「ルーティン」とは言いたくない

地球環境に対する後ろめたさはあるが、わたしは通勤途中に自動販売機でペットボトル飲料を購入することを日課としている。


同じ駅の同じホームの同じ自動販売機で、同じ飲み物を購入する。

そして、満員電車でゴリゴリと削られたHPを回復しようとするかのように、その飲み物を飲む。

ちなみに飲むのはカフェラテだ。

美味しい。

いや、もちろん、感動するほどの美味しさがあるわけではない。

だが、毎日飲んでも嫌にならないような、無難な味わいがある。


ある日の朝、自動販売機からその飲み物が消えていることに気がついた。

二度見しても、ないものはない。

いつもの飲み物があった位置には、別ブランドのカフェラテがしれっとした顔で並んでいる。

同じ「カフェラテ」ではあるが、商品としては全くの別物だ。

飲んだことのあるものだったので分かる。

いつものあれとは全然違うのだ。

味も違うし、飲んだ後の胃腸の具合も全然違う。


呆然として、自動販売機の前から離れた。


もちろん、自動販売機の品揃えがいつまでも同じだと思っていたわけではない。

売れ行きの問題とか新商品の登場とか諸々の理由で、自動販売機に並ぶ顔ぶれは頻繁に変更されていくのだろう、多分。

そう、品揃えなんてすぐに変わってしまうのだ。

大袈裟な言い方になるが、覚悟しておくべきだったのだ。

いや、覚悟していたはずなのだ。

それなのに、実際に「その時」が来た今、わたしはこの現実を受け入れることができていない。


周辺にある他の自動販売機を見てみたが、あの飲み物は並んでいなかった。

通勤途中に駅のホームであの飲み物を飲む、という日課を続けるのが難しくなってしまった。

いや、実際のところ、探せばどこかのコンビニで見つかるだろうし、いざとなったらオンラインから購入する、という手もある。

だが、そういうことではないのだ。

あの自動販売機で購入し、飲む。というところがポイントだったのだ。


これはつまり、ワガママでひとりよがりな「こだわり」の話である。


別に、そこまで落ち込んでいるわけではない。

だけど、なんかテンション下がるな〜、という話。

本当にしょうもない。

ただ、それだけなのです。

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