第33話 帰路

 午後七時過ぎに帰路についた。

 電車で移動した後、朱那を家まで送り届ける。

 六月の半ばで、昼は暑いくらいだけど、夜になると少し冷える。

 雨はあまり降らないが梅雨の時期ではあり、雲が覆っていて星空は見えない。


「悠飛はさ、わたしにどんなアートをやってほしいと思う?」


 手を繋ぎながら歩きつつ、朱那が尋ねてきた。


「……なかなか難しいね。そもそも、モデルになるだけじゃなく、自分でもアートをやりたくなった?」

「うん。描かれるだけでいいと思ってたけど、それだけじゃ物足りなくなっちゃった。皆、すごいんだもん。自分の中にある何かを、懸命に表現しててさ」

「そっか。確かに、皆、すごい」

「……他人事みたいに言ってるけど、悠飛もそのすごい人のうちの一人だからね?」

「ああ……うん」

「ほんと、自覚ないんだから。それで、悠飛は、わたしならどういうことすればいいと思う?」

「さて、それを他人に訊くべきなのか……」

「悠飛のこと、他人とは思ってないから」

「あ……そう」

「うん。そう」


 朱那曰く、二人で一つ、か。勢いで言っているだけじゃなく、本気なんだな。


「朱那は……なんだろう。全身に絵の具を塗るのも違うよなぁ」

「やってみるのは面白いと思うけど、わたしなりのアートではないね」

「朱那としては、何かちょっとでもイメージはあるの?」

「なーんにもない。何かしたい! っていう衝動だけあって、中身空っぽなの」

「朱那なら、こういうのもぱっと思いつきそうだけどな」

「わたしはただのナルシストで、脱ぎたがりで、猪突猛進。今まで自撮りで表現してきたものは、『わたし、綺麗でしょ?』ってだけ。うっすい人間だよ、わたしは」

「朱那が薄い人間って、すごい違和感」


 朱那が薄いわけがない。朱那の中には、もっとたくさんのものが詰まっている。


「悠飛には、わたしが、何者に見える?」


 朱那は、朱那にしか見えない。

 そんな気もする。どんな人だと表現しても、朱那の大事な要素が抜け落ちるような。

 少し考え、思いつくものはあった。

 でも、なんだかちょっと気恥ずかしいような。

 まぁいいか。朱那が相手だし。


「……あえて、アート系な表現をしたいわけではないのだけど」

「うん」

「サモトラケのニケ、かな」


 口にして、やっぱりちょっと気恥ずかしくて頬が熱くなる。外が明るくなくてよかった。


「サモトラケのニケ? あの、腕と顔がない、勝利の女神?」

「うん。そう」

「ふぅん? どうして?」

「まずはやっぱり、力強さとか、明るさとか、自由さが、あの翼の生えた女神に重なった」

「ほほー」


 朱那がによによしている。褒められて喜んでいる模様。


「朱那は、とても素晴らしい人だと思う。でも、自分は空っぽだと言って、自分が何者なのかと問いかける姿が、顔と腕のない女神みたいだと思った。

 立ち上がり、歩みを進める足があって、空を自在に飛ぶ羽もあるのに、向かうべき道を見据える顔も目もがない。さらには、本来自由で、なんでもできるはずの腕もなくて、ただその場に立ち尽くしている。

 まぁ、サモトラケのニケが本来どういうものかなんて考えてないから、俺の直感でしかない話」

「そう……。なるほどねー。そんな感じ、あるかも」

「……それとさ。サモトラケのニケの美しさは、存在しない部分に想像の余地を残しているからだとも聞いたことがある。

 朱那は、まだ顔も腕もないのかもしれない。でも、いずれはそれらを手に入れると信じてる。

 つまりは……朱那は、まだこれから何者かになっていく途中で、無限の可能性がある。だからこその魅力が、確かにあると思う」


 こじつけっぽい? それでもいいさ。アートは、どんな見方をしてもよいもののはずだから。


「……何者でもない、美しさか」

「朱那も言ってたよな。『何者かになりたくて、必死にあがいている自分が、きっと一番面白い』って。たぶん、それだよ」

「よく覚えてたね」

「印象的な言葉だったもので」

「そっか。そう考えると……わたしにとっては、あがき続けることに意味があるのかもしれない。完成された何かじゃなく、何かを目指す姿を表現する……?」

「より話が難しくなった気がする」

「うん。迷宮に入り込んだ気分」


 そう言いながらも、朱那の口元には微笑みが浮かんでいる。

 きっと、女神では浮かべられない、何かに挑むことに高揚する強い人の笑みだ。


「よし。とりあえず、わたしも全身に絵の具でも塗りたくってみようかな!」

「え? なんで?」

「なんか見えるかもしれないじゃん? 先人に習うって大事だと思うの。真似するだけじゃわたしの表現にはならないけど、その先を見据えるために、既にある表現を借りるのはいいと思う。

 漫画家が自分の絵柄を作るときもそうなんでしょ? プロの絵柄をたくさん真似して、そこから自分の絵柄を作っていく。だったら、わたしも同じように色んな人の真似をしてみる。そっから自分を見つけだす」

「そう聞くと、面白そうだな」

「協力宜しくね! 撮影は任せた! あと、絵の具って有毒なのもあるよね? ってか、人体に塗っていい絵の具って種類があるのかな?」

「それ用の絵の具はあるはず。探せば見つかるよ」

「だね。あーあ、わたしも色々やりたくなってきた。で、も。結局一番は、悠飛に描いてもらうことだからね。そこんとこ、忘れないように!」

「うん。わかった」

「一人じゃできないこと、二人でやっていこう!」


 朱那がニシシと楽しげに笑う。

 俺もつられて笑ってしまった。

 朱那が率先して俺を引っ張って歩こうとするけれど、ふとペースを落とす。


「どうした?」

「気分的にはずんずん進みたいところだけど、早く家についたら嫌だなって思い直したところ」

「ああ……なるほど」

「なるべくゆっくり歩こう」

「……明日も会えるのに」

「それでも、今日を惜しむのが青春っぽいだろ?」

「確かに」


 無駄にゆっくりと歩いて、朱那の家を目指す。

 明日も会えるのに、まだまだずっと一緒にいたいなと思いながら。

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