カーディフで食べたトースト

イギリスに短期留学していた時のこと。

ある週末、わたしは日帰りでカーディフを訪れた。

カーディフはウェールズの首都で、通りに並ぶ街路灯にはウェールズの国旗が取り付けられている。

赤いドラゴンが印象的な、緑と白のウェールズの国旗。その国旗がずらりと並んでいる様子は圧巻であった。


カーディフは不思議な街だ。中央駅からカーディフ城へと向かう街並みは、いかにもヨーロッパの古きよき市街地といった歴史的な佇まいなのだが、街の反対側にあるベイエリアへと移動してみると、そこは現代的なデザインの建造物が存在感を放つ、再開発されたエリアなのである。

ベイエリアの方にも歴史的な街並みは残っているが、それでも印象と雰囲気は大きく異なる。

どちらも魅力的で見所のある空間なのだが、わたしとしては、カーディフ城付近の街並みの方が好みだった。


だが実際のところ、カーディフで一番思い出に残っているのは街並みでもお城でもなく、カーディフで「すごく美味しいトーストを食べたこと」なのだ。

わたしはそれまでトーストというものを自発的に食べたことがなく、なんでわざわざパンを更に焼くのだろうと疑問に思っていたくらいなのだが、カーディフにある一軒のカフェが、わたしにトーストの美味しさを教えてくれたのである。


そのカフェは、中央駅からカーディフ城へと向かう途中にある。


カーディフ中央駅に到着したのは午前十時を過ぎた頃だっただろうか。

朝早くに出発したわたしはまだ朝食をとっておらず、観光の前にまずはどこかで朝食にしたいと考えていた。

普段は賑やかなカーディフの街も、朝はまだ静かで、人通りも少なかった。

まだ営業を開始していない店もあるが、朝食メニューを提供しているようなカフェはちょうど営業を始める時間帯だ。

さて、どこに入ろうか。

食事をする場所を決めるのは苦手だ。

日本国内であろうと海外であろうと、初めての土地で飲食店を探す時はいつも緊張してしまう。

あそこがいいかなと思っても、なんとなく踏ん切りがつかず、店の前をいつまでもウロウロと歩いた挙句、諦めて立ち去ってしまったりする。


わたしはキョロキョロと辺りを観察しながら、初めて訪れたカーディフの街を歩いた。

歴史的な街並みにすぐ魅了され、『こんな素敵な街に来たのだから素敵なカフェで朝ごはんを食べたい!』という想いが空腹感と共に込み上げてきた。

よし、今日は頑張ろう。頑張って、チェーン店ではなく初めてのお店に入ってみよう。そう心に決めた。


その時、青色と緑色が淡く混ざり合ったような優しい色合いが、わたしの目を惹きつけた。

それはカフェの看板の色だった。

看板の背景はターコイズブルーで、店名の部分はライムグリーンになっている。

店名の真ん中には、湯気を立てるコーヒーのイラストが添えられていた。

印象的な店名と、その可愛らしいコーヒーのイラストが、居心地の良いカフェであることを表しているように思えた。

『ここに入ろう』

わたしは思い切って、そのカフェに入ってみた。


店内に入ると、優しそうな初老の男性が出迎えてくれた。

店長だろうか。

その男性の柔らかで穏やかな物腰には、外で見た優しい色合いの看板と同じように、人の心をホッと安心させる何かがあった。

店内は素朴だがセンスの良いインテリアで統一されており、焦茶色の小さなテーブルが並んでいた。座面にクッションの貼られた木製の椅子が置かれている席もあれば、椅子の代わりに一人がけソファーが置かれた席もある。

わたしは席につき、ラテとトーストを注文した。

トーストを食べたかったというより、とりあえず軽めのものにしておこうかなと考えた結果、トーストになったのである。


ぼんやりと店内を見回しているうちに、先ほどの初老の男性が料理を運んできてくれた。

シンプルな料理だが、ひと目見てすぐ分かるくらい、とても丁寧に作られている。ラテの表面も、トーストの焼き目も、とても綺麗だった。

「カフェの朝食」という検索ワードで画像を検索した時に出てくるような、完璧な出来栄えの朝食だった。

添えられたバターをトーストに塗り、一口食べてみる。

瞬間、わたしは目を見開いた(かもしれない)。

『すごく美味しい!』

口に入れた瞬間のカリッとした食感と、口に含んでからのサクサクとした食べ心地。日本でよく見る食パンよりも薄めだが、サクサクとした食感の合間にフワッとした柔らかさも残っており、食べてみると見た目よりもずっと満足感がある。

薄めのパンにジュワッとバターの味わいが染み渡り、ずっとモグモグしていたくなるくらいに美味しかった。

トーストにしただけでこんなに美味しくなるのか!

大袈裟ではなく、この時わたしは本当に感動したのだ。


幸せを噛み締めながら食べていると、店長と思しき例の初老男性がやってきて、料理はどうだったかと声をかけてくれた。

わたしはまごつき、必死に脳内で英語の文章を組み立て「とても美味しいです」と答えた。少なくとも、そう答えたつもりである。男性はニコニコと笑ってくれていたので、おそらくはきちんと通じたはずだ。

もっとハキハキと答えられたらいいのになあ。

もっと上手に感想や感謝の気持ちを伝えられたらよかったのに。

わたしは自身の拙い英語力がもどかしかった。


やり取りに関してもどかしい思いはしたものの、わたしは大満足で食事を終えた。

初めて訪れた街で、もうお気に入りのお店を見つけることができた。

そう考えると嬉しくて、自分の英語が下手で悔しいと思っていたくせに、なんだかちょっぴり誇らしい気分になった。

カーディフ観光の始まりとしては最高だ。

外に出ると、朝の街はさっきよりも明るくなっていた。

さあ、城を目指して歩いてみよう。

わたしはウキウキで足を踏み出した。


これが、カーディフでトーストを食べた思い出だ。

調べてみると、あの店は今もカーディフの街で営業を続けていた。

当然だ。あんなに素晴らしいカフェだったんだもの。


いつかまた、カーディフを訪れて、あの店でトーストを食べたい。


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