈命令は出すな」

「何故です⁉ 大型潜水艦を他国に仕向けるなど、明確な戦争行為です、即刻撃沈令をお出しください!」

 

 その言葉に、大統領はできるだけ落ち着いた声で返す。


「まだ分からんだろ、之で万が一交戦意思が無かったと相手に言われてしまえば、不利になるのは私たちの方だ」


 その答えに、呆れたような声で眼鏡をかけた男は言う。


「大統領は、弱くなられたようですね」


 その言葉に、ピクリと眉を動かし、大統領は視線を上げる。


「なに?」

「一年前は、曖昧な状況下で悩んだものの、発射スイッチを押す決断をしてくださったのに、今ではそれを恐れ、様子見の選択をしてしまった」


 その言葉に、大統領は激怒した。


「黙れ! 貴様に何が分かる! 私はずっとあのボタンを押したことを後悔している、今も、おそらくこの先もずっと!」


 顔を真っ赤にし、拳を震わせ、之でもかと言わんばかりの大音量で叫ぶ。


「あのボタンを押して世界が変わってしまった! 世界は終焉を迎えてしまった! ……もう二度と、あの頃の平和な日常は返ってこないのだ……」

 

 そう言い切ると、眼鏡をかけた男はため息だけを残して、会議室を去った。


「今回はなんとしてでも戦争を防いで見せる、そして演説するのだ、武力に頼らなくとも世界は……国は平和になれると。もう一度宣誓するのだ、国の平和と、世界の平和を目指すと」

 

 大統領はそう呟き、必死に思考を凝らし始めた。

 どうやって潜水艦を自国に追い返すのか、どうやって国民の不安をできるだけ抑えるのか。





 あの写真を見せられてから五日が経った、潜水艦はあれから国に接近してくることはなく、発見された辺りを、沈降しては浮上するを繰り返しているだけだ。


「このまま包囲を続け、警告を流し続けろ、海上封鎖は続行し、他の船が近づけない体制を取っておけ」


 この指示を二日目に言って以来、軍はそれを守り、ひたすら監視に努めている。

 このままいけば、いずれ潜水艦も燃料を切らすため、自国に帰るだろうと、大統領はそう考えている。


「このまま、平和的にこの問題を終わらせるのだ、そうすればきっと……」


 きっとまた、前の世界に戻れる。大統領はそう信じていた。





 監視の指示を出して七日目、その日は突然訪れた。


 活気あふれる休日の町、国の大きな町の一つが突如、消失した。

 その原因は明らかだった、監視されていた潜水艦が、自国に帰ろうと反転した直後、一本のミサイルを発射したのだ。


 そう、あの潜水艦の乗組員も、世界終焉ボタンを押したのだ。


「大統領、之があなたの望んだ結果ですか? この惨状が、貴方の望んだ結果ですか⁉」


 会議室で、若い男がそう大統領に詰めかける。

 厳しい顔で、髭を生やした男と眼鏡をかけた男も、大統領をじっと見つめる。


 大統領の視線の先は、手元に置かれた写真に注がれていた。

 その写真には、荒廃した土地、焼け焦げた山、薙ぎ倒された森林。

 親を探す子供、愛する人の死に泣き崩れる人、病に侵された人。


 それらが写し出されていた。


「平和を、武力の無い世界を望むのは分かります、戦争をしたくないのも分かります、でも世界は変わってしまったんです」


 若い男が、そう大統領に訴える。

 その目は必死であり、まるで、何かを失ったかのような瞳で訴えた。


「大統領、何を迷っているのです? すぐに宣戦布告の用意をしてください、そうしなければ、国民は納得しません」


 実際国民たちは、復讐に燃え、敵国打倒を叫んだデモが起こっている。


「しかし、戦争になればまた若い兵士たちが死ぬことに……それに、今回の相手は約18年前に終戦したばかりの国ではないか……」


 今回攻撃してきた国は、世界の極東にある小さな国で、約4年間の激戦の末、勝利を収めた相手であり、約一年前までは非常に友好的な国だった。


「それに、あの国は友好国……なんだぞ」


 自信の無さが現れるような小さな声で、そう付け加えた。

 そんな声をかき消すように、髭を生やした男が怒鳴る。


「それは一年前までの話です! もうあの国は変わってしまったんです!」

「変わってしまったのは私たちの国のせいだろう! あの国に基地を置かなければ、あの国が攻撃されることは無かったかもしれなかったんだぞ……」


 極東の国は、大統領の国が一番敵視していた国に近い国だったため、防衛兼監視の意味を込めて、小規模な基地をいくつか置いていた。

 だが、大きな国はそこから攻撃してくることを考え、一年前のあの事件の後、極東のこの国を攻撃した。


「大統領、もうあきらめてください、もうあの頃に戻ることはできないんです、このままではいずれ、あなたの奥さんや子供たちまでもが、その写真に写ることになってしまいますよ」


 妻と子供の名前を出された大統領は、顔を真っ青にして震える。

 歯をガチガチ言わせ、肩を上下に揺すり、足がブルブルと震える。

 

 誰が見ても分かるほど、動揺し、恐怖していた。


「大統領、ご決断をお願いします、一年前と同じご決断を」


 部下たち数名が、そう大統領に決断を迫っていく、一つしかない選択肢を、大統領自らの口で言わせるために、迫っていく。

 怯えながらも、まだ踏ん切りがつかないのか、大統領は、口を開かない。

 そんな大統領を見かねてか、眼鏡をかけた男が声をかけ、一つの箱を、他の部下に持ってこさせた。

 その箱は無機質であるが物々しい雰囲気を漂わせ、重苦しい金属で囲われていた。


「大統領、全てを決めるボタンをここにお持ちしました、貴方が言葉を発さなくても、之を押しさえすればすべてが決まります」


 そう、之こそが世界終焉ボタン。約一年前に、大統領自らが押した、世界を変えてしまったボタンそのものだった。


 眼鏡をかけた男が、大統領の前にボタンを差し出す。


「貴方しか、このボタンを押すことはできません。貴方が、決めるのです」


 大統領は、知らず知らずのうちに嗚咽を零し、涙を流していた。

 もう、大統領に考えられるだけの、心の余裕は、存在していなかった。


「分かった……宣戦布告をしよう、明日、国民に向けて演説をする、その用意をしておいてくれ」


 そう言って大統領はボタンの箱を閉じる。


「これは、国民の前で押す、その方が政治アピールにもなるだろう」


 そう言うと、部下は頭を下げて、会議室を後にした。

 一人になった会議室で大統領は泣いていた、誰に見られるでもなくただ一人で、この先失われるであろう数万の命を思い、ただただ、涙を流していた。


「どうして、どうしてこうなってしまったんだ……私は、私はどこで間違えてしまった」


 七日前か? 一年前か? 大統領になった時か? それとも、生まれたその時か?

大統領の頭の中は、そんなことばかりが駆け巡っていた。





 そして翌日。


 大統領は民衆の前に立って、拳を振り上げながら、演説をしていた。


「私たちは不当な攻撃を受け、多くの無垢な国民が死に、傷ついた、この代償を、相手は払わなくてはならない」


 大統領の目に光は無い。

 ただ淡々と仕事をこなし、民衆の復讐心を掻き立てる。

 こんな事したくない、けどしなくてはならない、いや、本当にしなくてはいけなかったのだろうか?

 

 大統領は演説中、同じことがずっと頭を巡っていた。

 そして、このタイミングが訪れた。


「ここに、相手国を撃ち滅ぼすことができるボタンがある」


 違う、このボタンは相手国を終焉に導くものではない。

 この世界を終焉に導くボタンなのだ。


「このボタンを押すべきだと思うものは声を上げよ!」


 その強い一言に、民衆の興奮は最高潮に高まり、みな口々に叫ぶ。

 「押せ」と、そう叫ぶ。

 

 民衆は知らないふりをしている、このボタンを押した先を。もしくは本当に知らないのかもしれない、このボタンを押した後の結末を。

 知らない者は幸せだが愚か者だ、知っている者は不幸だが賢い者だ。

 そして、このボタンを押す者は、不幸で愚か者だ。


「民衆よ、私は貴方たちの味方です、国に永遠の平和があらんことを願って!」

 

 大統領は、グッと手を握った後、まるでpcのエンターキーを叩くかのように、中指で軽くボタンを押した。

 なんの力も必要ない、物語を書き終えるがごとく、世界終焉ボタンは再び押されたのだった。





 その数週間後、大統領の就任日記念のパレードが、国のいたるところで開かれた。

 大統領も、それに応えるため、国のいたるところを巡り巡った。


 しかし、大統領の顔は沈んでいる。

 正確に言えば、表情は笑っているのだが目に光が無いという方が、しっくりくるであろう。

 車に乗って、時速5キロ程度でゆっくりと街中を巡って行く。民衆からの声に応えようと、大統領は前後左右に顔を向け、手を振り続ける。

 そんな様子を、妻は隣の席に座り、にこやかな表情で見守っていた。

 赤いオープントップ、大統領を乗せた車は、遂にこの国の首都へと帰ってきた。大通りに出た時の歓声は、今まで巡ってきたどの町よりも大きいものだった。


「これが、貴方の救った命よ、貴方があのボタンを押したからこそ、救われた命もあったのよ」

「ああ、そうだな」


 妻の言葉に上面ではそう答えるも、内心では全くそんなことは思っていない。

 あのボタンで救われた命があるのは当然なのだ、あのボタンで無数の命が奪われたのだから、それと同等以上の数の命が救われてくれなくては、わりに合わない。


 大統領は、心の中で、そう自身に言い続けていた。


 私は、このままこの国の大統領を続けなくてはならない、続けて、いつかこの世界に本当の平和ができた時、世界に向けて謝罪しなくてはならない。


 大統領は、このパレードの中でそう決意した。

 その決意を露わにするためにも、偽善者の仮面をかぶり続けるためにも、一層大きく手を振るために、深く深呼吸をして立ちあがった。

 

 今できる最高の笑顔で手を振ろうとしたその瞬間、鋭い発砲音が響き、大統領の視界が暗転、何を言うこともなくその場に倒れ込んだ。


 刹那、一帯の音が消え失せ、大統領の『思考』が車の上に飛び散った。


 真っ先に反応したのは妻だった。飛び散った『思考』をかき集め、一欠片も残さぬようグロテスクなそれを抱きかかえる。

 次に反応したのは周囲の民衆たちだった。悲鳴、どよめき、混乱、恐怖、一瞬のうちに、人々の意識はばらばらとなり、動かない大統領を見つめた。


そんな中、誰かが呟いた。


「あぁ、この国は終焉へと向かう、平和な時が終わってしまう、この先に待つのは地獄なのか……」


 しかし、大統領がその場にいたらこう言っただろう。



 世界など、もうとっくの昔に終焉を迎えている。私たちが生きている今こそが地獄なのだ。

 今生きているこの時代こそが、人類が紡いだ物語の最終章なのだ。


 

 だが、その言葉を発する者の世界はたった今、終焉を迎えた。

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世界終焉ボタン 古魚 @kozakana1945

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