23日が終わると

12月23日の夜、憂鬱な気分で時計を見る。


24日はクリスマスイブ。

25日はクリスマス。

意識しないようにしても、街とそこに行き交う人々が「今日は特別なホリデイ」という浮き足立った落ち着かない雰囲気をぶつけてくる。

楽しそうでいいではないか、と達観した姿勢を保とうとはするが、平常心の表面をザワザワと刺激する形容しがたい感情に翻弄される。


そして25日が過ぎてしまえば日常に戻ることなく、年末がやってくる。

そう、恐ろしき年の瀬だ。

「今年が終わってしまう」という焦燥感は子供時代における「夏休みが終わっちゃう」という感情に似ているかもしれないが、夏どころか一年が終わるのだから困ったものだ。

「今年も何かを成し遂げることなく終わってしまう」と頭を抱えて悶絶するが、それじゃあ一体何を成し遂げたかったのかと自問すると、はてなんだろうと首を傾げてしまう。

この「一年」にわたしは何を期待していたのか。

初詣で願ったことを思い出してみれば、確かわたしは「平穏な一年を過ごせますように」と願ったはずだ。

それならば、こうして無事に一年の終わりを迎えられたことに感謝するべきではないのか。

満足するべきではないのか。

まあ怠惰な生き方はしているが、それでもこの混沌とした世の中でまた一年やり過ごすことができたのだから、自分を褒めてやってもいいはずだ。

うん、偉いぞ自分。偉いに決まっている。

と必死に言い聞かせてみても、年末の焦燥感からは逃れられない。


年が明ければマシになるのかと言うと、決してそんなことはない。

相変わらずテレビは特番ばかりで見たいアニメは放送しないし、減りゆくどころか一枚も届かない年賀状に、そういえば友達いないんだよなあと改めて思い知らされる。

ついこの前までクリスマスムードだった街は薄情にもとっくにクリスマスのことを忘れ、門松やら干支の動物やらを飾り立てている。

クリスマスとは雰囲気が違うとはいえ、わさわさとした落ち着かない空気感は変わっていない。

親戚や同僚と顔を合わせた日には、真っ当な人間のふりをして「明けましておめでとうございます」なんて挨拶をしなくてはいけない。

そう考えると恐ろしくてたまらない。


年始特有の浮き足立った空気感が通常モードへと切り替わっていくのは1月5日か6日、正月休みが終わる頃くらいだろうか。

つまり12月23日が過ぎると、平穏な「日常」はしばらく戻ってこないということになる。


12月23日が終わろうとしている。

もう時計の針が0時を打つ。

ああ、24日になってしまった。

わたしは今、これから始まるクリスマスと年末年始のコンボに恐れ慄いている。


だがきっと、憂鬱な気分になっているのはわたしひとりではないはず。

わけもなく心を掻き乱され、困惑している人は他にもいるはず。

あのわさわさとした雰囲気に怯えている人達よ、頑張っていこうではないか。

雰囲気に呑まれず、踏ん張っていこう。

乗り越えた先に良いことが待っているわけでもないが、不毛な日々も日々の内。

積み重ねること自体が、美徳なのだ。

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