第28話 守られて


 夏芽は八田の家でみそっかすなのだそうだ。

 なんとか落ち着いてきた夏芽の背から手を離し、先生はコーヒーを淹れ始めた。


「夏芽君は陶芸の才能があるんだから、それでいいと思うんですけどね。おうちの人たちは認めてくれないんですよ」


 小声だが、こんな話は後ろの常連客みんなが知っていることなのだろう。誰も気にする風もなかった。

 俺と夏芽が並んで座るカウンターに先生はコーヒーを二杯そっと出してくれた。前とは違うマグカップ。でも同じ青だ。


「これ夏芽の作ったやつ?」

「……うん」

「綺麗な色だな。軽いし口に当たるところが柔らかくていい」

「……釉をぎりぎりまで薄く掛けるんだよ。重いと使いづらいし」


 さっきまで震えていたのに焼き物の話はポツポツと答える。淹れてもらったコーヒーを自分の作った器で一口飲み、ホッと息を吐いた夏芽は気分がゆるんだのかへにゃりと笑った。


「ごめんなさい先生、もう平気」

「休んでなさい。別に今、することないから」


 そう、夏芽はこれでも店員だった。俺の隣に座っているのは本来おかしいのだが、たぶんこれがこの店での夏芽の働き方。

 常連のご老人方を迎え、話を聞き、一緒に笑う。それを目当てに通ってくる客もいるのだろうし、だから夏芽が危機になれば一丸となって守ろうとしてくれる。ご近所みんなの孫という立ち位置なのだろう。


「じゃあこれ飲み終わるまで」

「ゆっくりでいいからね」


 夏芽はいつもほわん、と軽かった。その中にずっと感じていた危うさは家族からの否定に由来するのだろうか。両手でカップを持つ夏芽は子どものようで、ブラックコーヒーが似合わなかった。あの兄が何をしに来たのか訊かない方がいいのかと遠慮していたら本人がわざわざ俺に向かって言う。


「お兄ちゃんさあ、私に結婚しろって言うんだ」

「……結婚」


 まじまじと隣を見てから繰り返した。あまり夏芽とつながる単語ではなかった。考えてみれば二十代後半ぐらいの夏芽に不思議ではない提案なのだが本人にそんなつもりがあるのかどうか。すると後ろから大矢さんが憤慨する。


「政略結婚てやつだよ。家の役に立て、てそんな言い方あるかい」

「……おまえんち、いい家なの」


 踏み込んだ話をしていいものなのか迷った。でも大矢さんが口にするぐらいだし、言われて無視するのもおかしいし、少し知りたい気もするので尋ねてみる。夏芽はつまらなそうに口をとがらせた。


「べつにぃ。小さな会社やってるだけ。今どき一族経営なんて、むしろ小規模でしょ」

「や、俺は経営わからん」


 しがない声優ですので。そう言って逃げたら夏芽は笑った。


「私もわかんない。経済学部とか行った方がいいかと思ったんだけどね。おまえはそんなのいいから教養を身につけろって言われて。お嬢さま高校は落ちたけど、大学受験でそれっぽい所につっこまれたよ」

「嫁に出すのに恥ずかしくない学歴だけあればいいってことだったんだよ。妹のことをなんだと思ってるんだか」


 大矢さんは立ってきて夏芽の頭をよしよしとなでた。

 指定された大学学部以外なら進学させないと言われたそうだ。それに抗うすべなど高校生の夏芽にはなかった。大学卒業後もコネで就職を決められてしまったのだがすでに成人、先生が相談に乗って実家から逃げ出し今のような形になったそうだ。


「おまえもたいへんだったんだなあ」


 俺は大矢さんの真似をして夏芽の頭をなでてやった。もふもふ。こんなのら犬みたいな奴がお嬢さまの型にはまるわけないじゃないか。


「お兄さん、お見合いしろって言いに来たのか。夏芽が奥さまとかやってられるわけないだろうに」

「うるさいなぁ」

「ろくろ回してるの、すごいと思ったよ俺は。そっちで生きてけばいい」


 小ぎれいな若奥さまより泥と土を相手にしている方が夏芽らしい。だがそれでいいと思うのは今の夏芽しか知らないからで、無責任な言い草なのだろう。本当に夏芽が幸せになるために必要なことなど俺にはわからない。

 でも夏芽が望むのはたぶん先生のいるこの店で働くことで、裏のアトリエで粘土と向き合うことで、夏芽の幸せは夏芽自身が決めればいいのだった。俺はつとめて今の生活の話を振った。


「本焼きだっけ。どうだった? うまくいったの」

「まだ窯を開けてないもん」

「なんで。俺のお皿どうなったのか見たい」

「急に冷えたら割れるでしょ」

「そうなんだ?」


 じっくりゆっくり、自然に冷めるのを待つのだと言われた。次の定休日にのんびり開けるつもりらしい。


「ふうん。楽しみだな」

「……かがみんは本当に何も知らないのだねえ」

「そりゃ陶芸なんて知るかよ」


 夏芽がいつもの口調に戻ってきたので俺は安心してコーヒーを飲み干した。財布を取り出したのだが先生はお代を受け取ってくれない。注文もしていないのに勝手に出したのはこちらだから、といたずらっぽく言われた。そう言えばそうだ。

 夏芽のためにスルッと気をつかえるスマートなやり口がさすがで、俺はありがたくご馳走になることにする。今度何かの時に働いて返すことにしよう。


「んじゃ帰ります」


 ぬるくなった豚小間とモヤシの袋をつかんで俺は立ち上がった。大矢さんが一緒に店を出る。


「すっかり長っちりしちまったなァ」

戸っ子ですね」

「なあかがみん、夏芽ちゃんもらっちゃいなよ」


 突然の提案に息が止まった。大矢さんはからかうような口調だが、目はわりと真剣だった。


「……何をいきなりそんな」

「だってさ、先生を想ってるよりァずっといいだろうに」


 俺は目を点にして立ち尽くした。あいつ、バレてるんじゃないか。大きなため息をつくと大矢さんはヒーヒー言って笑う。


「先生は気づいちゃいないよ。あの人は奥さんしか見てないからね、本当に娘か何かとしか思ってない」

「ならまあ、いいですけど」

「憧れの年上の男、てのも卒業しなきゃ。というか優しい父親をほしがってるだけだしさァ。あの子もかがみんには懐いてるし手頃だろ」


 それもひどい言い方じゃないか。ちょうどそこにいるから、とは。保護犬の引き取り手みたいなものだとしても、もっと厳重に吟味されるべきだった。


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