第24話 拒絶


 残り四回となった劇団ジョーカーの稽古はうまく回っているように思えた。

 堀さんは過不足なく安定していて、先輩からも同輩からも文句をつけられる隙を与えていない。代役の曽根さんと他の俳優陣もすっかり馴染み、ここまでくるとあとは練度を上げるだけ。本番で空気をつかみ客と向き合うための余裕を求めて同じことを繰り返しているのだった。それは落語の稽古と同じ感じだ。


 最近別ジャンルの仕事が舞い込み始めた俺は、声優の仕事も実は積み重ねているのだと思うようになった。落語は一つの噺を繰り返し重ねていく。俺の仕事はその場かぎりだが、そのひとつひとつが重なり次の糧となっていた。

 テスト、ラステス、本番。たった三回でOKをもぎ取るのは瞬発力勝負に思えたが、その一瞬の力を出すにも訓練が必要だった。たくさんの引きだしを作り、持つことで声優は出来上がっていくのだ。


「各務」


 稽古後、帰り支度をした俺のことをジョーカさんがチョイと呼んだ。その隣には乃木さんもいる。嫌な予感がした。


「なんですか」

「外で」


 小声で言われ、乃木さんが悲しげな、すまなそうな顔で頭を下げた。美紗に何かあったなとわかった。


「じゃ、先に出てます」


 そう言うしかなかった。

 施設の入り口から少し離れた暗がりにたたずみ深呼吸した。あまりひどいことじゃないといい。


「お待たせ」


 ヒョヒョイと寄ってくるジョーカさんの足どりは不自然に軽かった。ヤバいのかなと思った。乃木さんは稽古の後からずっと申し訳なさそうだ。


「鮎原さん入院したんだと」


 何故か微笑んでジョーカさんは言った。


「入院」

「なんかいろいろ受けつけなくなったって――乃木さん」

「はい」


 説明を引き継いで乃木さんが俺の前に出た。

 事故から三週間。捻挫程度ならとっくに動けるはずなのに、美紗は事務のアルバイトに復職しなかったそうだ。このままではクビだと通告する職場からの電話にも応答しなくなり、様子がおかしいと心配した上司が自宅を訪問してくれた。そこでも反応がなく警察に通報、立ち会いのもとドアを開けたら衰弱し倒れていたというわけだ。


「それが一昨日で」

「ああ……そりゃ既読つかないな」

「連絡したんですか」

「一昨日、だったと思う」


 あの時にはもう保護されてたんだろう。俺は手遅れになってから自己満足だけの行動をしたことになる。自分の馬鹿さ加減にうつむいた。


「実家からお母さまが駆けつけて、そちらから連絡くださったので私もさっき知ったんです」

「乃木さん遅刻ギリギリで来たの、そういう理由か」


 力なく笑いながらうなずいてくれる。


「意識は取り戻したんですけど、今は鎮静剤と栄養剤を点滴で入れて眠ってるそうです」

「鎮静剤?」

「あの――診察も嫌がって暴れたって」

「暴れた――」

「――さわらないで、て言ってたらしいです」


 ためらいながらそう告げられて目を閉じた。病院の医療措置を拒否したのか。それは、もう。


「食べ物も水も摂れなくなって倒れたんだろうって。繊細がすぎる」


 ジョーカさんの表情が優しい理由がわかった。その行動は一時的な混乱なのだろうが、普段の美紗がどれほど我慢を重ねていたのかうかがえた。

 潔癖症は強迫神経症。現れ方は人による。美紗のそれは世界への拒絶だったんだ。ずっと馴染みきれなかった世界への否定。

 嫌なもの、怖いものをというくくりに入れて、触れたくない理由づけをして生きてきた美紗。

 それでも必死に普通のふりはしていたんだろう。潔癖といえども極端に思われそうな部分は心を殺して我慢し、隠していた。ちゃんと劇団のみんなと交流していた。

 だけど俺のことはどうだったんだ。俺との行為中、人形のように思えたのは心がそこにいなかったからなのか。俺と付き合ったのはやっぱりまやかしだったんだろうか。俺の事が好きだったはずと乃木さんは言ったけど、好きってなんなんだ。


「すみませんでした」


 その乃木さんは泣きそうだった。


「――何?」

「美紗がそこまで追いつめられてたなら、もう各務さんがどうこうできることじゃなかったです。あの子がすがりつこうとしてたの、依存とかそんなレベルですよね。恋愛じゃない。私が口を出したのは余計でした」


 頭を下げられた。さっきから申し訳なさそうだったのはそれか。曽根さんの歓迎会で詰問された時には美紗がこんなことになるとは思っていなかったのだから謝らなくていいのに。

 恋なのか依存なのかはわからないが美紗が俺に何かを求めていたのは確かで、俺がそれに応えなかったのもその通りなのだ。俺には何をする義務もなかったかもしれないが、だったら最初から美紗と付き合ったりしなければよかった。好きでもないのに。それが俺の瑕疵。


「すごいね」

「え?」


 乃木さんの謝罪は流したまま俺は言った。


「今日の稽古、普通にやってたじゃない。一人でそんな話抱えてたのに。やっぱ乃木さんはまともな人だ」

「そんな――」

「公演はちゃんとやる。それでお願いしますジョーカさん」

「もちろん」


 フンとジョーカさんは鼻で笑う。どのみちそうするしかない。

 搬入ハコ入りまであと二週間。チケットも売れている。照明も音響も美術も舞台監督も、専任に依頼して打ち合わせ済み製作済みだ。今さらやめられない。


「劇団員には細かいこと伏せといていいか」


 ジョーカさんが提案した。新しい噂が立つと今うまく回っているものが壊れかねないからだ。


「鮎原さんが復帰しない理由訊かれても単に体調不良が長引いてるって感じで。各務が悪者になりかねない言い訳だけど」

「かまいませんよ俺は」


 どうせ俺は外部の人間だ。少々評判が落ちても問題ない。だが投げやりに聞こえたのかジョーカさんに肩を叩かれた。


「おまえ大丈夫? 仕事いける?」

「当たり前です」


 プロの矜持にかけて即答したが、まあまあ気伏っせいな話だ。だけど乃木さんの前でため息をつきたくない、その一心で俺は強がった。上っ面を取り繕う癖はなかなか抜けるものではないのだった。


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