第18話 クズが言えること


 軽薄ダミ声音響監督米沢さんは、月二回ぐらい俺を映画の吹き替えに呼んでくれる。

 今回は珍しく悪役ではなく、子どもたちのホッケーコーチ役だった。わりと熱血漢なので喉にくる。こういう場合セリフ三回だけで録音するのがありがたかった。それでも休憩時間はお茶とのど飴のお世話になった。


「のど大事にな。最後まで叫びあるから、テストラステス抑えてって」


 ロビーの隅にいたら米沢さんが来て言ってくれた。それはぶっつけ本番でも演技を信用しているという表明だ。嬉しいしありがたい。ついでにここまでの収録でミキシングレベルも決まったのだろう。俺がマイクとの距離感を間違えなければ大丈夫だ。


「今日の俺、いい人ですね」

「うん。いつも小悪党ばっかでごめんな?」

「かまわないですけど」


 突然どうしたのかと思っただけだ。くれる役ならなんでもやる。それが仕事だし食い扶持だから。


「各務さんてとらえどころがなくてさ。腹に何か抱えてんじゃないかなーって思わせるのよ。そんで裏切り者とかばっかり振ってたんだ」

「はあ……」

「けどイケメン役が入ったって聞いて」

「知ってるんですか」


 さすが。そちらサイドはジャンル違いでも情報が回るのか、それともマネージャーが売り込んだか。


「でもいただいたのは冷静沈着イケメンですよ」

「俺は真っ直ぐ出るタイプも試したかったんだもん」


 まったく異なる熱血硬派をやらせて米沢さんは悪びれなかった。


「意外といけたし。一皮剥けたかな。なんかあったの」

「やー……なんというか」


 微妙な顔の俺に米沢さんは鼻をひくつかせた。観念し小声でポツリと説明する。劇団ジョーカーに客演するのだがそこの女優との関係がこじれ言い争ったこと。そしたらその帰りに事故り代役を立てる怪我を負ったこと。


「――やっちゃったじゃん」

「そう、です」


 目をまるくされ、反論できなかった。ため息が出た。


「その彼女の方を知らんから何も言えんけど。誠意をこめてお見舞いするぐらいしかできないよなあ」

「見舞い……」

「え、してないの」


 頭を抱えた俺を見て、米沢さんは難しい顔だった。


「それはさすがに、クズくない?」


 クズ。

 女に関してなら正しい評価か。


『そこのカッコいい新入生』


 そう呼んできたのは初対面時の橘さんだ。自覚はさらさらなかったが、客観的視点で俺はそんなに悪くなかったらしい。淡々とした会話ができるようになるとダウナー系だが手を出しても害がない男としてたまに告白を受けるようになった。そういうのが嬉しくないことはないし断ってもめるのも嫌だし、来る者は拒まなかった。

 美紗のこともそうだ。断るほど嫌でもないから付き合ってきただけ。常識で考えてみればひどい仕打ちなのかもしれない。だけど美紗の方だってあっさりした態度で、俺に執着しているようには思えなかったんだ。

 あの時、俺だから告白したんだと言われても信じられなかった。声優ならば俺じゃなくてもいいんだろ、とずっと感じていた。突き放したところで傷つくのはプライドぐらいだろうとたかをくくっていた。事故るなんて思わなかった。

 その後、美紗から連絡はない。メッセージぐらいは送ろうと俺もスマホ画面は開いてみたんだ。だけど伝えられる言葉が何も出てこなくて、一文字も打てずに諦めた。


「ですよね。クズなんですよ、俺」

「おいおい」


 悄然とする俺の背をベチンと叩いて米沢さんは困った顔だ。


「そんな話させて悪かった。でもシャキっとしてくれ、休憩終わるぞ」

「大丈夫です、仕事はします」

「ん。頼むぜコーチ」


 そうだ今の俺は子どもたちの背中を押すホッケーコーチ。あと少し、がなってこなくては。

 立ち上がると喉が強ばりかけていた。深呼吸して上を向き、首を伸ばす。無理やり心を鎮めて俺は防音扉をくぐった。




 〈怪我はどう〉〈仕事行けてる?〉〈稽古には来ないのか〉。どんな言葉を送っても空々しくなりそうで結局何も言えずに過ぎた。

 体でつながるのを否定した後に、言葉ならつながってもいいのかどうか。俺には正解がわからなかった。しょせん対人スキルがツギハギのまがい物だからだ。なのに乃木さんに談判された。


「美紗に何も連絡してないってどういうことですか」


 飲み会の中の小声だった。だけどたぶん周囲の劇団員は耳をそばだたせたはずだ。

 新しい客演女優の歓迎会だった。今日の稽古場近くの居酒屋チェーン。座敷を一室占領してワアワアと騒ぐ中、元は美紗がやっていたその役と舞台上での絡みがない俺は一杯飲んだら帰ろうと思っていた。そこへの突撃に閉口した。


「どういうことでもないよ」

「いえ、答えになってないです」

「何も言えることがないから」


 乃木さんはどうして美紗のために俺と向き合うんだろう。「結婚に逃げた」とまで罵倒されたのに、同期生の絆はそんなに強いのか。


「美紗とは別れたんですか」


 核心に迫られて俺は表情を消した。


「踏み込むね」

「失礼だとは思ってます」

「――俺むしろ、ほんとに付き合ってたのかなあ、ぐらいの気持ちなんだけど」

「なんですか、それ」


 ゆら、と乃木さんから怒りが立ちのぼった気がした。うん、女性全員敵にする発言だな。わかるけど、俺も怒ってる。だって俺と美紗は恋人だった。他人に口を挟まれるのは不愉快だ。


「ちょっと待て」


 スルリと近づいてきたのはこの場の責任者ジョーカさんだった。


「やるなら外だ」


 静かだが断固として言われ、俺は乃木さんから顔をそらした。急ぐでもなく残っていたビールを空ける。財布から多めに出してテーブルに置くと黙って立ち上がった。

 フラリと店を出ながら考えた。これは有名なじゃないのか。下らない思いつきに笑ってしまう。

 ところで乃木さんはついてくるのだろうか。ジョーカさんには『突っ切れよ』と言い渡されているのだが、何をどうすればいいのか俺は知らなかった。


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